第15話 イーチノとマリー

 無事作戦会議も終わり、皆が宿の各個室で寝静まった時間。


 スラム街も静まり返り、心地よい虫の声だけがうっすらと聞こえる。


「……」


 ただひとり、薄暗くなったエントランスホールで銀髪の女性が椅子に腰かけていた。手には酒の注がれた小さめのジョッキが握られている。


 女性はジョッキを口に付け体に馴染ませるように、酒を少しずつ飲んでいく。


「眠れないの?」


 そこへ2階の寝室から降りてきた記憶の無い青年が、女性に声をかける。


「おまえこそ眠れないのですか?」


 相手がハルだったことに不満げな表情を浮かべ、適当な返事をする。


「自分の過去のことを考えたら、目が冴えてしまって。ほら、宇宙がどうなっているか考えてたら朝になってしまった現象みたいな」


 例えを言葉にしながら、マリーの向かい側に座る。


 しかし例えが分かりずらかったのか、銀髪の女性は彼の言葉を無視し酒を口にする。


「たしかマリーだったよね?」


「そうですがなにか?」


「イーチノはどうしてあんな小さな体でリーダーをやっているの? まだ歳も若いよね?」


「まだ14です」


 予想以上の若さにハルは驚いた表情を見せる。


 誰もが理由を聞きたいであろう当然の疑問だった。


 あの幼さで巨大組織のトップを張っているという状況は誰が見ても異様な光景だと思うだろう。


 イーチノ本人に聞けばすぐに答えを導き出せるだろうが、何か暗い理由があるかもしれない。そう考えてしまうと直接聞くのはタブーな気がした。

 

「イーチノ様は若くして父を亡くされた。リーダーが不在となった【一ノ瀬組】は、『血縁関係のある者がリーダーを務める』という掟の元、ご息女である12歳のイーチノ様を無理やり組織のリーダーに任命したのです」


「奥さんはいなかったの?」


「奥様はイーチノ様を産まれた1年後に亡くなられました。高齢出産の影響で出産後から体調が優れず、そのまま息を引き取る形で亡くなられたので」


 イーチノのことについてほんの少し教えて貰った内容だけでも、壮絶な人生だったと思わざるを得ない話だ。


 若くして両親を亡くし、リーダーの座を任され、同年代の友達もいない。周りにいるのは、彼女に頭を下げる構成員だけ。


 遊び盛りなのに同年代の子供と普通の生活ができないこと、それがどれだけ辛いか周りの大人には分からない。

 

「みんな反対しなかったの?」


「しました。心配で反対する者、ただの小娘がリーダーを務めることに納得いかない者、理由は様々。ですが、父の背中を見てきたイーチノ様は強かった。幼いながら自分のやるべきことを理解し、リーダーとしての風格を保てるよう努力したのです」


「だから幼い見た目でも、大人顔負けの風格を持っているんだね」


「ですが、イーチノ様はまだまだ子供。周りの目を気にして子供じみた発言をしないよう気を付けている部分もあるようですが、寂しいと思うこともあるようです」


 普通の子供なら、両親や他の大人たち、同学年の子供たちと遊んだりすることで、世の中のことを少しずつ理解していくものだ。


 しかしイーチノにはそれができなかった。大人に頼るべきところを少女自身の力で解決したり、なん十歳も年上の大人とビジネスの話をしたり、子供らしいことは何もできていない。


