第48話 最初の1歩

 自室を出て宿屋のエントランスホールに向かうと『彼』はいた。


 そう、『ハル・フワーロ』である。


 彼はイーチノとテーブルを囲い2人はボデュから出された目覚めのコーヒーを飲んでいた。


 そんな彼の姿を陰から覗いてみているマリーは、いつものクールな表情が崩れ妙に頬がほころんでしまっていた。


 昨晩のこともあり『恋』をしていると自覚していると緊張してしまう。彼女は一度深呼吸を行い、満を持して2人の座るテーブル席へと歩み寄った。


「おはようございます、イーチノ様」


「ああマリー、おはようさん。うちらも丁度さっき起きたばかりだ。一緒にコーヒーをどうだ?」


「では、お言葉に甘えて……。ハル……おはちょうございます」


「——プッ!」


 一日の大事な第一声を緊張のせいで噛んでしまったマリー。


 そしてハルは飲みかけのコーヒーを反射的に吹き出してしまう。


 普段ならこんなことで笑ったりしないのだが、普段とのギャップからか思わず吹き出してしまったようだ。


「アハハ。マリー、どうしたの? 言葉を嚙むなんて珍しい。それになんかいつもより顔がこわばってるよ……」


 瞬間、マリーは目の前のテーブルに自分の頭を思いっきり叩きつけた。


「フンッ! フンッ! フンッ!」


 3、4回叩きつけた後、彼女は何事もなかったかのように視線を上げる。


「ハル、おはようございます」


 そして、当たり前のように挨拶をする。


 その後、ハルたちが囲むテーブル席に座る。本当に何事もなかったかのように。


「お、おはよう……マリー」


 今回の奇行に対してはさすがにハルも少し身を引きつつ挨拶を返す。対しイーチノは高笑いしていた。


(マ、マリーがおかしな挙動をしていたような……。いやいやそんなはずはない。きっと何かの見間違えだ。テーブルに頭を打ち付けるなんて奇行するはずない。きっと幻覚でも見ていたんだ)


 普段の言動や行動と違いすぎる彼女の奇行に、とうとうハルは目の前で起きたことが幻覚だと思い始めた。目をグルグルとは回し、まるで催眠術にもかかったかのような表情を見せる。


「なんだい、ハル。マリーの奇行が幻覚とでも思ったのかい」


 目の奥を見透かされていた上に、奇行は幻覚ではなかったようだ。


「マリーは完璧主義なところがあってな。失敗すると奇行に走ることがたまにあるんだ。1年に数回しか起こりえないことだからな、見られただけでも幸運ってものさ」


 イーチノ曰く、マリーの奇行とも言える行動を目にできるのはとても珍しいことだという。というのも普段些細な失敗などしないからだ。


 今回で言えば些細な言い間違えが、完璧主義の心を壊し奇行へと走らせた原因と言えるだろう。


「店主、私にもコーヒーを一杯ください」


 彼女の中ではきっと、あの奇行は記憶から抹消されているのだろう。


 なんと都合のいい脳なのだ。


 ボデュは怯えるように震えながらマリーの前にコーヒーの入ったカップを置く。


 あんな奇行を見せられては怯えるのも、仕方がないだろう。


 そんなボデュに対しイーチノは視線を向け、自分の目線の高さで手のひらを縦にし軽く謝罪を入れる。それに対しボデュは深々と頭を下げ、その場を立ち去った。


 差し出されたコーヒーをマリーは一口飲む。


 口に含まれた瞬間、彼女口角が少しばかりほころんだ。


 カップを置くと、視線をハルへと移す。


「ハル、あなたはこれからどうするつもりですか。ハルゴ村に行くとは聞いていますが、ひとりで行くつもりですか?」


「あー、そのつもり。一ノ瀬組の人たちはこの街の管理やゴルデリック配下の冒険者たちへの教育やらで忙しいだろうし、頼れるような仲間もいないから、ひとりで行くつもりだよ。もちろん、今のままではいかないよ。しばらくリリーに修行を付けてもらって実力を付けてから行くつもり」


