一章 雑魚魔物使い
一話 転生？
「…ねえ…大丈夫かい？」
何者かの声が聞こえる、助かってしまったのだろうか。
「おい！」
「！」声に驚き、久保田はすぐさま顔を上げた。
天井はタバコのヤニで変色し、部屋内には酒の臭いが充満している。ましてやベッドに寝かされているわけでもない、少なくともここは病院ではなさそうだ。
「急にどうしたんだい？何も喋らなくなるから心配したよ。」
テーブルの向かいでは30代ほどの見知らぬ男性が心配そうな表情でこちらを凝視していた。
「はあ…あの、ここはどこ…なんでしょうか？」
「はぁ…？こ、ここは集会所兼酒場で、君はここに面接しに来たんじゃないか。」
「えぇ…」
（俺は、夢を見ているのかもしれないな。）
唐突な夢の始まりに久保田は困惑した。
そうして暫く何も言えずにいると、扉に付けられたベルがチリンと音を鳴らし来客を知らせた。
酒場に入ってきた人物は久保田達、というより久保田と共にいる男の元へとまっすぐに向かって来る。
その人物は長い黒髪で青色の瞳を持ち、全身を黒いローブで包んでいる。現実ならばかなり勇気のいる服装だが、そんな事が気にならなくなるほどのモノを引き連れていた。
背後にいたのは、間違いなくドラゴンと呼ばれるべき存在だ。立ち上がった時の背丈は山のように高いが体型は意外にもすらりとしている。しかし、何故わざわざこんな怪物を酒場に入れたのだろう、暴れたりしないのだろうか。
恐怖に固まる久保田をよそに、30代ほどの男は立ち上がったかと思うとドラゴンに臆する様子もなく近付いていった。
「やあ二ブリック君！ごめんね、君の前に面接してた人がちょっと長引いちゃってさ…少し待っててもらえるかな？」
「それは構わないけれど…ナブスターさん、貴方人が良すぎるんじゃない？そんなプチスライム連れてるような雑魚魔物使いの話まで聞いてるなんて…はっきり言って、時間の無駄だと思うわ。」
透き通るような高い声、二ブリックと呼ばれた人物は女だったらしい。そして随所に出てくる単語の意味はよく分からないが、久保田を罵倒しているようだ。
だがそんな事はどうでもいい、気になるのは意味の分からない単語のうち久保田を魔物使いと呼んだ点と、プチスライムを連れているという点だ。そんな職に就いた覚えはないし、スライムなどどこにも…
いた。
久保田の頭の上、そこにはぶよぶよとした塊があった。これがプチスライムなのだ、むしろそうとしか考えられない。
魔物使いとはこの夢の世界で人ならざるもの、つまり魔物を手懐けている者の事をいうのだろう。このスライムの存在は、久保田が紛れもなく魔物使いだという証拠でもあるのだ。
…なるほど、確かにこのスライムがドラゴンを打ち負かしている姿など想像もできない。あの二ブリックという女がドラゴンを酒場に連れてきたのは他の魔物使いとの力の差を見せつける為のパフォーマンスなのだ。
だとするとナブスターと呼ばれた男性は非常に好人物、悪くいえばお人好しだ。こんな面接の途中に訳の分からない事を話し始める上、更に弱い魔物を連れた…久保田を邪険に扱わないのだから。
あの女は少し気に食わないが、ナブスターにはこれ以上迷惑をかけたくはない。
「その方の言う通りです。これ以上私がここにいるのはご迷惑でしょう、そろそろ失礼させていただきます。」
久保田はプチスライムを首に巻くようにしながら腰を上げ、ドラゴンの脇を足早に通り過ぎて扉の前に立った。
「きっ、君！気を悪くしたなら…」
ナブスターが久保田に走り寄って来る。
「大丈夫ですよ、貴方のせいではありませんし、ただ…」
「ただ…？」
「僕って、どこから来たか分かります…？」
ナブスターに大まかな方角を聞き、久保田は家に帰るため、自分が歩いた〝らしき〟道を進んでいた。