 それが故に、両親がいない寂しさ、自分と遊んでくれる友達のいないことが寂しいと思うことがあるようだ。


「ですから、夜だけはイーチノ様ひとりの時間を作ってあげるのです。一日中、私のような大人が張り付いていては疲れるだけでしょう」


「だから、マリーはひとりでここにいるんだ」


「部屋の外には見張り、宿の入り口にも見張りを立たせていますので、安心してひとりの時間を作ってあげることができます」


「だからって、酒を飲むのはどうなんだろう」


「ダメと言いたいのですか?」


「そうは言わないけど、イーチノの保護者的な立ち位置的なマリーが大丈夫なのかなって」


「おまえに言われる筋合いはありませんよ。それに、酒を飲むにも理由があります。言う気はありませんが」


 気持ち的に少し敵視している部分があるのか、マリーは自分のことを話したがらない。


 ハルに対して、なにか気に食わないところでもあるのだろう。


「そんなこと言わないで聞かせてよ。酒を飲む理由」


「話したところで意味はありません。イーチノ様にも話していないのですし、私が酒を飲むことすら知らないのですから」


「つまり基本、人前では酒を飲まないってこと?」


「詮索されるのは嫌いです」


「今、僕の前では飲んでいるけど」


「ジョッキに注いだのですから、飲むしかないでしょう」


「そうだね」


 酒を飲むと人は饒舌になったり、いつもは表に出さない感情を露にしたり、一時的に人を変えてしまう飲み物なのだが彼女の態度は昼間と変わらない。


「お酒に強いタイプなんだね」


「いきなりなんです」


「いや、お酒を飲むと人は変わるって聞いたことが……ある……から?」


「? どうしたのです」


「誰から聞いたんだろう、お酒を飲むと人が変わるって話」


 記憶の断片だろうか。


 記憶をなくしてからそのような話をした相手はいないはずなのに、なぜか誰かから聞いたような感じがある。しかし、誰から聞いたのかは思い出せない。


「記憶を探しているって話でしたね。その誰かから聞いた話も、記憶の断片なのでは?」


「だとすると、僕には親しい誰かがいたってことになる?」


「そうなのでは? そのような話をするのは酒の席でしょうし、酒を飲みかわす相手と言ったら親しい間柄の相手でしょう」


 相手に心開かないところがあるマリーだが、意外と相手の話には興味を持って会話をしてくれるようだ。


「やばい、また考えることが増えて眠気がどんどん遠ざかっていく」


「なら、おまえも酒で眠気を誘っては」


「それって、つまりマリーは眠るために酒を飲んでるってこと?」


「……チッ。別にそれだけではありませんよ」


「詮索するようなこと言って悪かったよ。でも、一ノ瀬組のお世話になるから少しでも仲間のことを知っておきたくて」


「……」


 ハルの言葉にマリーはため息を付くと、少しの間沈黙が訪れる。


 なにかまずい事でも言ってしまったのではないかと、青年がおどおどしていると女性は銀色の髪をなびかせ口を開く。


「酒を飲むのは、眠気を誘うためもありますが、嫌な夢を見ないほど深い眠りにつくためです」


「嫌な夢? 怖い夢が嫌ってこと?」


「一ノ瀬組の当時のリーダー、イーチノ様のお父様に出会う前、私は虐待を受けていました。親や親戚、近所の人々からです」


「それはどうして?」


「目つきが怖い、睨みつけるような目に見られれば呪われると恐れられたからです」


 確かに彼女の目は切れ長で、恐怖心を煽るような怖さがある。


 ハルもマリーに抱いた第一印象は目つきの怖い女性だなと思っていた。


「おまえもそう思ったでしょう」


「まぁ、否定はしないかな。でも、同じくらいに怖い目つきの人を知っているから、怖いという感情を抱いたの一瞬でそれ以上のことは何も思わなかったよ」


「そうですか。ですが他の人は私の目を見るなり、そそくさと逃げていくのが普通。他の子どもと同様に遊ぶことなんてできなかったのです」


 幼少期に何かしらの問題を抱えていたという点では、イーチノに似たところがある。


「親も私のことを気持ち悪がり、虐待。周りの人間にも言葉の暴力で虐待されるなんて当たり前でした」


 本来愛されるべき相手から虐待を受けるなんて、子供にとってどれだけ辛い事か。想像するだけでも、胸が苦しくなる。


「そんなときに、出会ったのが一ノ瀬組の当時のリーダー。イーチノ様のお父様です。当時はお父様も若く、イーチノ様も生まれていませんでした」


「一ノ瀬組のリーダーは義理人情に厚い人だってイーチノも言ってよね」


「そうです。私の現状を見かねたお父様は私を引き取るとお申し出た。私は最初、引き取ったところで何も変わらない。そう思っていました。ですが、一ノ瀬組には私の居場所があった。私のように虐げられた者たちが多少なりともいたのです」


