第44話 宿屋にて
自室で出来る身支度を終えたハルは扉の前に立つ。
「……」
だが、出づらい……。
ドアノブに手を掛けることすら躊躇するほどにだ。
扉が狭くてだとか、経年劣化で扉がガタついているなどという物理的な理由ではなく、心境の問題でだ。
2日間意識なく眠り続けており、加えて傷の治癒のためさらにもう1日眠っていた。つまり合計3日間、イーチノを除く他の人と一切顔を合わせていないことになる。
3日もの間、顔を合わせていない状況で仲間とどんな会話を切り出せばよいか分からない分からいため、なんとなく気恥ずかしいのだ。加えて、知り合ってから日が浅い。みんな他人行儀になるんじゃないかと不安にもなる。一ノ瀬組構成員、ボデュやアリア、そしてマリー、思い浮かべられる人物だけでもかなりの人数がいる。
特にマリーとは本気で一線を交えた間柄なので、いっそう顔を合わせづらかった。
サイコ化していたとはいえ、彼女の体や心を傷つけてしまうようなことをしたからだ。もし恨まれでもしていたらどうしようと気が気でなかった。
イーチノがこの部屋に来たあのときにマリーが今どういう心境なのか、聞いておくべきだったと後悔してしまう。
「聞いたところで、『自分の目で確かめるといいさ』と言われるだけかな」
この先には大勢の仲間がいる。共に戦った一ノ瀬組や、この部屋を貸してくれたボデュやアリア、彼を助けてくれた人がたくさんいる。みんな自分のことを心配してくれているのだろうか。
実際に顔を合わせたとき、なんて声を掛ければよいか分からない。元気になったことを全力で踊り、アピールすればよいのか? 落ち着いた表情で何となく声を掛ければよいのか。それとも、あえて軽く声を掛けるだけにとどめて普段通りに過ごせばよいのか。解決策が見つからないまま数分が過ぎる。
「——ええい! ままよ!」
自分を奮い立たせるように一声を上げるとその勢いのまま、ドアノブを捻り部屋の外へと出た。
最終的にこの場で考えることをが一番無駄な時間だという結論にたどり着いたハルは、結果行き当たりばったりで勝負することにした。
左右に個室の扉が立ち並ぶ廊下。突き当りまで進んだところにある階段を下りれば、みんながいるであろうエントランスホールだ。
「ゴクリッ!」
固唾を飲み、エントランスホールへ向かって一歩、さらに一歩、歩を進める。愛刀である鞘に納めた刀剣を握り締め、廊下を進む。そして、突き当りまで来たところで左に視線を向けると下る階段が目に入る。
階段の下からは誰の声も聞こえない。もし大勢の人間がいるとするならば、この場で声が聞こえるはずだ。声や大きな物音が聞こえないということは、エントランスホールに多くの人はいないということになる。いきなり大勢の前に出るのはハードルが高いため、幾分かハードルが下がったことは安心できる。
しかし、誰かしらはいるだろう。確実にいると予想できるのは、ボデュとアリア親子。彼らはこの宿屋の主人とその娘なのでいてもおかしくない。そしてイーチノ。彼女とは数分前にあったばかりだらから気恥ずかしさはない。逆に助け舟を出してくれることを願うばかりだ。
最後にマリー。彼女もこの宿にいる可能性が高い。ハルと同じく多くの傷を負っていたため、丁度今しがた動けるようになった頃合いだからだ。そう考えれば、彼女がいてもおかしくはない。
その他、一ノ瀬組の構成員も何人かいると踏んでいる。
誰とエントランスホールで顔を合わせることになるのか、予想を終えたところで階段を降りようとした。そのとき、ドタドタと足音を立てながら誰かが階段を上がってくる。階段は両脇が壁で挟まれ、途中で左折しているため階段の半ばあたりまで登ってくるまで誰が来るのか分からない。
足音は軽快で快活な性格を思い起こさせる。予想からして頭の中に思い浮かぶ人物はひとりしかいなかった。
「ハルさん!」
階段の半ばの角で姿を表したのはハルが予想した通り、アリアだった。
アリアは元気そうなハルの顔を見るなり笑顔で近づき話しかける。
「いつになっても降りてこないから心配したんですよ! さっさっ! みんなに元気な顔を見せてあげてください!」
そういい、アリアはハルの手首をつかみエントランスホールに向かって階段を下る。
そして、彼の石など関係なく半ば強引に、エントランスホールへと顔を出すこととなった。
「やっと降りてきたかい、ハル。またぶっ倒れたかと思って心配してたんだぞ」
最初に声を掛けてくれたのはイーチノ。椅子に座りテーブルに肘をつきながら笑顔で出迎えてくれた。
「ハルさん、元気になられたんですね。よかったです! 快気祝いに何かおいしいデザートでもご用意しましょうか!」
次に声を上げたのはアリアの父、ボデュ。彼はカウンターで食器を洗いながらハルに笑顔を向けてくれた。
「ハル……元気で何よりだ。貴様も意外とタフで安心した。師匠として弟子の見舞いに来て正解だったな」
そして以外な人物、リリーがエントランスホールにいた。腕組をして壁にも足り掛かりながらハルを出迎えてくれた。
人相は悪く心配してくれているのかどうか分かりにくいが、彼女はもともと感情を表に出さないタイプ。あのような態度だが心配はしてくれていたのだろう。ブラックファングとの抗争では敵対していたとはいえ、弟子のことが心配だったのだ。
「ハル・フワーロ……元気そうでなによりですね……」
最後に声を掛けてきたのは、少し遠くの席に座って様子を伺っていたマリーだった。彼女だけはやはり気まずそうにしている。その証拠に一言声を掛けたところで、瞳を伏せてしまっていた。
(……。ここで、マリーを安心させられるような声を掛けられなければ男が廃るというもの!)
ハルは心の中で鼓舞を行う。アリアに手を引いて皆の前に連れ出してくれたことに礼を言い、心配の声を掛けてくれた人、ひとりひとりに歩み寄りお礼の言葉をお返しする。そして意を決して最後にマリーの元へと歩み寄った。
彼は躊躇することなく、マリーの座っている椅子の向かい側に座り、対面するような形で向かい合う。
マリーは瞳を伏せたままで顔を合わせづらいと言った具合だった。
「サイコ化の症状はもう大丈夫なの?」
「ええ、おかげさまで。現状は自分の意思で行動出来ています。気分も申し分ありません」
「そっか、よかった。なにか後遺症とか残っていたら、僕はマリーに笑顔で接することができないところだったよ」
ハルは笑顔でマリーに接し、気まずい雰囲気を少しでも和らげようとした……。途端、マリーがばっ! と勢いよく立ち上がる。
「あの! ハル・フワーロ! ——この度は、本当に申し訳ありませんでした! 私が、私が不甲斐ないがために! ハルに迷惑を……大けが負わせてしまって! 本当にごめんなさい!」
いつも冷血な目をして感情を一切見せないマリーが、涙声で自分の感情をぶちまけるかのように大きな声で謝罪を行い、素早く頭を下げる。
彼女の瞳からはポタポタと落涙し、謝罪と後悔という感情をハルの前で初めて表現した。
そこへイーチノがマリーの隣に立つ。
「ハル、うちからも感謝と謝罪をさせてくれ。うちのマリーを助けてくれてありがとう。そして、すまなかった。うちの監督不行き届きだ。どうかマリーを責めないでやってくれ」
イーチノもマリーと同様丁寧に頭を下げ、謝罪を申し付ける。
「ふ、ふたりとも頭を上げて。マリーも泣かないで。僕は起こっていないし、むしろマリーが何事もなく生活できていることに感動しているんだから」
その光景に、ハルは慌てて頭を上げるように催促する。傍から見れば女の子を2人を男1人が無理やり謝罪させているようにしか見えかねない。
2人はゆっくりと頭を上げる。
「ハル、手前は本当にいいやつだよ。そんな優しい言葉を投げかけてくれるだけで、うちらの肩の荷も下りるってもんだ」
イーチノは満面の笑みをハルに向けながら、マリーの背中をさする。本当は、『よかったな』という意味合いを込めて頭を撫でてあげたいのだろうが、身長差的に無理があるため背中を摩ることで妥協したのだろう。
マリーはというと、赤く目をはらし手の甲で涙を拭っている。
普段感情をあらわにしない人物が、感情を爆発させたときのギャップといったらキュンとくるものがある。それに当てはまるのがマリーで、普段のイメージとは違う彼女の姿にハルは少しドキッとした。
「ハル……優しいお言葉ぁ……ありがとうございます……!」
ギャップ萌えって最強だなってハルは思った。
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