しかし西洋と大正時代の日本の中間のような雰囲気の街並みは遠ざかり、今四方には木々が乱立している。迷ってしまったのかもしれない。
久保田は一旦足を止め、頭の上に居座るプチスライムを足元に置いた。
「何言ってんのか分からないかもしれないけど、この世界だと俺はいわゆる…記憶喪失みたいな状態でさ、しかも家にすら辿り着けなさそうなんだ、こんな主人が嫌だったら、お前、自分の住処に帰ってもいいんだぞ。」
久保田がプチスライムにそう告げると、意外にもそのゼリー状の物体は左右にぷるぷると震えた。言葉を理解している、そして何と久保田を見捨てないというのだ。
少し驚いたが悪い気などしない、久保田はこの世界で初の笑みをこぼしながらプチスライムを頭の上に戻し、また歩き出した。
それから五、六分ほど歩いただろうか、道が上り坂になったかと思うと小高い丘に行き当たった。
「ダメだ、完全に迷った。」
思わずそう呟いたがそもそも一切の手がかりもなく目的地を探すという行為そのものが無謀なのだ。
開き直った久保田は丘の上から立ち小便をし、草むらに寝転がって空を見上げた。
最悪野宿でもすれば良い、それにこれは夢であり、もはや久保田を縛りつけるものは何も無い。
グルルルル…
自然に囲まれた場所もいいものだ、耳をすませば小鳥の鳴き声も聞こえてくる…
いや、絶対に今の鳴き声は小鳥ではない、しかもそれは先程立っていた場所の下方から聞こえた。
嫌な予感がし、恐る恐る下を覗きこんだ。その途端久保田の全身を恐怖が駆け抜けた。
そこにいたのは右肩を濡らした大男と、困り顔の可愛らしい少女だった。なぜ彼等を見た久保田が恐怖したかと言われれば、それは二人の肌が緑色に染まっており、なおかつ男の方の背丈が周りの木々を優に超えていたからであろう。
（ヤバい、絶対魔物だ…そうだ！プチスライム！）
…は頭の上でぷるぷると震えている。やはりこいつには無理な相談らしい。
小水をもろに受けた大男のこめかみに青筋が浮かび上がる、さぞ恐ろしい鬼のような形相をしているのだろう。
そう考えていた矢先に大男がその鬼のような顔をこちらに向けた。
その瞬間、久保田は弾かれたように走りだした。
だが走り始めてから十歩目で大地が揺れ、二十歩目で大木が真横に突き刺さった。久保田は衝撃で足を取られあっさりと地面を転がった。
（終わった…）
全身の力が抜け突き刺さった大木に背中を預けた。その間にも大男はどんどんと距離を縮めて来る。
「ク…クボタさ〜ん、ごめんなさ〜い、私にはどうする事もできませ〜ん」
どこからか若い女性と思われる声が聞こえる。名前を知っているという事はこれから目の前の怪物にやられる久保田を迎えに来た天使…なのかもしれない。
（天使よ、君が謝る必要はない、もともとはあいつに小便をかけた俺のせいだ…）
久保田は最後の力を振り絞ってプチスライムをできるだけ遠方に投げ飛ばすと。俯いて目を閉じた。
（こんな終わり方をするならきちんとあの時死んでおけば良かった…いや…確かあの時は…！クソ！あの…バッティングセンター…夢から覚めたら訴えてやる…）
突如、何かが落下してきたかのような大きな音が聞こえ、大地が寒さに凍えるように大きく震えた。あの怪物は俺をまだ殺さずに弄ぶつもりなのか。
そう思った久保田が目を開けると、目の前には大男がうつ伏せに倒れていた。そしてその背中の上には大男と共にいたはずの少女がおり、こちらに微笑みかけている。
意味が分からない、仲間割れだろうか、とにかく…助かったのか…
少女の笑顔に見送られながら、緊張の糸が切れた久保田は二度目の永遠かと思われる闇に身を委ねた。
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