六話 意外と知らない『キミ』の事
バシッ、バシッ
ルーのジャブが掌に当たり、小気味良い音を周囲に響かせる。
最近彼女が手加減を覚えてくれたお陰で俺を正面に据えた対人練習が可能となったのだ。
これで技術的な面において細かい指導ができる。まあルーの戦闘能力ならこのままでも充分通用するのかもしれないが、やっておいて損はないはずだ。
…ぐにゃり
ルーの拳をいなすために後退すると、ぬかるみに足を突っ込んでしまった。
…いや違った。プチ男を踏んでしまっていた。
「あっごめん!大丈夫か?」
そう問いかけたがプチ男は気にしている風でもなく、すぐさま元のまんまるな形状に戻ったかと思うとめちゃくちゃに伸び縮みを繰り返し始めた。
「…またソレか」
昨日からプチ男は俺にまとわりつき、この動きばかりするようになった。
何かに対して怒っている訳ではなさそうだし、朝食もさっき食べたから腹が減っているという事も…そもそもコイツは石でも紙でも椅子の脚でも何でも勝手に食べるので空腹とは無縁だ。それなら一体何を要求しているのか?
こーゆう時はコルリスに聞くに限る。
「ん〜とですね。本来これは威嚇行動なんですけど、今はクボタさんに『自分は強いぞ!』ってアピールしているみたいです。」
以上がコルリス先生のお言葉である。
「あぁ、言われてみれば確かにそう見えるね…でも何で急にやり始めたんだろ?」
「多分…アレですよ、明日の。」
明日…明日は二回目の試合がある。それに勝てばもう次が決勝らしい。この地区はあまり参加者がいなかったのだろう。
そういえば…対戦相手はコイツと同じスライム系の魔物だった。
「もしかしてお前…出たいの?」
俺がそう聞くとプチ男は無い首の代わりに全身を縦方向に揺すって即答した。同種族を前にして闘争心が湧き上がった。と言った所だろうか、しかし…
「そっか…お前の気持ちは分かった。でももう試合にはルーが出場してるし交代はできないと思うんだ、悪いけどまた今度な。」
「いや、出れますよ。」
「え!?」
俺の予測に反してそう答えたのは、当たり前ながらコルリスだった。
「あ!言い忘れてましたね。大会には魔物は原則三匹までエントリーできてその中から一匹選んで戦わせるんですよ。でも現状ではこの子達しかいないのでこの前二匹とも登録しておきました。だからプチ男君も出場できます!」
「へぇ〜、そんな制度があったんだ。知らなかったよ。」
「魔物も風邪や病気になりますから、もしもの時の交代要員ですね。それにルーちゃんだけ登録して相性の悪い魔物と当たった場合、手も足も出せないまま負けちゃう、って可能性もゼロではないですから。」
「うん、その通りだ。コルリスちゃんは俺の元いた世界で言うところの『有能』だね。あっ、もちろん褒め言葉だよ。」
「ゆっ…ユーノウですか?それほどでも…」
彼女は頬をほんのりと赤く染め、もじもじし始めた…初めて見る表情だ、実に可愛いらしい。
「よかったなプチ男。コルリスちゃんのお陰で出場できるぞ、お前も特訓だな。」
俺がプチ男をわしゃわしゃと撫で回すと、なぜだか彼の肉体は普段よりもほんの少し柔らかくなった。
「…そうだクボタさんっ、今度の対戦相手はスライム系の魔物でしたよね?だったら情報収集としてコレに参加してみませんか?」
そういってコルリスが懐から取り出した紙に目をやる。なになに…『Gランク魔物使い必見‼︎トロールでも分かるスライム講座‼︎』…と書いてあるらしい。
「こりゃあまた…今の俺たちのためにあるような講座だな…」
「ええ、昨日届いた郵便物の中でたまたまそれだけがプチ男君に食べられずに残ってたんです。しかも開催は今日!これはもう運命なんじゃないでしょうか!」
…は?
