第四章 過去の存在と記憶

第43話 記憶の手掛かり

「んんぅ~……」


 軽く唸るような声を上げ、青年は重くなった瞼をゆっくりと開き目を覚ました。何度か瞬きを行い、寝ぼけた脳みそに空気を送り込むように大きく深呼吸をする。


「ここは……」


 視界がくっきりしたところで一番最初に視界に入ったのは、ボロくしかしどこか風情がある茶色の天井。何度か見たことのある天井だった。


 ベッドがある1室で目を覚ましたようである。ベッドから少し離れた場所にある窓からは光が差し込み机に置いてある花瓶に生けてある花が美しく輝いている。


 ハルはしょぼしょぼとする目をこすり視界をはっきりさせたあと、寝ていたベッドから体を起こそうとする。


「痛ッ!」


 体を斜め45℃ほどまで起こしたとき、腹部からチクリとした激痛が走る。


 その痛みに一度ベッドに倒れこむと、チクリとした痛みはいくらか引いた。


 掛け布団を持ち上げ、痛む部分に視線を向けると薄手の服を着ており、痛みを出す部分には包帯が巻かれていた。その包帯には赤い液体が染み出している。


「何がどうなって、僕はここにいるんだろう……」


 ガチャリ……。


 なぜここにいるのか分からないことに頭を悩ませていると、部屋の扉が開いた。


「おっ、目を覚ましたかい」


 入ってきたのは一ノ瀬組の長、イーチノであった。快活そうな表情で扉を閉めるとハルに声を掛ける。


「傷の具合はどうだい?」


「傷……? あぁ、お腹の痛みって傷からきているものだったのか。さっき、体を起こそうとしてチクリと痛みが走ったよ」


 そういうと、イーチノは掛け布団をめくる。包帯が巻かれている腹部に視線を向け傷の具合を確認すると、再び布団を元に戻す。


「少し傷が開いちまったかね。一応、高濃度ポーションっを使ったんだが、傷が深すぎて、ポーションの力だけじゃ治癒しきれなかった。もう1日か2日安静にして自然に回復するのを待つといい」


「高濃度ポーションはもうないの?」


「悪いが、マリーや他の連中に使っちまった。それに高濃度ポーションは短期間で何度も服用できない。依存症になる可能性があるからねぇ。どちらにせよ、今のハルには使うことはできない」


「そっか……。それはそうと、イーチノ、僕はどうしてボデュが経営している宿にいるの? ベッドに寝るまでの記憶が全くなくて」


 その言葉に、イーチノは笑って見せる。


「あれだけ致命傷を負ったんだ。気を失って記憶がないのも無理はないよ」


「致命傷……。そっか、僕、マリーのサイコ化を止めようとして掴みかかって……そして……お腹を刺されて……それからの記憶がないんだけど、戦いは……、マリー! マリーはどうなったの!?」


「さっきも言っただろハル。高濃度ポーションはマリ―に使っちまったって。あいつは生きてるよ。サイコ化が収まった状態でな」


 その言葉を聞いて安心した表情を見せるハル。自分の事よりも仲間や他の人物のこと第一優先に考える彼にイーチノは快活な笑い声をあげた。


「手前はどこまでお人よし何だか、いい意味でも悪い意味でも呆れてくる。でもあんがとよ。マリーを救ってくれて」


「救った? 僕が?」


「そうだ。手前が救ったんだよ」


 ひと笑いしたあと、イーチノは続けて言葉を紡ぐ。


「今、手前がやるべきことは傷の治癒だ。2日間眠っていたとはいえ、まだ傷は癒えてねぇ。早くても明日、遅くても明後日までは安静にしておくといい。手前が覚えていない部分や現状はうちが説明してやる。ただ今は傷を癒すことに専念しな。説明はその後だ」


「分かった……。しばらく横になっておくよ……」


「それがいい。そうだ、腹は減ってないかい?」


「少し減っているかも、何か柔らかいものが食べたいかな」


「ちょっと待っときな、ちょうどいい物が用意してある」


 イーチノは部屋を出ていくと、数分後にはお盆に食料を乗せて持ってきた。


 それをハルが横になっているベッドの隣にある小さな机の上に置くと、ハルの頭と背中に腕を入れゆっくりと体を起こす補助する。


「少しばかり、傷が痛むかもしれねぇが、我慢してくれ。寝たまま食べ物を口にしちゃあいろいろとあぶねぇから」


「チクッとするだけだから大丈夫だよ。それより、それは……パンとスープ?」


「そうさ。パンをこのまま食べると硬いからスープに付けてふやかして食べるのさ。1人で食べるには……少しばかり辛そうだな。うし、うちが食べさしてやる」


「い、いやいいよ。自分で……」


「けが人は無理をしないのが一番なんだ。ほら、口を開けな」


 半ば恥ずかしそうにするハルに対し、イーチノは全くそういった素振りも見せずスープに付けたパンを彼の口許へと運んでいた。


 

 —


 ——


 ———


 

 食事を食べ終え、ベッドに横たわる。


「また夕方に来る。今日は何も考えず1日安静にしてな」


 お盆を持ち部屋を出ていったイーチノ。


 妙な満腹感を得られたことで、再び瞼が重くなってくる。


 何かを考える余裕もなく、彼は再び眠りについた。



 翌日。



 ハルはこれでもかというぐらい、スッキリとした状態で目を覚ました。瞼は軽く、頭もスッキリしている。


 昨晩出ていた腹部の痛みも、体を起こしてところで何ともなく、包帯に染みた赤いシミがそれ以上広がることはなかった。


 体を起こして光が差し込む窓の方へと視線を向けていると、ドアがノックされる。


 どうぞと返事をすると、扉が開き入ってきたのは朝食をお盆にのせたイーチノだった。


「どうだい、調子は?」


「だいぶいいよ。傷も痛くないし、頭もさえている。なんでも食べられそうな気分」


「そうかい。そりゃ、よかった。ほら朝飯だ。自分で食べられそうかい?」


「大丈夫だよ。心配ありがとう。いただきます!」


 イーチノに食べさせてもらってから、何も口に入れていないためにかなりお腹が空いていた彼は、コッペパン2つと塩コショウの効いた野菜スープ、そしてデザートである一口サイズのチョコレート菓子をぺろりと平らげてしまった。


「言い食いっぷりだねぇ。 やっぱりそれくらい元気な姿を見せてくれた日にぁ、こっちも嬉しいってもんだい」


「お腹も減っていたし、料理もおいしかったから、思わずガッついちゃった。ごちそうさま」


「礼はボデュの娘に言いな。あいつが作った朝食だからな」


「後でアリアに言っておくよ。それよりも、記憶の話。マリーと戦った後のことと、僕の過去のこと調べてくれたんだよね」


 ハルが今知らなくてはいけないことが2つある。


 1つはブラックファングとの抗争に参加した目的でもある、ハル自身の過去について。記憶がない彼は過去名前と年齢以外ほとんど何も知らない。ブラックファングとの抗争で手を貸せば何かしらの情報を教えてくれるとの約束だった。


 もう1つはマリーとの戦いで深手を負ったあとのことについて。マリーに剣を突き刺されて深手を負ってからベッドで目を覚ますまでの記憶がない。おおよそ気を失っていたからだろうが、何がどうなってここにいるのか知りたいと思っていた。


 その2点について問いを投げかけると、イーチノはハルの足元に座りベッドへと腰かける。そして、軽く深呼吸をしたあと口を開いた。


「まぁ、知りたいことは山ほどあるだろうが、まずは簡単な方から説明するか」


 そう言い、イーチノが最初に説明したのはマリーとの戦闘後についてだ。


 ハルが刺されたあと、マリーをサイコから救うと言い続け、一線解放を行い巨大な翼を生やしたこと。


 その翼でハル自身とマリーを包み込み外部から見えない状態になったこと。


 何が起きていたのか分からないまま数十分が過ぎたあと、包んでいた羽はふわりと消え去りそこには気を失ったハルとマリーが倒れていたこと。


 すぐにゴルデリックの私室から持ち出した高濃度ポーションを2人に飲ませ、応急処置をしてこのベッドまで運んだことなどを説明した。


 それを聞いてハルは納得するどころか口をあんぐりと開け驚きの表情を見せる。


「ぼ、僕が一線解放をした……の?」


「そこも覚えていなかったのかい。なんて言ってたかな、確か『解放の翼』とか言ってたような気がするがなぁ」


「解放の翼……。僕って一線解放を使えたんだね……」

 