「では、出立まではまだ時間があるということですか」


「そうだね。イーチノとも相談したけど、これは僕自身の問題だから。自分で解決しないと」


 ハルの言葉を聞き終えるなり、マリーは再度コーヒーを口にする。今度は先ほどよりも少しばかり多めに。


 そして意を決したかのように目を見開き、ハルへと視線を向ける。


「わ、私がそのハルゴ村やらへと同行しましょう」


 マリーは再度コーヒーを口にする。先ほどと違うのは、少しばかり頬が紅潮していることだ。


「ど、同行!? 急にどうしたの!?」


 思いもよらない申し出にハルは驚きを隠せず、驚愕の表情を見せる。


「今の一ノ瀬組はブラックファングとの抗争を終えたばかりで忙しいでしょ? 現に構成員たちは毎日バタバタと動いているし。マリーにだってやることが……」


「私が同行をすることに不満があるのですか?」


「ふ、不満はないけど……。マリーは強いし、頼もしいから助かるけど……」


 そう言い淀むとハルは恐る恐るイーチノへと視線を向ける。彼女はふたりの話を黙って聞きながらコーヒーを飲んでいた。


 こればかりは一ノ瀬組リーダーのイーチノの判断を仰ぐしかない。マリーも一ノ瀬組の一員である以上、個人のわがままでクエストに同行することなど許されるはずがないからだ。


 きっとダメだと言われるだろう。


 そう言われると分かっていてもハルはイーチノに同行の有無について問いかけようとした。そのときだった。


「イーチノ様、昨晩お話をした通り私はハルにとある感情を抱いております。この感情を無下にするようなことはしたくありません。ですから、サイコ化から救ってくれたお礼も兼ねてハルのクエストに同行させていただくことはできないでしょうか」


 マリーが先に口火を切ったのだ。


 どうしてそんなにもクエストに同行したがるのか、ハルには理解できなかったがマリーは必至で訴えかけていた。


 数秒間沈黙が訪れた後、イーチノが口を開く。


「マリー。例の感情があるってことを認めたってことかい?」


「はい。昨晩自室へと戻った後、考えに考えそして翌朝、目を覚ましたときも本当にそんな気持ちがあるのか考えました。そしてイーチノ様の言う通り、私はハルに純粋な感情を抱いているのだと結論付けました」


「そうかい。マリー、手前はこのクエスト同行を皮切りに自分の感情を気づかせたいってことでいいんだな?」


「その通りですイーチノ様。最初の一歩とも言うべきでしょうか」


 再び数秒間の沈黙が訪れる。そして、イーチノは答えを出した。


「行ってきなマリー。それが手前の考える最初の一歩だと言うんだったら、実現してみるといい。なぁに、うちだってそれほど大切な気持ちを無下にするほど鬼じゃない」


「——! ありがとうございます! イーチノ様!」


 マリーは口角を小さく上げながらイーチノにお礼の意味を込めて頭を下げた。


「ハル、すまねぇがクエストに同行するまでの間も、手前の傍にマリーを置いてやってくれねぇかい」


「えっ、僕は構わないけど、イーチノはいいの? イーチノには護衛が……」


「なんだい、うちがそこらの雑魚に負けるとでも思っているのかい? うちの実力を傍で見ていた手前が一番よく理解しているんじゃないかい?」


「まぁ……そうだね。気持ちが云々とかよくわからないけど、クエストに同行するまで一緒に行動するよ。その方が後々阿吽の呼吸で連携を取りやすくなるかもしれないからね」


「ありがとうございます。では、よろしくお願いいたしますね、ハル」


 マリーは自分の『恋』という気持ちに気づいてもらうため、最初の一歩を踏み出せたことに思わず顔がほころんだ。

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