第三章 サイコ化発症者の結末と救いの手

第38話 サイコ化発症者

「おい、リリー! このサイコ化女、とんでもねぇバケモンだ! 2人がかりで殺らねぇと勝ち目はねぇぞ!」


 ハイゼルは使い慣れた巨大なハンマーを振るい、一ノ瀬組所属のマリーと対峙するが一向に攻撃が当たらない。リリーもハイゼルの動きに合わせて隙を埋めるようにタイミングを合わせて攻撃を繰り出すが、読まれているかのようにすべて避けれられてしまう。


 ブラックファングの基地の外でサイコ化を発症したマリー対峙する傭兵リリーと同僚のハイゼル。


 組織に雇われた身として戦うという目標はとうに捨て、このサイコ化を発症した彼女をどうにかせねばという正義感のような気持ちが勝っていた。


「サイコ化を発症したこの女を野放しにはできないな。私たちで殺らなくてはな」


「ああ。サイコ化を発症したら最後、殺す以外に救いの手はねぇ!」


 マリーから距離を取り、再度武器を構える2人。


 しかし……。


「——っ!?」


 瞬きをした瞬間、前方にいたはずのマリーが姿を消した。どこに行ったのかとリリーが視線を横に向けた途端、すでに武器を振りかぶっている彼女の姿があった。


「速いっ!」


 口角を上げ不気味な笑みを浮かべるマリー。瞳は見開き、完全に狂っている表情そのものだ。


 その表情を目にした途端、冷や汗をかくリリー。本能的に「こいつはやばい相手だ」と察しているようだった。


「屈めリリー!」


 隣にいたハイゼルの言葉で反射的に屈む。と、同時に首を狙っていたマリーの刃は空気を切り裂くような音を立てながら振りぬかれる。


「攻撃をスカした後なら、隙もできんだろ!」


 隙をつくようにハイゼルはリリーを挟んでマリーの懐に飛び込みハンマーを振るう。


 過去の戦闘経験からダメージを与えられると直感的に感じたハイゼル。ハンマーの柄をしっかりと握り、ごうんっ! と音を立てながらその巨大な武器をマリーの頭部目掛けて強かに振り下ろす。しかし攻撃が当たる寸前、マリーは小さな砂埃を立てて再び姿を消す。


「外した!? どこ行きやがったァッ!?」


 言葉を終えると同時に、ハイゼルの背中に激痛が走る。加えて血しぶきが空中を舞い、強かに鮮血が地面に飛び散る。


「ハイゼル!」


 リリーが彼女の名を読んだときにはすでに遅く、ハイゼルは苦悶の表情を浮かべて鮮血をまき散らしていた。刹那、リリーが両刃剣を間合いを詰めるよりも早く、マリーは傷つけた背中に強かな蹴りをお見舞いする。その蹴りは衝撃波を出すほどの強力なもので、ハイゼルは成すすべなくリリーのいる方向へと飛ばされる。


 リリーは飛んできたハイゼルを受け止めるが、一緒に吹き飛ばされる。


 吹き飛ばされた先には、ブラックファング基地の外壁。


 衝突と同時に外壁は破壊され、大きな穴が開く。2人は基地の内部へと転がされ砂埃が舞う。


「うっ……ぐっ……」


 痛みに耐えながらリリーは立ち上がり周りを見回す。そこは、一ノ瀬組構成員とブラックファングの冒険者たちが戦っている広場だった。


 


 突然の轟音に、戦いの手を止める下っ端たち。


 砂埃が晴れ、立ち上がる2人の姿に狼狽したのはブラックファングの傭兵たちだった。


「あ、あいつら……たしかブラックファングで雇った傭兵じゃねぇか! まさか、一ノ瀬組に負けたのか!」


 傷付いた背中に、ボロボロになった背中を前に、冒険者の1人がそう言葉を漏らす。


 その言葉に連鎖して、自分たちは劣勢状態なのだと勘違いした冒険者たちは次々と狼狽していく。


 その状況に勢いづいたのは一ノ瀬組。


「我ら一ノ瀬組に勝機あり! このまま押し切って――」


 一ノ瀬組の構成員のひとりが士気を挙げるべく高らかに言葉を上げた瞬間、ほんの一瞬だった。何者かの刃によってその者の首が吹き飛ばされた。遅れて鮮血が噴水のように飛び散り、両足から崩れ去るように倒れる。斬られた部分はまるで豆腐を斬ったかのように綺麗な断面になっていた。


 その光景に今度は一ノ瀬組の構成員たちが狼狽する。


「な、なんだ! なにが起きて……!?」


 首を切り落とされた構成員そばに立っていたのはマリ―。彼女の持つ武器の刃には首を落としたときに付着したであろう鮮血が付着している。


(あれは、マリーの姐さん……? なんで、首を切り落とされた仲間の近くに立っているんだ……? と、いうかいつから……それに姐さんの剣になんで鮮血が付着しているんだ……?)


