きっとこれは彼女の話

ほひほひ人形

きっとこれは彼女の話

――世の中には共感覚きょうかんかく、というものがあって、僕はそれらしき力を持っている。


例としては『数式が図形に見える』とかいった、『普通の人間の概念を超えた感覚』のことを指す。

普通の人間が持つ能力が極限まで発達したもの――例えば瞬間記憶や驚異的な即算力とかとは微妙にニュアンスが違って、どちらかというと絶対音感みたいな、感覚の壁を飛び越えるような力だけを指す、とのこと。

蛇足だけど、絶対音感を持つ人は雑音すら音楽的に聞こえてしまって結構つらいこともあるそうだ。


で、それが僕、木原きはら 市助いちすけに何の関わりがあるかというと――


「市助、ちょっといいかしら?」

「あ、生徒会長。こんなところに何か用ですか?」

「この子を家まで送ってくださる?」

「……はい?」


――別に、何の関わりもないのだった。

僕は中学二年生の夏に日射病(たぶん)で倒れて、目が覚めたらこの力を持っていた。具体的には、


『他人の感情を色として感じる』


というものだ。

他人の感情を色として感じる――つまり僕にはその人がどんな感情を帯びているか、一目でわかる。

それを言葉で説明するのは難しいけれど、言うだけ言ってみると、例えば目の前の人が怒っていると『あ、赤い』と『感じる』のだ。別に僕の目に赤く映るとかそういうわけじゃない。


そしてその感情が強かったり、僕に向けられていたりすれれば、その色はよりいっそう濃く、強く感じる。

とはいえ感情の濃度なんて人それぞれだから、あまり付き合いのない人とかだと見えてはいても精度は低かったりする。

まあそれはともかくとしても、僕がこの力を手に入れた中学二年生のころっていうのは男子にとってはちょっとした自意識過剰な時期で、空想が豊かになりすぎて、


『空から女の子降ってこねえかなあ』


とか、


『やたらカッコいい能力が覚醒しねえかなあ』


とか、思い返せば赤面ものの空想(人はそれを中二病と呼ぶ)に浸りやすい時期で、僕はまさにそれだった。


要するに中二病。

ところがいざ超能力っぽい力が身についてみると、あまり面白くない。というか、何の役にも立たなかった。


だって、感情なんてその人がそれを素直に表していれば問題ないし、それを包み隠して僕に接してくれているなら、そっちを優先するべきだろう?


例えば僕の友人は何か腹の立つことがあって怒っている日でも平然と部活をこなし、寡黙かもくな部長として頑張っているし、

いま目の前にいる生徒会長だって裏に不安を抱えながらも毎日の業務をハイテンションに頑張っている。

僕の力はそんな、他人が他人のために隠していることを暴くだけの、そんなつまらない能力なのだ。

僕はそのことをある人に指摘されてからというもの、心の底からこの能力が嫌いになった。

以来、僕はそれ以前から続けていた武道に精を出して、今ではこの学園の高等部内空手部副部長である。これは僕が能力と関係なく培った、誇りともいえる立ち位置だ。

だけど――


「あの、会長」

「何ですの?」

「意味は分かりますが話が読めません」

「そうですか。ではもう少し説明してさしあげますわ」


――まさかそれが、こんな形で頼られることになるとは思いもよらなかった。


ちなみに今は放課後で、ここは体育館二階、空手部の道場。

そこへやってきたのがこの生徒会長にして僕の幼馴染の豊臣アリアで、ハーフだかクオーターだかの彼女の髪は金というより黄色に近く、それが彼女の顔の両サイドでくるくると螺旋らせん軌道きどうを描いている。いかにもお嬢様といった外見で、実際に超のつくお嬢様だ。

なんたって豊臣財閥の一人娘だしなあ。


「最近、この近辺で不審者が出てますわ」


梅雨時にしては強い雨が降る校庭を背景に、会長は言う。


「あー、そういえばそんなような学内メールが回っていましたね。あれですか」


幼馴染とはいえ立場ってものがあるので、学校内では僕はなるべく彼女に敬語を使うようにしている。


「それですわ。で、改めて言いますけれど、貴方、この子の帰宅時のボディーガードをして頂けませんこと?」

「もしかしてそれは、僕が空手部だからですか?」

「ええ」


……いるんだよなあ、こういう奴。


「あの、会長。そういうことなら普通にちゃんとした人を雇うとか、親さんに迎えに来てもらうとかした方がいいんじゃないですか? っていうかそうして下さい」


武道をやっていない人はあまり知らないだろうけど、そういうことを始めた人間が最初に習うのは、『襲われたら逃げろ』ということだ。


ボディーガードとか簡単に言うけど、そういうのはそれに応じた訓練を積んだ人間に任せるべきで、護身術に毛の生えたような武道しかできない高校生に頼むべきじゃない。別にこれは僕が弱いとかそういうわけじゃなく、武道に対してみんなが夢を見すぎなのだ。

そう思っていたら、会長は言った。


「それができたらとっくにしてますわ。できないから、貴方に頼んでいるのです」

「…………」


会長の『色』が、赤く感じられる。

これは怒りの色で、何に怒っているかまでは解らない。解るのは、その対象は僕じゃないということくらいだ。


「私たちみたいな世界は、いろいろあるのですわ。本当に……鬱陶しいけれど」

「それって、聞いていいことですか?」

「いいわけないでしょう!」


同時、怒りの対象が僕になり、会長の『赤』が強くなる。

まあ、今のは僕が馬鹿だった。

この学園はそれなりに上流階級の人間が通うところで、会長の言う『この子』――さっきから会長の後ろで小さく縮こまっている女子生徒も、そういう人間なのは雰囲気で分かる。

で、そういう人間がボディーガードとかを頼めない状況というと、一つしかない。


(別に皮肉じゃありませんけど、ドラマみたいな事って本当にあるんですね。遺産がらみですか?)

(……その通りですわ)


小声で言ってみたが、勘は当たっていたらしい。まあ、この学校は上流階級っぽい人たちが集まるから、廊下とかでも


「昨日ねー、葬式に行ってきたのー」

「へえ、どうだった?」

「すっごい人いたー」

「大丈夫? 親族でもめたりしてない?」

「大丈夫ー。うちは平和だからー」

「いいなあ。ウチ、いまだにお爺様の遺産で揉めててさ。しかもこの前おばさんが殺されちゃって、しかもそれが殺人らしくってさあ、もう大変なのよ」

「そうなんだー。大丈夫?」

「うん、私には遺産入ってこないから」

「そっかー、よかったねー」


という、デンジャラス極まりない会話がたまに聞こえる。

現実は小説より奇なりというけど、僕みたいな一般人には及びもつかない、二時間ドラマを地で行く世界が本当にあるようだ。

僕は部活推薦で入って奨学金で通っているから、未だに一人だけ蚊帳の外である。

いやまあそんな蟲毒みたいな蚊帳に入りたくもないが。


「まあ、そういうことなら引き受けてもいいですけど。ただし、本当に大したことは出来ませんよ?」


念を押すように言ってみた。


「大丈夫ですわ」


すると、あっさりした返答。


「何がですか」

「貴方がいるだけで、この子はどんなボディーガードが付くより安心しますから」

「?」


改めて会長を見ると、少し水色っぽく感じる。それは人が何かに期待を感じている時の色なんだけど、たぶんそれは僕の能力の誤作動だろう。


誰だって見間違いや聞き間違いをするように、この力だって誤作動するのだ。


● ● ● ● ● ● ● ●


――音を立てて、生徒会室の扉が閉まる。


「お帰り。ちゃんと行ってきた?」

「ええ、もちろん上手くいきましたけれど……本当にあれで良かったんですの?」


二人の女子生徒が、言葉を交わす。外は雨で室内は暗いが、彼女より早く来ていたその女子生徒は電気もつけずにソファに座って紅茶を飲んでいた。一方、まだ立ったままの少女――豊臣アリアは、その少女を睨(にら)むように見て言う。

その視線を察したのか、座ったままの少女は、


「私が間違えたことなんかあった?」


と、返す。そしてアリアは、


「…………」


何も、言えなくなる。

その表情には戸惑いと、少しの委縮。


「まあそう怖い顔しないでよ悲しいなあ。君が選んだ子でもあるんだし、間違いないんじゃないの? それとも何、豊臣アリアたる君が選んだ少年はそんなにダメな子なの?」

「そ、そんなことはありませんわ!」


しかし、そこまで言われてどうにか否定だけはした。

その様子を笑みで見つめて、即座に返事が返る。


「だったら君は私以上に自分を信じればいいよ。……ところでさ、この紅茶もう一杯もらっていい? 思いのほか美味しいんだよね、これ」

「……!」


バン、と扉を乱暴に閉めて、生徒会長・豊臣アリアは出て行った。残された少女――香良洲からす 千夜子ちよこは一人、


「……萌えないねえ」


呟いた。


● ● ● ● ● ● ● ●


その後、空手の道着から制服に着替えた僕は傘を差して、『護衛対象』の子と雨の降る通学路を歩いている。


「で、君の家ってどのあたり?」

「わ、わたしはその、女子寮から通ってて……」

「へー、そうなんだ」


本当に僕が女子寮なんかに行ってもいいのだろうか、と不安になるが、まあ不健全な理由でもないからセーフだろうと自分をごまかす。


「先輩は私の話を聞くとすぐに『私に任せればすべて解決ですわー』って言って、貴方を手配してくれたんです。さっきの傘も貸してくれて……本当に、優しい先輩です」

「んー……優しいってのを否定はしないけど、昔からあいつってどこか間の抜けたところあるんだよなぁ」

「あ、はは……」


今、僕と護衛対象の彼女、富士 すももちゃん(一年生)は相合傘あいあいがさだった。なぜこうなったかというと、あいつ――アリアが彼女に貸した『さっきの傘』が、壊れていたのだ。


雨の降る玄関口。先端を外に向けてジャンプ傘のボタンを押して、するりと開いた傘がその勢いのまま正面に飛んで行く、という光景を、僕は初めて見た。

誰がどんな使い方をしたらああなるのかも気になるけど、それ以前にあれをどうやって傘立てに立てていたのだろう。抜け落ちるよな普通。


「すももちゃんも生徒会員なんだよね?」

「え、ええ……そうです、けど……」

「会長ってさ、いつもはどんな感じ?」

「……とっても、素敵な人です……」

「そっかー」


他愛ない話で、とりあえず場を持たせようとする僕。

彼女から感じる『色』は、薄い、とても薄い紫色だった。


● ● ● ● ● ● ● ●


一方、二人が相合傘を指して歩く、十メートルほど後方。


「ふふ、わりといい感じですわ」


そこに、豊臣アリアが立っていた。

端的に言って、尾行である。


「君って、実は趣味が悪いんだよね」


そしてその背後に、千夜子がいた。


「え? わ、ひゃむぐっ」


驚いて叫ぶところだったアリアの口を、千夜子が手で塞ぐ。


「いくらこの雨だからって騒いだらばれるでしょ。何で叫ぼうとするかなぁ」

「だ、だからって口を塞(ふさ)がないで下さいませ」


けほ、とアリアは咳をする。千夜子(ちよこ)は口を押さえたその手をスカートの端で軽く拭(ぬぐ)った。


「で、そんな事を言ってるうちにほら、君の獲物が逃げちゃうよ? いいの?」

「獲物って……わ、私はただ、貴女が変な事を言ったから気になってるだけですわ」

「変な事って?」


ん? と首をかしげる千夜子ちよこ


「とぼけないで下さい。『あの子――すももちゃんだっけ? もうすぐ事件にかかわるけどいいの?』なんて……普通だったら馬鹿のたわごとですけれど、貴方だったら話は別ですわ」


そう言って千夜子ちよこを見るアリアの目には、ある種の確信が宿っていた。それに応えるように、千夜子は言う。


「んー、まあ、私の『予知』は外れようがないからねえ。ていうか、あの男の子で大丈夫なの? 私としてはいまいち信用ならないんだけど」

「ご心配なく。いっちゃんは強いですわ」

「いっちゃん? ああ、あの子か。まあ、君がいいならいいけどね。ところであの子たちは何で相合傘なの?」

「ああ、それは、私がちょっと後押しを」

「後押し? って、犯罪の?」

「さっきから貴女は何を仰ってますの? あの子――すももの恋の、ですわ」


言って、アリアは満面の笑みを浮かべる。

打ち明けられた後輩の恋。応援しなければ上級生の名が廃(すた)ると言わんばかりだが、


「……あのさあ」


その様子を見る千夜子の表情は怪訝だった。


「はい?」

「君、馬鹿だよ」

「え?」


言って、千夜子は歩きだす。その瞳には、人気のない道を通る二人だけが映っていた。


● ● ● ● ● ● ● ●

「……あの、先輩」

「なあに?」

「せ、先輩って……好きな人とかいますか?」

「んー、恋愛的な意味ではまだいないと思うけど」

「で、でも先輩を好きな人とか……」

「え? いやそれはないそれはない」


だんだんと話題も無くなってきて、デリケートな所まで話すようになってきた。

すももちゃんの顔は真っ赤で、『色』はさっきより少し濃い紫。好きな人、というのがいるのは良く分かる。


――しかし、この子の好きな人、ねえ。


「え、えっと、私には……います」

「ふーん」


訊いてもないのに言ってきた。


「そ、その人は普段からすごく頑張ってるんですけど、それを他の人に絶対に見せなくて、その……それで……」


いつの間にか、片側二車線道路の橋の下。

まあ……雨も吹き込まないし、ここならいいか、言っちゃおう。


「ねえ、その『好きな人』ってさ」

「それから……は、はい?」


「――会長アリアのことだよね」


● ● ● ● ● ● ● ●


彼ら二人の後方。

さっきより二人に近い物陰に隠れた、アリアと千夜子ちよこがいた。そして、


「……なあに?」

「馬鹿とは何ですか。いくら貴女でも言っていいことと悪いことがあるでしょう」

アリアが千夜子ちよこの手首を取り、言った。

「……五月蠅いな。今は君にかかずらっている場合じゃないんだよ」


しかし千夜子ちよこは苛立ちを隠そうともせずその手を振り払う。

何が彼女をそうまでさせるのか全く分からず、その強い拒絶にアリアは一瞬戸惑った。


「だから、さっきから貴女は一体何を……って、あら?」


アリアの視線の先、こちらを向く千夜子ちよこの背後。二人――恋する少女とその対象であるはずの少年が、橋の下で対峙していた。


いいシーン、というわけでもない。そんな雰囲気では、ない。

それを察すると同時、アリアの隣で千夜子ちよこが言った。


「あぁもう、始まっちゃったか……この距離じゃ、どうなるか読めないっていうのに……」


その表情は、明らかな怒り。


「ち、千夜子ちよこさん?」


 アリアに視線を向けることなく、千夜子は言う。


「こうなったら見てるしかないよ。ああもう、君みたいな凡人はこれだから嫌いなんだ……っ!」


傘を持つその手に力の籠る音は、降る雨にかき消された。


● ● ● ● ● ● ● ●


状況は、僕が言葉を告げた直後。

どちらからともなく足を止め、僕は傘を手放し、地面に転がす。そしてそれを、どちらも拾おうとしない。


「……ねえ、先輩。BLって、知ってますか?」

「一応」


知識だけ。


「ならその逆ってわかります?」

「ああ、百合?」


正直僕は受け付けないなあ、と言ってみる。そしてその言葉でさらに彼女の『色』が濃くなる。しかしそれ以上に強く感じる、彼女の意志。

ここまで来るとそれは能力抜きでも空気感染で伝わるけれど、彼女はそれがばれたからって気にする様子もないようで、彼女はただ僕をさっきと同じ目で見て、同じ『色』を『僕に』向けている。

その色は、とてつもなく濃い、『紫』。

――殺意の、色だ。


「……先輩は、あの学園をどう思います?」

「異常、かな。君もだろ?」


勘だったけど、雰囲気がそう言わせた。


「ええ、といっても私の場合は遺産とか……その程度で起こる殺人があれほどまでにあることよりも、それを許容してる私たちの精神を異常だと思ってますけどね」

「僕も似たようなもんさ」

「そうですか気が合いますね。じゃあ最後にもう一つだけ……先輩は、愛憎劇っていうのは、どう思います?」

「愛憎劇?」


言葉の意味が半分くらいしか通じず、僕はつい訪ねてしまった。そして彼女の『色』が爆発したように大きくなって、


「――私は、豊臣先輩を愛しています。心から」


僕の腹を、刃物がかすめた。

彼女と僕の位置関係が入れ替わり、刃を避けた際に落とした僕の鞄は路上に落ちる。


「そして、豊臣先輩に好かれている、愛されている貴方が……心の底から大っ嫌いです。だから、殺したい」


――知ってたよ。


● ● ● ● ● ● ● ●


「な、何なんですの!? 何であの子が、は、刃物なんか持って、え、え?」

「あ、こら、行くなっ」

「行くなじゃないでひょむぐっ!」

「今行ったらあの子は自分で首を切るよ!」

「!?」


例によって彼らの後方で、慌てるアリア。しかし千夜子ちよこは駈け出そうとせず、成り行きを見ている。

そしてその視線の先で、少女――すももは突き出した包丁を蹴り飛ばされ、それを追うより早く右腕を掴まれて、


「きゃ……ぐっ!」


腕の関節を利用した投げ技で、アスファルトへ叩きつけられた。彼女が立ち上がる間もなく、その背を市助が抑え込む。


「うわ、もうカタがついたよ。やっぱり武道をやってる子っていうのは強いんだねえ」

「え、じゃ、じゃあいっちゃんは、」

「生きてるよ。怪我もしてない。でも、手加減もしてないみたいだね。うあー痛そう、可哀想」


彼女の言うとおり、すももは倒された時点で気絶していたが、それでも市助は震える体で彼女を抑え込む。

彼も迷ってはいたが、向けられた殺意の恐怖が、彼女を開放するという選択肢を取らせない。


「でも、何であの子、あんな事を……」


アリアのその言葉を聞いた千夜子の顔が一瞬怒りに歪み、しかしまたすぐ平常時の表情を取り戻す。

一連の全てが終わるまで、梅雨時にしては強い雨がずっと降っていた。


● ● ● ● ● ● ● ●


事件の翌日、雨上がりの空は青く澄んで、道路にはいくつかの水たまりが空を映し、すでに日は傾き始めている。

そんな放課後の、生徒会室。前日の説明ということで、自分の『共感覚』を説明した市助。それを聞いた千夜子ちよこはソファに深く座り直して腕を組んだ。


「そっか、君も能力者だったんだね? 私はてっきり武道だけで純粋に凌(しの)いだのかと思ってたよ」


その言葉に、はぁ、と市助がため息をつく。


「はは、能力者って……だから、みんな武道に夢を見すぎなんですってば。普通だったら『殺意を感じる』なんて無理なんですよ……ていうか、香良洲からす先輩って『予知』が出来たんですか?」


僕としてはそっちのほうが驚きなんですけど、と続ける。


「ああうん。でも私は君と違って生まれつきだし、結局は勘が少し鋭いだけなんだけどね。君の場合は感情を感じて、私は――言ってみれば、結果を『見通す』、ってところかな」

「結果、ですか」

「そう、感覚的には『読む』んだけど……でもまあ、今の君にはどうでもいいことか」

「?」

「気にしなくていいよ」


言葉と同時、そうですか、と市助が答え、席を立つ。

その表情はどこか暗く、明らかにアリアを気遣っていた。


今の彼の心の中には自分の同類を見つけた喜びも、それどころか予知能力を持った人間への興味すらもない。

ただその視線も意思も、アリアにだけ向いていた。


「なら、僕は部の仕事があるんで……アリア、本当に気にしなくていいからな?」


言って、市助はアリアを気にしながら部屋を出る。

残された千夜子はともかく、アリアは明らかに消沈していた。

あの後彼女は全て――すももが愛する自分を手に入れるために市助を殺そうとしたことを、本人から聞いた。

――そして、その衝撃から覚められないまま今に至る。

自分が愛されて。

幼馴染が嫉妬されて、

幼馴染が殺されそうになって。

そして自分は……何も知らずに、協力してしまった。

無知という罪の呵責が、彼女からかつてないほどに覇気を奪う。


「本来、この話はもっと大きくなる筈だったのさ」

「…………」


音の消えた生徒会室で、千夜子ちよこが言う。

アリアは何も言わず、何も言えない。

彼女の心境を思えば無理もないが、千夜子ちよこはそれを知ってて無視し、言葉を続ける。


「明らかに異常な、事件に関わり放題のこの学園で……君は、よりにもよって一番つまらない役者と一番有能な役者を出逢わせたんだよ。で、その演目はくだらない恋物語? 本当に、君は何がしたかったんだい」


よしんば君の誤解通りだったとしても泥沼でしょ、と千夜子は言う。それに対してアリアが、


「べ、別に私は、市助のことなんて……」


その言葉を言った瞬間、カン! と机がカップで叩かれた。

その衝撃で破片と少量の中身が飛び散って、アリアは体を震わせて無言になる。その眼は見開かれ、怯えていた。


「……もういい加減にしなよ。昨日、市助君が無事だって知った時、君は大切な後輩が気絶したことよりも、そっちを喜んだんだからさ。いい加減素直にならないと、怒るよ?」

「……ぁ、そ、その、それは、」

「言いたいこと、解るよね? なら、ちゃんと言って?」

「わ、私は……が、その……」

「聞こえないんだけど」

「い、いっちゃんのことが……好き、です」

「……よくできました」


脅された告白という、異常な光景。

強制された辛さが、抗えなかった怖さが、彼女の涙の堰を切る。


「……行って。しばらく君とは会いたくない。とっとと市助君に愛されてきなよ、あの子はもう『普通』だけど、君よりは遥かにいい子だからさ」

「……っひ、ぅ……」

「何してんの? ほら、早く……出てけっつってんだよ!」

「…………っ!」


その手に鞄も取らず、涙をこらえてアリアは駈け出した。その先には彼がいるだろうが、彼女にとってはどうでもいい。


「萌えない萌えないって思ってはいたけどあれほどとはなあ……まったく、だから凡人は大嫌いなんだよ」


だん、と足を机に乗せ、生徒会員でもないのに彼女は一人この部屋を使う。

何が面白くないのかといえば、あの男子――市助があの程度で『終わった』ことだ。もうこれからは生徒会長との愛にでも生きて、適度に幸福で彼女的には全然面白くない人生を送るだけだろう。

それが、何よりつまらない。


「何でみんな……普通なんだよ……」


――予知能力。

彼女の持つそれは、相手の『結果』を見る力。

『結果』とは対象の意思が変化した瞬間にすぐ変わる不安定なものなので先見性は低いが、それでも他人より二分程度早く、他人より遥かに多くの他人の『未来』を知る。

その力は、彼女の立ち位置を『普通』から引き離していた。


「ああ……もう!」


『普通』から拒絶された彼女が投げ捨てたカップの欠片が、音を立てて砕け散る。

長い革張りのソファに顔を埋めた彼女は苛立ちながら、また『誰か』の心当たりを探し始めた。


――一人にしておくと、ろくな『結果』を生まない『誰か』は、ここの生徒の親族に多い。


あとはその『誰か』をより最悪な『結果』まで誘導して、その過程で一線を超えさせる。そんな彼女の遊戯が、またしても始まろうとしていた。

おそらく一ヶ月もすれば、どこかの誰かが殺されるだろう。二ヶ月もすれば、誘導された犯人は警察に捕まるだろう。

彼女は、今まで何回もそうやってこの学校の生徒の親族を犯罪者にしてきた。しかしそんな遊びをいくら続けても、彼女の心は満たされない。

その事に、未だ彼女は気づかない。

彼女の脳裏に、さっきの二人の言葉が、顔が、見たくもないのに見せつけられた幸せな結果がこびりつく。

カップを叩きつけた程度でそれが消えるはずもなく、普段の仮面をかなぐり捨てて彼女は叫んだ。


「うらやましくなんかない! あんな奴ら、絶対にうらやましくなんかないんだからああああああああああっ!」


主人公もヒロインも追い出して、『普通』から引き離された彼女は一人、泣き叫ぶ。


「わあああああああああああああああっ!」


防音壁に囲まれた生徒会室の、彼女の涙を見る者は誰もいない。

本来、役どころ的には悪役である筈の彼女は今回何もせず、何もできず、単なる解説者だったけど――それでも、きっとこれは、彼女の話だ。


おしまい

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きっとこれは彼女の話 ほひほひ人形 @syouyuwars

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