第30話 取引

「イーチノッ!」


 ハルは体を赤く染めたまま、膝から崩れ落ちるイーチノの元へとあわてて駆け寄る。


 途端、ピシャリと水たまりを踏んだような音が聞こえ、足元に目を向ける。するとそこには血だまりが広がっている。その血だまりはイーチノから流れ出ている鮮血が原因のようだ。


 寄りそうように彼女の隣で膝をつくとその小さな体に視線を向ける。


 体にはやけどの跡や切り傷、特に腹部に大きな引き裂き傷が付けられていた。ここが主な出血原因だろう。


 地面には空になったポーションのビンが転がっている。その本数は、彼女が持ってきた本数と一致していた。


「ハル……。この男はかなり厄介な野郎だ。あらゆる攻撃魔法による攻撃、近づけば魔法で生成された巨大な鎌が牙をむく。オールラウンダーな野郎ってのは厄介なもんだねぇ……」


 イーチノは苦しみの表情を見せながらもハルに視線を向け笑顔を見せる。途端、彼女は吐血し脂汗を掻く。


 何度も攻撃を受けたせいだろう。彼女の小さな体は限界を迎えていた。


 何か治癒をしないと。確実に彼女は死ぬ。ハルが持ってきたポーションもバーガンとの戦いで炎に焼かれ、使い物にならなくなっている。


「どうやら、お困りのようですね。ハル・フワーロならびにイーチノ」


 フランシュは余裕の笑みを浮かべながら語り掛けてくる。


 イーチノとの力の差は歴然というべきだろうか。


「おまえが傷つけたからこうなったんだ! 死んで責任を取ってもらうよ!」


 ハルは武器を構える。


 しかしフランシュは余裕の笑みを崩さない。


「責任……ねぇ。ならばこうしましょう。私と取引をしませんか?」


「何を言い出すかと思えば、そんな手に乗るか!」


「まぁ、まずは聞きなさい。私の持っているこの『高濃度ポーション』。これをあなた方に授けましょう。これをイーチノに飲ませれば傷も癒えること間違いなしですよ」


 その言葉にハルは一瞬たじろぐ。


 高濃度ポーションは、外傷を治癒するアイテムだ。


 ポーション系の回復アイテムには数種類あり、その中でも外傷を治癒するポーションは『ポーション』『上級ポーション』『高濃度ポーション』の3種類がある。


 その中でも『高濃度ポーション』は、外傷を治癒することにおいて最も優れたアイテムと言える。


 まず、回復力が高いこと。通常のポーション・上級ポーションで癒しきることのできない傷も治すことができる特別品だ。深く切り裂かれた傷でも癒すことができるだろう。


 また、即効性もある。通常、ポーションを飲んだ後、効果が表れるまでに時間がかかるのだが、『高濃度ポーション』は即効性があり口にした瞬間から効果を発揮する。


 デメリットとしては入手が難しいこと。


 通常のアイテム販売店などでは入手することはできず、一部の高級アイテム店のみでの販売となる。加えてポーションの10倍以上の値段はするため、下手をするとそこらの武具よりも高くつく。高級品だ。


 それでも冒険者や貴族の間ではかなり需要があるものでもある。


 今、イーチノを失うわけにいかない状況において、喉から手が出るほど欲しい代物。


 彼女のためにも一度耳を傾ける価値があるのかもしれない。ハルはそう判断した。


「取引の内容は?」


 無駄な事を話している余裕はない。要件だけを聞く。


「ブラックファングのボス『ゴルデリック』倒してもらうことです」


 予想外すぎる取引内容にイーチノとハルは目を剝く。


「手前の……親玉じゃねえか。なんでうちらにそんな取引を持ち掛ける……。手前にはなんのメリットもねぇだろう……」


「ありますよ。わたくしが組織から抜け出せます。こんなブラックファングとかいうクソみたいな組織を抜け出して、とある組織へと入りたいのですよ」


「なら、今この場で抜ければいいじゃないか」


「それができれば苦労しません。ブラックファングは一度入ってしまうと抜けることができない組織。掟を無視して抜けようもんなら、私が死ぬまで刺客が送られてくるでしょうね」


「ブラックファングの掟みたいなもんか……。つまり親玉さえいなくなれば掟なんてものがなくなる。それどころか組織すらなくなるって抜ける口実ができる。って考えているわけだな手前は……」


「その通り。それで引き受けてくれるのでしょうか?」


 ハルは少し考える。


 この取引を飲めば無駄に戦力を裂くことなく、イーチノも救うことができる。一石二鳥だ。


 しかし、罠の可能性も捨てきれない。


 ポーションを手渡す瞬間、近づいてきた瞬間に首を掻っ切られる、高濃度ポーションと謡いながら飲ませたら毒だった。いくらでもハルたちを葬ることができる。


 何より、取引の内容に際してフランシュ側には大きなデメリットがある。


 死に際の一ノ瀬組のトップを救うことになるということ。


 この状況で攻撃を加えれば確実にイーチノを仕留められる。


 そうすれば一ノ瀬組は壊滅。


 それどころか、ブラックファングの英雄として相当な融通を利かしてもらえる立場になるだろう。


 そうなればブラックファングを抜け出す願いも聞き入れてもらえるかもしれない。


 取引を飲めば無駄に戦力裂かず、イーチノを救える。しかし、罠の可能性もある。


 どちらが今、そして今後の行動として正しい答えなのか、2つの選択肢を天秤にかけた。


「分かった、その取引、受けるよ。僕たちにも大きなメリットのある取引だから。でも仲良しになるつもりはないからね」


 ハルは取引を飲むことにした。たとえ罠だったとしても、このまま放っておけばイーチノも青年にも死ぬ道しか見えないからだ。


 死への道しかみえない選択肢を取るくらいなら、多少でも希望の光がある選択肢を取ったほうが賢明だと判断したのだ。


「分かっていますよハル・フワーロ。あくまで取引をしただけです。取引を終えればこの先、私は手を貸すことも目の前に現れることもありません。ボスが死ぬまで身を隠してますよ」


 取引が成立した暁にフランシュは高濃度ポーションをハルへと手渡す。


 青年の手前まで来ても敵意を見せないところをみると、相当この取引に良い報告を求めているのだろう。


 バーガンとは違い彼は賢く動ける人物なのかもしれない。


 底の知れない男だ。

 

「期待していますよ、ハル・フワーロ」


 ポーションの入った小瓶を渡し終え、立ち去る間際フランシュはそう言い残し、その場を後にした。


 渡されたのは緑色の液体が入った2つの小瓶。ハルとイーチノの1瓶ずつだろう。


 さっそくポーションの口を塞いでいるコルクを開け、匂いを嗅ぐ。


「匂いは薬草臭さと薬品臭さがあってポーションそのものだ。色も高濃度ポーションの緑色で間違いない」


 しかしまだ分からない。高濃度ポーションに見せかけた毒液かもしれない。


 実際、高濃度ポーションと名目を打って偽物を売り出している闇市もある。


 高級品であり、市場価値が高いからこそ偽物が出回ってしまうものなのだ。


 ハルはまず、自分自身が実験体となり、飲んでみることにした。


「んぐっ――!」


 小瓶の中身を一気に飲み干す。


 次に何が起こるのか、そわそわして待っているとすぐに効果が表れ始める。


 外傷が塞がれていき、やけどの跡も綺麗に治ったのだ。


「本当に高濃度ポーションなんだ!」


 すぐにイーチノに小瓶の中身を飲ませる。


 ハルと同様すぐに効果が表れる。腹部に負っていた致命傷とも言える傷は塞がり、その他の小さな傷も治癒していった。



 少し時間が経った後……。



「イーチノ。大丈夫? 落ち着いた?」


「悪かったな、ハル。手前には迷惑をかけちまった」


「気にしないでよ。イーチノにはたくさんの仲間がいるんだし、ここで死んだら先代さんの夢を一生見ることになっちゃうよ」


「ハッハッハッ! そりゃそうだな。とにかく、助かったよ。手前は命の恩人だ」


 そういい、イーチノはあどけない笑顔を見せる。


 彼女を見た者が子どものようにかわいいという気持ちが芽生えつつも、大人びた妖艶な可愛さに心がドキッとしてしまう笑顔だった。


 彼女のことを良く知らない男たちが今の笑顔を見たら、きっと恋に落ちること間違いなしだろう。


 現にハルは少しばかり彼女を見てドキッとしていた。


(ぼ、僕は絶対にイーチノに恋なんかしないぞ。かわいいけど記憶を取り戻さないうちは色恋沙汰は控えた方が賢明だと思うし)


 そう言いつつも、ハルの頬はほんの少し赤く染まっていた。


(やっぱり、かわいい)

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