第41話 彼はその常識を覆す

 サイコ化を発症したマリーの口から微かに聞こえた『助けて』という声。幻聴ではない、一番近くにいるハルのみにしか聞く事の出来ないか微かな声で彼女は確かにそう言葉にした。


 まだ自我がある。コントロールできない体に心の中で抗い続けているようだ。


 助けを求めていると判断したハル。咄嗟に武器を投げ捨てタックルするような勢いでマリーに飛び掛かると、そのまま彼女の腕を巻き込むようにして背中に腕を回し力強く抱き締めた。


「マリー! 君はまだ抗い続けているんだね! 心の中でどうにかしようともがき続けているんだね!」


 サイコ化を発症し手に負えなくなった彼女をどうにかできるかもしれない。その可能性が垣間見えたことで、ハルの瞳には希望の光が灯っていた。


「ウガァァアァ! コロシテヤル! コロシテッ!」


 サイコ化した彼女は殺意を持った発しながら体を暴れさせ、拘束から逃れようと抵抗する。


 対してハルはこの好機を逃すまいと、体全身に力を入れ絶対に離すまいとする。


「マリー! マリー! 僕たち、一緒に戦うため、ここへ来たんだよね! 僕たち仲間だよね!」


 暴れ抵抗するマリー。ハルの言葉に呼応して拒絶反応のうを示すかのように全身を翻そうとし、拘束から逃れようとする。


 ハルは体全身に力を入れて絶対に離さないよう力強い意志を持って拘束しながら、何度も彼女の名前や関係性について吠え続ける。


「マリーはサイコ化に負けない強い女性だ! その証拠に君の瞳からは涙が流れている! 心の中で抵抗している証拠だ! だからサイコ化に負けないでくれ!」


 正気に戻ることを信じて何度も何度も、声を掛け続ける。しかし彼女の抵抗は止まらない。それどころか、暴れる力が強力なものへとなっていっており拘束から逃れられようとしている。


 その様子を見ていたイーチノは決断を下す。


「くそっ! くそっ! ハルッ! そいつはもうどうにもならねぇんだ! だからもうよしてくれ……。マリーをうちらをこれ以上苦しめないでくれ……」


 涙声に言葉を絞り出すイーチノ。


 そして彼女は槍を召喚したのち、ゆっくりとマリーの元へと近づいていく。


 力強く握られた槍の柄に、覚悟を決めた表情のイーチノ。その様子をちらりと一瞬見ただけで、ハルは一ノ瀬組の幼き長が何をしようとしているのか察しがついた。


「やめてイーチノ! もう少しでマリーは目を覚ますから!」


「現実を見やがれ! そいつを一生苦しめるつもりか! うちはそんなこと望んでない! そのまま抑えておけ! ——マリーの……頭を貫いて……楽にしてやる……」


 マリーの頭部付近で、イーチノの足が止まる。苦しむ彼女の姿を見て深呼吸をした後、幼き長は大きく槍を振り上げた。


 しかし、それが振り下ろされることはなかった。


「ぐぁっ!? ……ぁぁ」


 ハルの視界が揺らぐ。急に視界がぼやけ、何が起こったのか理解できなかった。


 本人よりも早く状況を理解したのは、イーチノだった。


「こいつ! 拘束を!」


 一歩遅かった。マリーが拘束から逃れ一瞬の隙をついて、自慢の長剣をハルのお腹へ一突きしたのだ。彼の背中からは一本の刃が突き出ている。


 イーチノは焦りの表情を見せ、すぐさま槍を振り下ろす。しかし、拘束を逃れある程度自由の身となったマリーは頭をすこし動かし、槍の一突きを躱した。そして、ハルに突き刺さった刃を強引に薙ぎ横腹を裂くように刃を身体から抜くと、その勢いのままイーチノへと牙を向けた。


 近距離からの猛攻。イーチノは判断が一瞬遅れ、捉えられた刃からは逃げられそうになかった。


 しかしその刃は、イーチノを傷つけることはなかった。


「マリー!」


 ハルは吠えるような声で彼女の名を呼び、深手を負ったまま再びマリーを力強く抱き締め拘束したのだ。


 揺らぐ視界。徐々に力が抜けていく感覚。死へカウントダウンが始まっているのは本人も気づいていた。


 それでも、ハルはイーチノのため、一ノ瀬組のために命に代えても、常識を覆してでもマリーを救ってあげたいと思っていた。


 このまま、死ねば自分のことが何もわからず死ぬ。しかしそれでもいいと思っていた。むしろ自分が何者なのかも分からずに死んだ方が、気分的にも楽だと思っていたからだ。


 死。それが目の前まで迫ってきたと感じたとき、頭の中で不意に声が響く。


『ハル……おまえならできるだろう? おまえはこの世界の常識を覆す男なんだからな』


 頭の中で響く謎の声。誰かは分からない。しかし爽やかで快活そうな印象を抱く声質だ。走馬灯か、はたまた別の何かか。


 そして同時に別の言葉も頭の中に浮かび上がっていた。それを口にすれば、何かが変わるとハルはなぜか確信していた。


 頭の中を駆け巡る言葉。その文字の羅列をそのまま吠えるようにして声に出した。


「一線解放……『解放の翼』!」


 頭の中の文字の羅列を言い終えたと同時だった。ハルの背中に白く巨大な翼が、ばっ! と生えたのだ。その翼は天気のいい日の雲のように真っ白で、天使を彷彿させるような美しい造形をしている。その大きさはゴルデリックの身長をも超える巨大なもの。翼が生えた反動で、数枚の白き羽が宙を舞う。


 そしてその翼はハルとマリーを包み込むようにして2人を覆い、外からは覗き見ることのできないふたりだけの空間が作り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る