罪の意識はあるか

 九


 城南川のほとりに停まる軽トラック。荷台に大量のゴミ袋が積載され、『可燃』『不燃』『危険』といった具合に油性ペンで明記されている。

 周囲に人の気配はない。すると、軽トラックの後方より人影が近付いた。その人物は辺りをきょろきょろと見回し、人の目がないことを確認すると荷台に足を掛けた。軽やかな身のこなしで荷台に乗り、『危険』と書かれたゴミ袋に手を掛ける。

「見つからないと思いますよ?」

 遠野さんが声をかけると、その人物はハッとして顔を上げた。どこから声がしたのか把握できていない様子だ。

 周囲に注意を向けるあまり、車内への注意が散漫となっていたようだ。遠野さんが運転席から降りる。

 俺は遠くからその様子を監視し、遠野さんの合図に応じて軽トラックへと近付いた。荷台の上でその人物は唖然あぜんとしている。

「お望みの物はこれでしょう――?」

 遠野さんの手には、俺たちが危険ゴミとして捨てたブランド物のオイルライターが握られていた。


 話は数分前にさかのぼる。集めたゴミを運搬しようとしていた『あいおい星』の方は、近くの蕎麦屋そばやへと向かった。鍵の紛失騒動で昼食を取り損ねたようだったので、俺たちが『美味おいしいお店があります』と勧めたのだ。

 清水さんは鍵を盗んだ犯人によって軽トラックが盗まれることを危惧していた。そこで、遠野さんは罠を張ることを提案した。

「清水さんたちがお昼に向かったと知れば、犯人は安心して姿を現すでしょう。そこを俺たちが取り押さえます」

 当初、仲田さんは渋っていた。俺たちの身を案じてくれたのだ。だから、遠野さんは仲田さんではなく清水さんへと訴えかけた。

「鍵を盗んだ人を野放しにはできません。協力させてください」

 清水さんの性格上、犯人を許すことなどできないだろう。案の定、遠野さんの作戦にのってきた。

「仲田君、悪いことには悪いと言わないといけないのだよ」

 清水さんの後押しもあり、仲田さんは渋々承諾した。俺たちが鍵を持っていないことは証明済みだ。仮に俺たちが犯人だったとしても、軽トラックに何かあれば、自然とそれはわかる。仲田さんにとっても悪い話ではないはずだ。

「遠野君、これを」

 仲田さんは遠野さんへと軽トラックのスペアキーを渡し、

「身の危険を感じたらすぐに逃げること。いいかい?」

 と言った。

 信頼には信頼で返す。遠野さんはそうやって生きてきた。遠野さんは目を丸くしながらも、スペアキーを左手でぎゅっと握り締めた。


 話は今に戻る。遠野さんは運転席から降り、俺はその横に並んだ。荷台の上に立っている真田さんを見上げ、遠野さんがオイルライターをひらひらと振る。日差しに反射し、まばゆい輝きを放つライターに真田さんが思わず目を細める。

「な、何の話? 俺はただ、ゴミの分別が不安だったから確認していただけで……」

「みんなに黙ってこそこそとやることじゃないでしょう?」

 意地悪な物言いだ。遠野さんは真田さんが認めるのを待っているのだろう。

 やがて真田さんは観念した様子でがっくりと項垂うなだれた。


 昨夜、真田さんは城南川の河原にて友人らと一緒に花火で遊んでいたのだろう。そして、オイルライターを落としてしまった。

 ライターはブランド物だった。佐倉さんの父親が持っていたように、社会人が持つような代物だ。おそらく真田さんも親の持ち物を拝借したのだろう。

 花火のためにわざわざブランド物を持ち出す者はいない。あくまでも金属製のオイルライターを使う主目的は別にあった。

「高校生にライターは不釣り合いですよ」

 遠野さんが目を細め、オイルライターを見つめる。その表情は名状しがたい感情にいろどられていた。憐憫れんびんか、軽蔑か、はたまた怒りか。俺はその表情かおを一度だけ見たことがある。

「誰にも相談できなかったんですか?」

 遠野さんが真田さんへと疑問を投げかける。どの点についてたずねているのか、俺には判断がつかなかった。オイルライターを持ち出す経緯についてか、オイルライターを探す手段についてか、それよりももっと前の根本的な問題についてか。

 真田さんは一言、

「言えるわけないだろ」

 とだけ答えた。それは質問全てへの答えのように思えた。

「ライターを見つけて、どうするつもりなんですか? 元の場所に戻るんですか?」

 俺は遠野さんの物言いに違和感を覚えた。親に返すなら、『元の場所に』が正しい。『元の場所に』ではない。 

「仕方ないだろ」

 絞り出すように真田さんは答えた。言葉だけではわからないけれど、真田さんの表情、声音、雰囲気から、真田さんは真意は汲み取れた。

 元の場所に戻したいけれど、元の場所には戻りたくない。


 真田さんはオイルライターを落としてしまったことを誰にも相談できなかった。親にも友人にも、そして『あいおい星』の方にも。後ろ暗い思いがあったからだ。

 だから、真田さんは仮病まで使って矢次さんと役割を交換し、分別係としてゴミ袋の中からライターを探した。それほどまでにライターは大切な代物だったのだ。あるいは、親にとって大切な代物だったのかもしれない。