 可能性として浮上する、理解しがたい結論。それはマリーが仲間の首を切り落としたという結論。あくまで可能性の段階だが、その可能性を受け入れようとすると、脳が拒絶反応を引き起こす。真意を確かめるべく、近くにいた別の一ノ瀬組構成員が声を掛けた。


「マリーの姐さ——」


 刹那、疾風のような速さでジグザグに動き声を掛けようとした一ノ瀬組構成員に近づく。瞬きをした瞬間に彼の目と鼻の先に迫っていたマリーはすでに腕を振り上げており、言葉を言い終える前に首が落とされる。


「う、うわぁぁぁぁぁ!」


 近くで見ていた別の構成員が悲鳴を上げる。



 一ノ瀬組のマリーが同じ一ノ瀬組の仲間の首を切り落としたことを確実に目にし、頭で完全に理解してしまったからだ。構成員たちはこぞって慌てふためき、悲鳴を上げる。冒険者も含め一同マリーから距離を取るように逃げ惑う。


「あ、姐さん……! なんで!」


 再び動き始めるマリー。目で追えぬほどの速さで動くその姿はまさに風そのもの。


 その場にいる人間を見境なく殺そうとしている。


「フヒッ……、フヒヒッッッ……」


 彼女の表情は殺戮者のような狂った目をしており、口角は不気味に上がっている。


 逃げ惑う構成員のひとりに的を絞ったマリーは、疾風の如く動き一気に距離を詰める。


 その光景を後方に捉えた構成員は震える手を押し殺し、身を翻すと武器を構えた。


(あ、姐さんを正気に戻すんだ!)


 意気込みを心の中で唱えるが、構成員の手は押し殺すことが難しいほどに震えている。


 間合いを詰められたと同時に、風を切り裂くように振られる両刃剣。組のいち構成員がその動きを捉えることなどできるはずもなく、あまりの恐怖に目を力強く閉じた。


 カキンッ!


 刃が首元に迫った途端、鉄と鉄がぶつかり合う音が響く。


 目を開くと、青髪の女性がマリーの攻撃を押さえつけていた。


「!」


 刃の動きを止めたのは、リリーだった。彼女はハイゼルと共に吹き飛ばされたものの、大きな傷は負っておらずまだ十分に動ける状態であった。


「貴様は早くこの場から離れろ! この女は私たちがなんとかする!」


 マリーの攻撃を抑え込むことで必死のリリーは、構成員に怒気を含んだ声でそういう。


 構成員は腰を抜かすも、固唾を飲み頷くと開けた外壁から飛び出るように逃げ出していった。


「ぐぅッ!」


 女性とは思えない力強さで武器を押し込むマリー。


 リリーは全身でその攻撃を受け止めるが、徐々に刃がジリジリと首元に迫っており明らかに力負けしている。


「このままではっ!」


 刹那、マリーが視界から消える。同時に、すでに武器を振り上げた彼女が隣にいた。


「なっ!」


「フヒヒッッ!」


 あまりの動きの速さに反応が遅れたリリー。ハイゼルも重傷で動くことが難しく状況は最悪だ。このままでは首が斬り落とされる。リリー自身も諦めかけていたそのときだった。


 ヒュンッ!


 マリーを捉えた1本の槍が空気を切り裂く勢いで飛んでくる。


 咄嗟に反応したマリーは再び素早い動きで移動し槍の攻撃を避けると、リリーから距離を取る。


「何やら悲鳴が聞こえたと思えば、いってぇどういうことだい」


 建物の奥から出てきたのは、イーチノを先頭したハルとゴルデリック一行だった。


 ゴルデリックと一ノ瀬組のトップが共にいる光景は異様だが、今はどうでもよかった。


「リリー、戦いは終わったんだ! だからもう僕たちは敵対しなくても――」


「ハル! 逃げろ!」


 ハルの言葉を遮り、怒気を含んだ声で叫ぶリリー。しかしときすでに遅く、マリーは彼の背後で腕を振り上げていた。


「ハル、伏せな!」


 冷静でドスの利いたイーチノの声に促されるように、その場にしゃがみ込むハル。


 同時にイーチノは槍を精製し、薙がれる両刃剣を受け止めた。


「手前、マリー……。一線解放して、サイコ化しやがったな。あれほど修羅に飲み込まれるなつったのによ!」


 狂った目をしたマリーにそう言葉を投げかけるイーチノ。いつものマリーであれば、彼女の言葉に「申し訳ありません」「了解いたしました」という言葉を返すのはずなのだが、返ってきたのは気持ちの悪い薄ら笑い。


「手前も地獄に引きずり込まれたか。なら、最後はうちが殺してやる。手前は十分一ノ瀬組の貢献した。誇りを胸に死んでゆけ!」


 その言葉と同時に、槍を振りぬくイーチノ。予想外の相手に、マリーは薄ら笑いを浮かべながら素早い動きで距離を取り、様子を伺ってくる。


「イーチノ殿、あれは噂のサイコ化を発症した人間ですな?」


「そうだゴルデリック。サイコ化を発症したら最後、殺す他ねぇ。ハル、ゴルデリック、わりぃがマリーを葬るために力を貸してくれねぇか?」


「え、マリーを……殺すの……」


 状況がイマイチ理解できないハル。正確には理解はしているのだろうが、理解することを拒んでいるようだ。


「ハル、マリーはサイコ化を発症した。こうなったら最後、殺す他ねぇんだ……」


 少し哀し気な言葉で説得をするイーチノの顔はとても辛そうであった。誰だってそうだろう。かつての仲間を殺すだなんて、簡単にできるものではない。


「ど、どういうこと……? しかも殺すって! どうなってんの! 殺す必要がどこに――」


「ハル! 腹ァッククれぇ! 殺す他ねぇんだよ!」


 いつまでも駄々をこねるようなハルにイラ立ちを覚えたイーチノは語尾を強め、説得する。


 その真剣な眼差しと、悲しみの表情の中から覚悟を決めているイーチノに根負けしたハルは、苦虫を嚙み潰したような顔で刀剣を構えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る