来客

「…引き継ぎは以上。夜は落ち着いてるといいね。」


知里を母親に紹介してから1週間後の土曜日、救急日直を終えた俺は当直の同期に患者の引き継ぎを済ませ、病院の敷地内にある職員寮へと帰った。



普段の俺ならば、土曜日の救急日直の後は病院の研修医医局で勉強するか、当直の同期の業務を手伝ったり冷やかしたりするので、寮に戻るのは遅くなることが多い。『初期研修は医者人生の最初の一歩。同期の中でトップの評価を得て完全燃焼するつもりで臨まないといけないよ。』

大学の恩師である深津先生の言葉を俺は忠実に守っている。同期の中でトップであるかについては、池崎と実力伯仲といったところだと思うが、各科のスタッフからの評価は上々だし、関東の有名大学の主席という肩書きを背負って入職し、その肩書きに恥じない働きをしている自負がある。


関東の医学部を卒業した後、東北地方の中核都市にある総合病院で初期研修を開始し、この寮に住んで一年と少し。若手医師や看護師、薬剤師が30人ほど住んでおり、同期の池崎はお隣だ。1Kの小さな部屋だが、数年前に完成した比較的新しい建物なので内装は綺麗だし、猫の額ほどの面積しかなかった大学時代の古臭い1Rと比べたら天国と言っていい。といっても病院に住んでいるような働き方をしていて寮で過ごす時間はとても少ないので、この部屋はほぼ物置と寝所の機能しか備えてはいない。ベッドと二人掛けのソファ、ローテーブル、出番の少なくなった医学書を納める本棚があるくらいだ。




窓から小さな部屋に夕日が差し込み、シングルベッドを照らしている。

籠った熱気を締め出すためエアコンをつけ、病院のコンビニで調達したアイスコーヒーに手を伸ばす。コーヒーはもう一人分用意してある。



今日、早々に帰宅したのは来客があるからだ。



♪♪♪



チャイムが鳴った。

俺は玄関に向かい、ドアを開ける。女はドアを閉めて鍵をかけると、靴を脱ぎながら俺に抱きついてきた。

女のうなじから漂う甘い雌の匂いと、妖艶な香水の香りが混ざりあい、雄の本能を激しく刺激してくる。俺たちはキスをしながらベッドになだれ込んだ。女の唾液の匂いと、コーヒーの残り香が混ざる。





「カーテン閉めて。」






女が短くつぶやく。オレンジの光は部屋から締め出され、部屋は暗い、二人の世界になる。



この人は美鈴という。俺の頭をかき乱す悩みの種。

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