「…………コルリスちゃん一応聞くけど、昨日きた大会関係のビラは残ってるの?いや。言わなくていいや、そもそもコイツにはまだ教えてないはずの対戦相手を知ってるって事はさ…」
「食べる時に見たんでしょうね。でもプチスライムって文字までは読めなかったような…」
「…まあなんにせよ、プチ男はその癖を治さない限り大会には出さない事にするよ。」
そういうとプチ男の体は突如某蒟蒻から作られるゼリーほどの硬さに変わった。
俺は掴みやすくなったプチ男を持ち上げ一応揺すってはみたが、彼の胃袋の中にあるはずのビラが出てくる事はなかった。
「えぇえええ、本日はみなみなみ…皆様、お集まりいただき本当にありがとうございます…」
磨き上げられた革靴と一目で高価だと分かる紺色のスーツ、そしてシルクハット、そんな服装をした老年の紳士が目の前でたどたどしく話している。
彼の名前はキングさん。この講座の主催者だ。
「ねえコルリスちゃん、あの人いくらなんでも緊張しすぎじゃない?まともに講座できるのかな。」
俺はコルリスに囁く。
「まあまあ、この講座に人が来るのは初めてらしいですから嬉しくて仕方ないんでしょうよ。」
「…ありがとう。その情報のお陰で余計心配になったよ。」
現在、俺達は街にある闘技場の中の控え室にいる。トロールでも分かるスライム講座の会場だ。
…控え室なんかでやったら狭いのではないか?と思うかもしれないが安心してほしい、部屋は意外にもかなり広いのだ。恐らく大型の魔物も収容できるようにこのサイズなのだろう。
それにこの会場には今、俺達を含めて四人しかいない。気を遣ってルーとプチ男を加えても六人だ。スライムが不人気な事はこの講座に来て大変よく分かった。
「うぅ…こうして若い世代の魔物使いにわれわ…スライムについて教えられる日が来るとは…よし決めた!後日皆様には特典の方をご自宅に送らせて頂きます!」
キングさんは心情を全て顔だけで表現してみせようとでも言わんばかりに表情を目まぐるしく変化させている。見ているこっちが疲れてくるのでどうか落ち着いてほしい。
しかも今我々って言いそうになった。どんだけスライム好きなんだこの人は…
「それでは、ええとクボタさんでしたかね、まず貴方のご住所を…」
やばい、色々とツッコミどころが多すぎてほとんど聞いてなかった…住所?ダメだ、全く分からない。あるのかさえ知らなかった。
「クボタ…?」
その時、俺達を除けば唯一の参加者である一人の女性が驚いた様子でこちらに顔を向けた。
多分、年齢はコルリスと同じくらいだ。短髪で浅黒い肌の色をした軽装の女の子。もちろん知り合いではない。
「貴方…今度のビギナーズカップの準決勝に出場するクボタ…さん?」
「え…ああ、そうだけど。」
大会の名前がビギナーズカップであるのかも分からなかったが、多分それは俺の事だ。
「本当!?すごい偶然。私、貴方の対戦相手のジェリア。明日はお互い頑張りましょ!」
「え!?」
驚愕している俺に、彼女はルーにも劣らないほどの眩しい笑顔で手を差し出した。前から思っていた事だがコルリスといい彼女といい、なぜこの世界の女の子はオッさんである俺にこうまで優しくしてくれるのか不思議でならない。
「あぁ…こちらこそ…」
「ところで、ここに来たって事はクボタさんもスライム好きなのよね?ね?」
「まあ、嫌いではないけど…」
「やっぱり!本当に夢みたいだわ…こんなに素晴らしい講義を受けられるだけでも幸せなのに、そこに同志がいただなんて…………あっ、ごめんなさい。私スライム大好きなの、でも他の魔物使いはもっと強い魔物が良いって言う人ばっかりだったから、嬉しくてつい…」
俺に謝罪の言葉を述べてはいるが、ジェリアの顔にはしまい忘れた興奮と喜びの表情が貼りついていた。よほど嬉しかったのだろう。そしてこの子はどうやらスライムマニアのようだ。
「これから私達でスライムの良さを世に広めていきましょ!クボタさん!」
彼女はそういうと再びにっこりと笑った。
「そ、そうだね。」
終始苦笑していた俺はひとまずそうとだけ返した。
先ほども言ったが…ジェリアはよほど嬉しいのだろう、さっきから握手した手を離す気配がない。悪い気はしないのだが…彼女、もう少し男という生き物に対して警戒心を持った方がいいと思う。
俺に対してもそうだ。こんなに明るい笑顔を向けられているだけでなく、ずっと彼女を肌に感じているのだ。
このままではいくら中年になり、多少なりとも冷静な判断ができるようになった俺といえどもそろそろ胸の鼓動を抑え切れなくなる…
「あ…あの〜、ご住所を…」
申し訳なさそうに呟いたのはキングさんだった。大丈夫です、貴方が申し訳なさそうにする必要はないんです。悪いのは講義中に喋り倒している僕らなんですから。
「あっ!すみません!」
内心、俺は助かったと思った。
こうしてついに始まったスライム講座だったが、興奮したキングさんによって約三時間も延長された。
ちなみにいうと最後まで寝ずに話を聞いていたのは意外にも俺とプチ男だけだった…
スライムマニアなんだから、最後まで聞けよ…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます