第42話 その暗闇の中で彼は希望となる
目を見開くとそこは見覚えのない謎の空間が広がっていた。何が起こったのか分からないまま彼女は仰向けに倒れた状態から立ち上がる。
ここはどこなのか手掛かりを探すために周りを見回してみるが真っ暗で何も見えない。
しばらくすると暗闇に目が慣れてうっすらと周りが見えるようになり、見える範囲が少しばかり広がる。微かに見える自分の瞳を頼りに周りを散策するが、なんの手掛かりもない場所に変わりなかった。
地面は硬く真っ黒でコンクリートとは違う肌触り。ツルツルとしており、まるで大理石に似た触り心地。影すらできないほど光がなく真っ黒で、本当に地足を付けて立っているかわからないほど周りの景色と同化している。
風ひとつ吹かない謎の場所。
紫髪の彼女は試しに大きな声で助けを求めて叫んでみるが、誰も呼応しない。吠えるように叫んだ声は反響すらせず暗闇の中へと吸い込まれて行ってしまった。
出口を探し求めて歩きはじめる。1時間ほど歩を進めるが、一向に何も見えてこない。
今度はさらに歩を進める速度を速め、半ば走るように先へと進む。しかし1時間、2時間と歩を進めても出口らしきものはみえてこない。それどころか行き止まりとなる壁すらも見えてこない。それだけ広い空間なのか予測できなかった。
やがて彼女は疲れ果て、休憩するようにその場へとしゃがみこむ。
「ここは……どこなんですか……。私は……どうしてこんなところにいるのですか……」
2時間以上歩き、走って疲れた頭で状況を整理する。
「私は確か……そう、リリー・ハロウィンともうひとりの傭兵と2対1で対峙していました。イーチノ様を基地内に潜入させるために。イーチノ様がその場を去った後……私とリリー・ハロウィンたちとのた戦いが始まりました。互いに全力で実力を出し切りながら戦い、そして私は『一線解放』をした。そして私は……一線解放して……今まで以上の実力と能力を解放して戦い……そして……そこからどうなったんでしたっけ……」
途中まで記憶はある。しかし、一線解放してしばらく時間が経ってからの記憶がない。
一度深呼吸を̪行い冷静になった後、もう一度記憶を整理するが、一線解放後の行動が思い出せない。
謎の場所に記憶が途切れている。その状況を理解し、頭の中で考えをグルグルと巡らせそして彼女はひとつの結論に行き着いた。
「もしかしたらですが、私は死んだのですか……」
記憶がない、真っ暗な謎の場所。結論としてそれ以外考えつかなかった。
記憶がないのは死んでしまって意識がなくなったからと結論付ける。そしてここは地獄行きの乗り物かもしくは、生と死のはざまに位置する場所で閻魔様の判決を待つ場所なのか……。ついそんなことを考えてしまう。
「私はイーチノ様のお役に立てなかった。すみませんイーチノ様……」
彼女は悔しさの混じった表情を浮かべながら、瞳を伏せる。
もし本当に死んだのだとしたら、イーチノはどうなったのか、一ノ瀬組はどうなったのか、ブラックファングとの抗争はどうなったのかそれだけが気がかりだった。
特にイーチノに関してはとても気にしていた。
自分が死んだことにより、作戦が台無しになりイーチノや一ノ瀬組が危うい立場になるのでないかと責任を感じていた。
状況が理解できたと思われるところで付きまとう感情は混乱から後悔に切り替わる。
自分がもっと強ければ、あのとき傭兵たちを相手するなどと見栄を張るような行為をしなければ、と、そんな後悔の念が頭を過ぎる。
後悔したところでなにも変わらないことは分かっている。過ぎたことはどうしようもない。後悔する暇があるのであれば、次の行動を考えるべきだ。と、普段のマリーならスタイリッシュで前向きな考えや行動で一ノ瀬を率いてきた。
しかし今だけは違う。ここにいるのは自分ひとり。後悔と責任という感情が渦巻き、誰にも見せなかった弱い心をさらけ出していた。
「イーチノ様……ごめんなさい。私が不甲斐ないばかりに、私が弱いばかりに……。できるなら、もう一度チャンスがほしい……」
地面に落とした視線から涙が溢れ、涙声で独り言をつぶやく。
「私は……! イーチノ様を守るためなら死んでもよいと思っていました……。けど、そんなのはただの強がりでしかなかった。実際に死んでしまって、もうイーチノ様の傍にいることさえ叶わない! もっとお傍にいてあげたかった! イーチノ様の面倒を見ていたかった! あのお方が先代の背中を超える日を見たかった! ひとりでいるのは怖いですイーチノ様……」
そこで言葉に詰まる。
マリーにとってイーチノは大切な存在。年下でまだ遊び盛りの子供同然なのに一ノ瀬組という看板を背負い、必死にこの世界を生き抜こうとしているカッコイイ女性。
イーチノはマリーが幼少期からの仲であり友達以上の特別で憧れの存在だった。
子どものころ、王都に住んでいたマリーは親から愛情を注いでもらえず、虐待を受けていた。極貧生活で両親もイラ立ちを隠せなかったのだろう。子供ながらにそのような環境で育った彼女はいつしか内気な性格になっていた。
その状況から救ってくれたのがイーチノと一ノ瀬組の仲間たちだった。
毎日、一ノ瀬組の本部を訪れ今まで食べたことのないうまい飯を食わされ、周りの大人たちから可愛がられていた。そして、『お姉ちゃん』のような存在として、イーチノからも信頼を得ていた。
そしていつからかイーチノの遊び相手兼お目付け役として抜擢され、そして一ノ瀬組に誘われて加入した。
それからというもの、イーチノが小さいことから面倒を見てきており、先代がなくなりイーチノが一ノ瀬組のトップとして君臨したときも、二人三脚で困難を乗り越えてきた。
ふたりでひとり。まるで自分の半身とも言えるほど特別な存在だった。
だからこそ悔しくて後悔して、責任を感じてイーチノを現世に残してきた自分が許せなかった。
もう一度チャンスがあるなら、イーチノの傍に居られるのならどうなってもいい。
——その思いを噛み締めていたときだった……。
彼女の足の間を赤い煙のようなものが地面を這うように通り抜けていく。
何事かと思い視線を上げると、暗闇に立つ謎の人物が出現していた。
暗闇でよく見えないが、赤い瘴気を纏っており殺気を放っている。
どうやら、味方とは言えない存在のようだ。
「何者です」
マリーは乱れた心を深呼吸で整え、その後目の前の人物に問いかける。
その問いに返ってきたのは……。
「アガッ!?」
首を絞められるような苦しみだった。
両腕で首を掻きむしりもがくが、手ごたえはなく苦痛は解けない。
呼吸がうまく出来ず、言葉を発することができない。あまりの苦しさに顔が歪んでいく。
彼女の首には赤い瘴気が輪を描いてまとわりついている。その瘴気が締まると、彼女の呼吸はさらに浅いものとなった。
「コヒュー……コヒュー……」
気道が最低限しか開いていないためか、呼吸するたびに笛のような音がする。
やがて両腕、両足にも瘴気がまとわりつき、身動きが取れない状態となった。
瘴気を纏った人物がマリーへと近づいてくる。そして目と鼻の先まで近づいたとき、その人物の正体が露になる。
「だ……れ……」
そこに立っていたのは人間ではなく、怪物。全身が赤黒く、筋骨隆々、それでいて両腕には肉を簡単に引き裂くことができるであろう鋭い爪が生えている。
「キサマガカンゼンニキエサラヌカラ、カラダヲノットレナイダロ。サッサトコノココロカラキエサリ、カラダヲワタシニヨコセ」
電子音のような不気味な声色で意味の分からないことを投げかけてくる怪物。
マリーがまだ生きていることに腹を立てているようだ。
「わた……しが……生きている……? まだ……しんで……いないの……」
「キサマガコノココロノナカカラキエレバ、キサマノカラダハワタシモノ。ハヤクキエサレ!」
そういうと怪物は鋭い爪の生えた腕を振り上げた。
「……イーチノ様……た……すけて……」
涙を流し掠れた声で助け求めるが……、誰も来ない。
そして、怪物の腕は振り下ろされた。
——カキンッ!
金属音が響いた。と、思えば、怪物の腕は空中で止まっていた。正確には止められていた。
爪の先には見慣れた刀剣。刀剣がマリーと怪物の間に割って入り、振り下ろされる腕を防いだのだ。
「グガァァァ!」
突然の出来事に、怪物は大きく後退する。
するとマリーを苦しめていた赤い瘴気は消え、苦しみから解放され、その場に尻餅をつく。
何が起きたのか、よくわからないまま一度深呼吸を̪行い呼吸を整える。そして、視線を上げると彼女の横には1人の人物が立っていた。
「助けに来たよマリー。イーチノじゃなくてごめんね」
その声は優しく、マリーにとって嬉しい者だった。
「ゴホッ! ゴホッ! ハル・フワーロ……!」
彼女の横に立っていたのは、紛れもないハルだった。手には刀剣を持ち、背中には白き翼が生えている。
「キサマドウヤッテココニハイッテキタ! ココハアノオンナノココロノナカダゾ!」
「マリーの心の中だってことぐらい知っているよ。だから彼女を助けに来たんじゃないか。あらゆる方法を使ってね」
「ダガ、キサマモニンゲン。ワレノマエデハニクヘントウゼ……」
「白の翼よ。黒き心を晴らしてくれ!」
怪物の言葉を遮り、ハルは翼を大きく広げる。すると無数の羽が広い範囲で宙を舞う。舞った羽はひらひらと重力に従うように落ちていき、地面に着く。すると、そこから黒かった地面が白色へと変わり始め、いたるところで同様の現象が起き始める。やがて、黒く染まっていた空間は白く明るい空間へと変わり、視界が開けた。
「グァァァァァ! キサマ! コノワタシヲナキモノニスルカ! サスレバコノオンナノイノチモ……」
「亡くならないよ。死ぬのはおまえだけ。だってこれからマリーは【一線解放・修羅】をおまえの存在なしで使えるスキルになるんだから」
「ナニ!? ソンナコトハデキン! コノオンナノイッセンカイホウハ、ワタシノチカラヲカリテハジメテツカエルモノ! ワタシナシデハ、ツカイモノニナラヌ!」
「確かに、マリーの一線解放はおまえ『修羅』の力を借りていた。一線解放を使うたび、マリーの心は修羅によって蝕まれていった。けど、それも今日で終わり」
「ナゼダ!」
「だって……マリーが修羅を取り込むから」
「ナンダト! ——ヌゥ! アシモトガ!」
怪物もとい修羅の足元が泥水のようになり、怪物を飲み込み始めた。
「ヌガァ! シズンデイク! ナニガドウナッテイル!」
「そのままマリーの心に飲み込まれるといいよ。そうすれば彼女もリスクを減らして一線解放を使える」
修羅はもがき、何とか沈みゆく足場から抜け出そうとするが、無駄に終わる。
やがてお腹、胸部、そして両腕が飲み込まれ、最後は顔だけの状態となった。
「コノオンナノカラダヲツカッテ、ニンゲンタチノオウトナルハズダッタ! ソレナノニ……」
そこで修羅の口が飲み込まれ、そして最後はハルを睨みつけたまま飲み込まれその醜き存在は消え去った。
すべてが終わった。ブラックファングとの戦いも、イレギュラーで起きたサイコ化したマリーを救うことも万事解決だ。
「ハル・フワーロ。ここはどこなんですか、それにその翼は……」
「ここはマリーの心の中だよ。マリーは一線解放の反動でサイコ化したんだ。でも僕はマリーがサイコ化した状態でも抵抗して自我を保とうとしていたことに気づいた。だから、僕はマリーの心の中に語り掛けてサイコ化に抗い続ける君を救おうと思ったんだ」
「よくわかりませんが……、ありがとうございます……。——イーチノ様! イーチノ様はどうなりましたか!?」
「それは自分の目で確かめてほしいな。だからこの心の中から出て現世に戻ろうよ。ほら、あそこに出口があるから」
そう言って、ハルが指さした先には古びた扉が開いた状態で出現していた。
扉の外は眩しい光で何も見えないが、あそこが出口だという。
ハルはマリーの手を取り、肩を貸し扉に向かってゆっくりと歩き始める。
「マリー大丈夫? どこか痛かったり苦しかったりしない?」
「いえ、大丈夫です。それよりも、あなたが心の中に入れるような力を持っているなんて驚きました。それにサイコ化した人間を救い出したとなれば、これまでの常識が覆りますよ」
「僕も驚いているよ……。自分にこんなことができただなんて。僕って意外とすごい人物なのかもしれないね」
「そうかもしれませんね。もう扉は目の前です。より細かい話……その翼のことだとか、心の中のことだとか、思い出したことだとか後で教えてください」
「分かったよ。まずは、イーチノたちの無事を確認しに戻ろうか」
会話を終え、2人は扉を潜り心の中から現世へと戻っていった。
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