紛失したことによる実害

 八


 昼食を食べている間、遠野さんは何事もなかったかのようによくしゃべり、よく笑っていたけれど、ふとした瞬間に難しい表情を見せた。きっと仲田さんの件について考えているのだろう。誰が何のために軽トラックの鍵を盗んだのか。

越渡こえど君、どういうことだろう?」

 だから、はじめ先生たちと別れた後、そう切り出されたことに驚きはなかった。自転車を停めている河原へと向かいつつ、俺は応じる。

「情報を整理しましょうか。仲田さんは軽トラックを運営スペースの裏に停め、鍵をセカンドバッグに入れてイスの上に置きました。分別担当の方がいた辺りですね。

 作業を終え、仲田さんたちは荷台にゴミ袋を積み込みました。そして、いざ運転席に乗り込もうとしたところで、鍵が無いことに気付いたのでしょう」

「仲田さんは大事おおごとにする気はないと言った。つまり、関係者の誰かが盗んだと考えているんだ。いくらふところが広い人でも、見ず知らずの他人に鍵を盗まれたとなれば、さすがに警察に通報するだろう?」

 俺は頷いて、

「運営スペースには清水さんや栗本さんが常に待機していました。不審者が近寄れば、『あいおい星』の方が気付くでしょう。俺たち参加者にも近付く機会はありましたが、栗本さんたちに気付かれずセカンドバッグから鍵だけ抜き取るのは難しいでしょう」

 と遠野さんの推理を裏付けた。

 河原に戻ってくると、清水さんをはじめとした『あいおい星』の方の姿が見受けられた。スペアキーが届いたところなのだろう。仲田さんが同年代の女性と話している。あの方が奥さんに違いない。呆れた様子だけれど、怒っている雰囲気ではない。

「仲田さんの意思を尊重しましょう」

 俺は自転車に鍵を差し込んだ。遠野さんとはここでお別れとなる。徒歩の遠野さんに合わせ、自転車を押して帰ったこともあるけれど、この日差しの下を一時間近く歩くのは疲弊ひへいした身体には厳しい。

「そう、だな」

 遠野さんがあごに手を添える。納得いっていない様子だ。遠野さんは違和感に絡まる意図を解明したがる。それは、意図を汲み取ることで誰かの不幸を回避できる可能性を願っているからだ。自らの行動が悪い結果につながるとは微塵も考えていない。いや、そうならないよう選択肢を増やしたがっているのだ。

 お人好しだと思う。そんな遠野さんを無視できない俺も、傍から見ればお人好しに映るのだろう。俺は上げたばかりの自転車のスタンドを立てる。

「もう少し状況を整理しましょうか」

 遠野さんの顔がぱあっと晴れてゆくのを、俺は呆れながら見つめていた。


「軽トラックの鍵が紛失した状況は先ほど話したとおりです。では、鍵が紛失したことによる実害を考えましょう」

「軽トラが使えなくなるな。中に入れないし、動かせない」

「そうですね。そもそも軽トラックは何のために用意されたものでしょうか」

「ゴミを運搬するためだな。わざわざあの軽トラを使うくらいだ。他に持っている人がいなかったんじゃないかい?」

 仲田さんの軽トラックは年季が入っており、お世辞にも綺麗とは言いがたい。いつ壊れてもおかしくないような外観をしている。

 俺は頷いて、

「かもしれません」

 と言った。

「すると、軽トラックを使えなくなったことで、ゴミを運搬できなくなったということですね」

「だが、仲田さんの奥さんがスペアキーを持ってきたから問題は解決した」

 遠野さんが離れた位置に停められた軽トラックへと視線を投げる。『あいおい星』の方が荷台にゴミ袋をせている。

「それはスペアキーがあったからです。スペアキーがなければ、業者を呼ぶしかなかったでしょう」

「そうなると、もっと時間がかかっていたかもしれないな」

 俺は頷いて、

「しかも、鍵を盗まれたならキーシリンダーを替えなければなりません。そうなれば、費用は安くないでしょう」

 と続けた。

「仲田さんのあの感じだと、そのまま使いそうですが」

「言えてるな」

 遠野さんが宙に視線を彷徨さまよわせる。

「業者を呼ぶと、時間もお金もかかる。仲田さんを金銭的に困らせるためだとすると」

「俺たちの出る幕はありませんね」

 俺は首を横に振った。

「遠野さんが考えるべきは、出る幕がある場合のことです。要は、仲田さんを困らせる以外に意図があった場合のことです」

「となると、お金じゃなく時間がキーになりそうだな。軽トラの出発が遅れることで何が起こるのか」

「『あいおい星』の方を足止めできます。あとは、ゴミ自体の足止めでしょうか」

「『あいおい星』の人たちがこの後何か大切な用事があるかもしれない、ということかい? それの邪魔をしたいと?」

「竜王戦があるかもしれませんね。対戦相手による妨害工作です」

 俺が冗談を口にすると、遠野さんは、

いてくる」

 と言って、『あいおい星』の輪の中へと飛び込んでいった。行動力がすごい。

 数分後、遠野さんは駆け足で戻ってきて、

「竜王戦の予定はないらしい」

 と笑った。

 遠野さんなりの冗談だろう。俺も笑い返す。

「他に目立った予定もないそうだ。買い物に行くとかそういうのくらいだったよ」

「となると、『あいおい星』の方は関係なさそうですね」

「ゴミはこの後集積所に持っていくらしい。そうなれば、ゴミはすぐに処分される。財布とか携帯といった明らかな落とし物は警察に預けられるらしいがね。清水さんが別ルートで持っていくらしい」

 確か朱田あけたさんも同じことを口にしていた。朝霧先輩の撮った写真を見ていた時のことだ。

「明らかな落とし物、ですか」

 逆に言えば、明らかな落とし物でなければ処分されるということだ。その判断はゴミを拾った者に委ねられる。栗本さんからすればブランド物のオイルライターはゴミでしかなかったけれど、朱田さんからすれば貴重品だった。結局、俺たちの判断で危険ゴミとして捨てたけれど。

 頭の中で情報を整理する。どうして鍵を盗んだのか。言い換えれば、『鍵を盗んだことでどういった利点があるのか』ということだ。スペアキーが見つかった以上、軽トラックは盗めない。第一、金目のものが入っていないのだ。車自体も古く、値打ちがあるとは思えない。仲田さんに害があれど、盗んだ本人には利がない。それどころか、予定が遅れるという害をこうむる羽目になる。鍵は運営スペースに近付くことができた『あいおい星』関係者にのみ盗むことができるのだ。

 ならば、軽トラックを動かせないという実害が、鍵を盗んだ本人にとって利となるのだろう。ゴミ運搬の足止め。ゴミ処分の見送り。貴重品の確保。

「越渡君、わかったのかい?」

 表情に出ていたようだ。俺はうなずいて、軽トラックへと視線を投げた。仲田さんが軽トラックの運転席に乗り込もうとしている。

「遠野さんの出番です」

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