第55話 リリー・ハロウィンという女

 幼少期のころのとある町で育ったリリー・ハロウィンは笑顔を絶やさないとても人懐っこい性格の持ち主だった。


 親が金持ちでも名家の生まれでもない彼女だったが、純粋無垢な笑顔は多くの人を魅了し同年代のみならず年が離れた大人からも好かれていた。


 友達も多く毎日遊んでは、周りから「元気で活発な子」と思われていた。


 そして両親からも愛情をたくさん注がれていた。


 毎日両親から愛でられ、おいしいご飯を作ってもらい、笑顔を見せれば両親も笑顔を返し抱き寄せて頭を撫でる。金持ちでもない平凡な家柄だったが、どこの家庭よりも幸福に恵まれた家族だったと言えるだろう。


 遊びだけでなく勉強も良く出来る子で、よく両親から褒められていた。そんな娘を持った両親も自慢の娘だと周りに言いふらしていただろう。


 当時のリリーも親の愛情をこれでもかというほど感じており、不満など何ひとつない環境だった。


 両親に恵まれ友達や周りの大人たちにも恵まれ、そして彼女の性格も明るい。このまま大人になれば、きっと性格の良い清楚なお嬢さんになるだろうと噂されていた。


 しかし、その噂もとある事件をきっかけにぱったりと聞かなくなる。


 その日、リリーは友達の家で遊び終え、そしていつも通りの時間に家へと返ってきた。


 いつもなら「おかえり」という母親の声と、早く娘を抱きよせたい一心で玄関へと向かってくる父親の出迎えがあった。


 しかしなぜかその日はなかった。


「お父さん? お母さん? いないの?」と玄関から声をかけるが返事が返ってこない。


 きっと買い物かどこかに出かけているのだと思っていた。


 そしていつもようにリビングへの扉を開けたときだった。


「——えっ……」


 目の前の光景が一瞬どういう意味なのか、幼い彼女には理解できなかった。


 しかし、本能的に父親と母親は……、死んでいると何となく分かった。


 床には鮮血が飛び散り、その上に両親がうつぶせで倒れている。


 幼い子供にとってトラウマのなにものでもない光景だった。


 そして目の前の光景を理解し始めたとき、彼女は恐怖心と愛しの人物を失った悲しみといった感情が一気に襲い掛かりその場で気絶した。


 それからのことは、リリー自身もあまり覚えていない。


 覚えているのは、遠方にいる父方の祖父母のところに引き取られたこと。両親を殺した犯人が見つかっていないと耳にしたこと。そして、笑顔を作る気力すらなくなり外に出ることすら億劫になったこと。


 目を瞑れば両親の死体が転がった光景が脳裏に浮かぶ。そのたびに目を覚まし、眠れぬ夜を過ごしては日に日に疲弊していった。


 そんな日々が続いたある日のこと。祖父はとあることを彼女に尋ねた。


「強くなって両親の仇を取りたいと思わないか」


 彼女はすぐに答えを出せなかった。どう答えれば自分の気持ちと向き合えたと言えるのか分からなかったから。


 その日から毎日、祖父は同じ質問を彼女に尋ねた。


 何度も同じ質問に嫌気が差していた彼女は、イライラを覚え祖父に「なぜ、同じ質問をするの!」と言葉を返した。


 すると祖父はこう答えた。


「強くなればこれから起こる悲惨な未来も自らの変えられるようになる。両親の仇を取ることもできるやもしれぬ。強くなれば何もかも変えられるのだ。己自身もな」


 その言葉を聞いたリリーは内容をよく理解できなかったが、自分の中でなにかストンと納得がいく心地を感じていた。


 そして彼女は「強くなりたい」と祖父に申し出た。


 それからというもの、リリーは祖父に剣術の基礎を教えて貰った。


 祖父は剣術の道場を開いており、幅広い世代の人々に強くなるコツを教えている。そして祖父自体も若いころにとある町の自警団をしていた経験があり、剣術の腕には自信があった。


 天性の能力か成長スピードは凄まじく、半年が経過するころには剣術の腕前は道場の門下生たちを一網打尽にするほどだった。


 そして、過去のトラウマも克服できるまでに性格も成長していった。


 強さを手に入れた彼女。しかし同時に失ったものもある。笑顔だ。


 彼女の特徴とも言えた笑顔。彼女には不要となった特徴で、強くなったころには笑顔など一切見せず、逆にクールで感情を表に出さない人間になっていた。


 修行を始めてから、数年が経過。


 強さを極めた彼女は、祖父の道場を卒業し剣術の道で食べていくために傭兵となったのだ。


 傭兵になればあらゆる人物から依頼が舞い込む。


 依頼を遂行しつつ、両親の殺害事件についてなにか手掛かりになるものはないかと探し回ることにしたのだ。


 もしかしたら依頼者の中に、事件に関与している人物がいるかもしれない。そういった可能性を考慮しつつ、傭兵となったのだ。


 最初は小さな町で傭兵業を営んでいたが、より情報を得られる地方都市『ファルン』の傭兵ギルドに身を移した。


 王都の方がより多くの人物と関わることができるのだが、ある程度の実績を残さないと王都の傭兵ギルドには所属できない。


 だからこそ実績作りも兼ねてファルンに身を移したのだ。ファルンなら審査が甘く並の実績があれば傭兵ギルドに所属できる。


 そして現在に至るまでリリーはファルンで傭兵をしている。冷徹なロボットのように。


 そう、ハルと出会うまでは。



 ※



 一連の話を聞いてハルは、どう言葉をかけていいか分からなかった。


 彼女の予想以上に重い過去。内容が辛すぎるがゆえに、ハルはそっと隣に座ってあげることしかできなかった。


「私はこれからも、傭兵として生きていくのだと思っていた。機械のように歯車のように依頼を受けてはその指示に従う。だが、それをハル、貴様は変えた」


 一体何のことを言っているのか理解できずにいるハルは頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。


「貴様は私をただの傭兵として見なかった。それどころか私を頼り、師匠になってくれと懇願した」


 リリーは続ける。


「強くなって親の仇を取ることに固執した人形のようだったと自分でも思う。だが、ハルが私を師匠として崇めてくれ、頼ってくれた。人と深く関りこれほど気持ちの良い気分になったのは久しぶりだった」


 ハルはじっと黙って聞いている。


「ありがとう、ハル。こんな私を師匠と呼んでくれて」


 その言葉にハルは一言「うん」とだけ答えた。


「少し話過ぎた。言葉に甘えて少し仮眠を取らせてもらう。それと、仮眠に入る前にひとつやらねばならないことがある」


「やらなければならないこと? それってなn——」


 一瞬何が起きたかハルには分からなかった。しかし、理解したときには目と鼻の先にリリーの顔があることに気が付いた。同時に、自分の口とリリーの口がお互いに密着していることを理解した。


 口の中に広がる茶の香りと、ほのかに甘い香りが入り混じって口内を漂う。その香りはとても心地よくリラックスできるものだった。


 しばらく香りが口内を漂ったあと、リリーの顔が離れ彼女はそのままくぼみの奥にいき体を横にした。


「強い奴は好きだ」


 そう言い残し彼女は瞼を閉じた。


 ハルはただ呆けた顔で、空を見上げることしかできなかった。

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