 不燃ゴミを担当したのも真田さんの立候補なのだろう。しかし、真田さんは佐倉さんと同じ勘違いをした。

 三ツ谷市では、ライターは不燃ゴミではなく危険ゴミに分別される。しかし、真田さんがそのことに気付いたのは、朝霧先輩の話を聞いた時だった。既にゴミの分別確認作業は完了しており、ゴミ袋も軽トラックへと積み込み始めている。焦った真田さんは、咄嗟とっさに仲田さんのセカンドバッグから軽トラックの鍵を抜き取った。

 真田さんは下唇したくちびるを噛み締め、左ポケットから軽トラックの鍵を取り出した。

「……まさか、スペアキーがあるだなんて思わなかった。鍵さえなければ出発は遅れる。業者を呼んでいるうちに、こっそり探そうとおもっていたのに」

「だからと言って、放火は良くないと思います」

 遠野さんの発言を受け、真田さんはおもてを上げた。右ポケットを手で押さえ、目を白黒させている。遠野さんは、しかし意外そうな顔で俺を見つめた。

越渡こえど君は、だからこんなことを?」

 こくりとうなずき、俺は後を引き継いだ。

「出発を遅らせることができないなら、出発できなくすればいい。探し物がここにあることはわかっているんです。なら、燃やしてしまうのが手っ取り早いでしょう。ライターは持ち歩いているでしょうから」

 真田さんはライターを常用している。よって、オイルライターを失くしたのなら、今は別のライターを所持していると考えられる。そもそもブランド物のオイルライターは単なる見世物として持ち出したのだ。火をつけるために使うとは思えない。

「確かに探し物は見つかるでしょう。小火ぼや騒ぎに乗じればいいのですから。ですが、ガソリンに引火すれば、人的被害が出なかったとしても、被害額は莫大なものになります。それに比べれば、正直に事情を話したほうが安いのではないでしょうか」

 真田さんは奥歯を噛み締め、忌々いまいましそうに、

「それができたら苦労しないんだよ」

 と口にした。

「『ゴミ袋の中に携帯を落とした』とか言えば、中身を見せてくれるかもしれない。だけど、俺は今日、馬鹿正直にボランティアに協力しちしまった。仲良くお喋りまでしてしまったんだよ。どんな言い回しをしたって、どうせ『一緒に探すよ』と言われるのがオチだ。詰んでるんだよ、もう」

 はじめから『昨日ここで携帯電話を落としたかもしれない』と伝えていれば、一人でゴミ袋の中身を確認させてもらえたかもしれない。あるいは、親からの借り物であろうとも知らぬ存ぜぬを貫けば、自らの罪が露見することはなかっただろう。

 けれど、真田さんは責任を感じたのか、自らの手で探そうとした。真田さんはのだ。

 肩を落とし、気力を失った真田さんを前にして、遠野さんは軽トラックの荷台へと軽やかに飛び乗る。

「真田さんには、悪いことをしている自覚がありますか?」

 真田さんは押し黙った。

 遠野さんは真田さんを正面から見つめ、構わずに続ける。

「このライターが元凶なら、無いほうがいいじゃないですか?」

 オイルライターが親にとって大切なものであれば、真田さんは親の信頼を失うだろう。用途を問いただされ、失望されるに違いない。

 しかし、ライターを取り戻し、親を騙し通すことができたとしても、真田さんが盗みを働いたという事実は消えない。少なくとも『あいおい星』の方から白い目で見られるだろう。下手をすれば、学校あるいは所属組織へと連絡される。親に伝わるのも時間の問題だろう。ならば、ライターなど見つからないほうがいいのではないだろうか。仮に真田さんが『悪友』に指示されていただけなのだとしたら、問題の火種となったこのライターはほうるるべきなのかもしれない。そうすれば、『悪友』との縁を切る良い口実となる。

 遠野さんが手を差し出すと、真田さんは大人しく軽トラックの鍵を渡した。

「仲田さんたちにどう説明するかは、真田さんにお任せします。ただ」

 遠野さんは逡巡しゅんじゅんし、

「こんなことで台無しにしないほうがいいと思います」

 と言って荷台から降りた。

 真田さんはきつく目をつむっていた。


 その後、真田さんは仲田さんへと正直に真相を告げた。自分が犯した罪、そして探し物があるこということを。

 清水さんは真田さんを厳しくしかった。城南川の向こう岸に届きそうな剣幕だった。

 矢次さんは何も言わなかった。真田さんの仮病に騙された形となったけれど、言いたいことは清水さんが全て言ってくれたようで、柔和に微笑むばかりだった。それは真田さんにとって、耐え難い苦しみだったと思う。

 そして、鍵を盗まれた張本人である仲田さんは詳しい事情をかず、真田さんへとオイルライターを手渡した。

「大切なものを見誤らないように」

 震える手でライターを受け取った真田さんは、何か思い悩んでいる様子だった。

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