「そうみたいだな。だがうちらが驚いたのは、『サイコ化を発症した人間を治癒』しちまったことだ。前にも話したと通り、サイコ化を発症した人間は殺す以外、救いの方法はねぇ。だが手前はその常識を覆す能力をもってやがる」


「常識を覆す能力……」


「ああそうさ。この能力が白日のもとにさらされたら、世間はびっくりするだろうよ。手前のことを金を払ってでも雇いてぇって野郎がわんさか出てくるかもな」


「あんまり目立ちたくないから、この能力はしばらく隠し通したいな。使い方も発動方法も分からないし」


「うちもそれがいいと思う。手前の能力を知っているのは、うち、リリー、ゴルデリック、マリーの4人だ。それぞれにハルの能力を口外しないように言ってあるから安心しな」


「ありがとうイーチノ。本当にどこまでも気が利く女性だよ」


「ありがとうはこっちのセリフだろう。マリーを救ってくれたんだからな。うちの大切な相棒だ。改めて礼を言う。ありがとうな」


 そういってイーチノは深々と頭を下げる。


 一ノ瀬組の頭を下げるという姿に、ハルは慌てて頭を上げるように口にした。


 そして、もろもろ現在の状況を説明したあと、イーチノは2つ目の本題とも言えることを話す。


「でだ。2つ目のハルの過去についてだ。手前が知りたいって言っていた過去に関する情報。うちの情報屋に頼んで、調べてもらった」


「それで、何か分かった?」


「関係ありそうな情報は3つ見つかった。1つは過去に『ハル・フワーロ』という名の同姓同名の人物が存在していたことだ。だがこいつは、百年ほど前に存在していた人物でな。正直、手前のハル・フワーロという名前と関係あるかは分からねぇ。すまねぇな」


「ううん。ありがとう。少しだけ進展した気がするから。それでもう1つの情報はどんなの?」


「その百年前に生きていたとされる『ハル・フワーロ』が過去に住んでいた場所が分かった。そいつは北東にある『ハルゴ村』ていう、今は廃村になった村だ」


 ハルゴ村という聞いた途端、ハルは何かを思い出したかのように、目を見開く。


「ハルゴ村って……、そうだ確か僕がこの街に到着して冒険者ギルドで初めて受けた未達のクエストの目的地だ!」


「なんだい、手前クエストをほっぽりだしてうちらの戦いに加勢してくれたのかい。なんだか悪いことをしちまったな」


「気にしなくても大丈夫だよ。クエストの期限は定められていないし、たった今、クエストを受ける口実ができたから。二度手間にならなくて済むよ」


「そうかい。そういってくれるならうちらも助かるよ」


「それで最後の1つの情報は?」


「ああ。あまりこんなことは言いたくねぇんだが、ハルは孤独の身かも知れねぇ。うちの情報屋を通して、様々な街や村で手前の名前を知ってるやつを探したんだが見つからなかった。つまり、手前を知る奴はいないってことだ」


「……そっか。貴重な情報ありがとう」


 ハルは優しい笑顔を見せながら、どこか哀し気な表情をうっすらと浮かべ瞳を伏せる。


 どれも貴重な情報と言えど、最後の情報はハルの『自分のことを知る』という目的から遠ざかってしまう結果となってしまった。


 しかし、逆に言えばむやみやたらに色々な場所へ無駄足を踏まなくとも済むということ。ポジティブに捉えれば、次に行動すべき内容を把握しやすいと捉えることもできるのだ。


「知ることができたのはこの3つだ。最後の情報はあまり嬉しいものじゃなくてすまねぇな」


「そんなことないよ。貴重な手掛かりなんだから、どんな情報でも嬉しいよ。でも次にするべき行動は決まった。まずは、ハルゴ村でのクエストを遂行しつつ、なにか情報がないか探ってみるよ」


「そうだな。ハル自身が行けば何かしら思い出すかもしれねぇ。足を運んで損はねぇな」


 話を終えると、イーチノはお盆を持ち部屋を立ち去った。


 これからどうするか決まったハルは、ハルゴ村へ出発するため身支度を始めるのだった。

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