「そこで私は、同じ思いをしてこの一ノ瀬組に助けられた人がいることで、気持ちを分かってくれる人が多くいることに気が付かされました。大人たちも私を怖がらず、皆優しく接してくれる。特に私以上に怖い目つきをしている人なんてざらにいましたから、私の存在は目立ちませんでした」


「でも、眠りにつくたび虐待された日々のことが夢に出てきます。そのたびに目が覚め、いつの間にか不眠症になっていました」


「そこでお酒に手を出したんだね」


「そうです。一ノ瀬組の大人たちに数滴飲んでみろと言われ、ほんの少し口にしました。それですぐに酔いが回り、深い眠りについたのです。お酒を飲んだ日は嫌な夢を見ることなく深く眠りにつけました。それがどれだけ幸せだったことか」


 言葉に感情が入り、いつもの『ですます』口調が崩れる。


「不眠症も治りました。それからというもの、お酒は深い眠りにつくための薬です。大人になった今では、いつでも戦闘に備えられるよう判断が鈍らない程度に深酒はしないことにしていますが、小さなジョッキ一杯分で深い眠りにつくことができます」


 トラウマを克服する薬品や魔法といったものはこの世界に存在しない。


 いくら薬学に精通した医師でも、回復魔法に特化した魔法使いでも直すことのできない心の病。


 心の病を治療するには、自分を変えるきっかけとなる出来事や薬となりえるものを自力で見つける他ないのだ。


 彼女の場合は、酒が薬となりえている。


「今でも虐待の日を思い出すと怖い?」


「怖いです。昔のように人前で怯えることは無くなりましが、閉鎖的空間かつひとりで何も考えずにいるとふとフラッシュバックします。そのたびに頭の中を他のことでいっぱいにします」


 トラウマというのは簡単には消えない。


 特に幼少期のトラウマというのは大人になったとき、強烈なトラウマとして蘇ることだってある。

 

「記憶の無いおまえが羨ましいと思うことがありますよ。思ってはいけないと分かってはいますが、心の中では思ってしまいます」


「トラウマを忘れられるから?」


 数秒間の沈黙が訪れる。

 

「いえ、こんなことを言うのは間違っていましたね。ごめんなさい。おまえにも記憶がないことで起こる苦しみというものがあるのでしょうから」


「そんな、あやまらなくても。でも記憶を失うのは正直怖いよ。大切な家族がいたら、友人がいたらそれをすべて失うわけだら。でもおかげで一ノ瀬組と出会えた」


 もし記憶を失っていなければ、どんな人生を歩んでいたのだろうか。


 きっと、一ノ瀬組にも出会わず、冒険者にもならず、つまらない人生を送っていたかもしれない。そういった点では、記憶を失ってよかったと好意的に捉えることができる。


 お酒を飲み終えると、マリーは立ち上がる。


「寝室に行くの?」


「そうですね。イーチノ様も眠ったころでしょうから、護衛役として一緒の布団で眠りにつきます」


「親代わり、だもんね」


「明日は朝から『リリー・ハロウィン』のところに行くのですか?」


「そのつもり。昼前まで修行を付けてもらって、午後からはブラックファングとの戦いに備えて、準備をするよ」


「そうですか。行くのときには、声をかけてください」


「分かった」


 ほんの数十分の会話だったが、イーチノ・マリーのことを少し理解できたと思えたハル。会話の後半は、マリーの口調もどこか軟化していた感じがしていたため、少しだけ友情という新芽が、芽生えた気がした。


 翌日の予定を確認し終え、寝室へ戻ろうとしたときだった――。


「なんだ貴様らッ! グァッ!」


 外から見張りをしている一ノ瀬組構成員の怒号と苦しみの声が聞こえる。


「マリー!」


「分かっています!」


 ただ事ではないことを察したふたりは勢いよく走りだし、外へと飛び出した。


 


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