友人

翌日、日曜、23時。

都内へ戻る知里を駅まで見送り、17時からの救急当直。勤務先の病院はこの地域の3次救急を担う中核病院だ。当然、激務。



「お前さ、良い加減精算しないとやばいんじゃね?」



研修医室で冷めた出前のカレーをレンジにかけながら同期の池崎は言う。

当直帯になってから鳴り止まない救急車のサイレンのせいで夕食がこんな時間になってしまった。辛口トッピングをしたカレーが五臓に染み渡る。



言われなくとも。



「今年中に諸々の片をつけるつもり。後期研修に入る前に知里と籍を入れるよ。」



初期研修は折り返し地点を過ぎ、皆それぞれの進路を決めなければならない時期だ。それもあってか医師カップルが結婚するタイミングとして初期研修修了時は、医学部卒業時と並んでメジャーだ。この機を逃すと、婚期をずるずると逃し続けるケースも多い。特に女医は。



「お前、去年も『今年中には〜』って言ってなかったか?随分なげえ『今年』だな?」



軽口を叩きながら池崎は待望のほうれん草カレーにありついている。

この池崎という男は、研修医同期の中で最も気の置けない関係の友人だ。頭の回転がはやく、野心もあり、同族の匂いを感じる。お互いに研修医同期の筆頭を争う立場にいることを意識していて、ライバルと言って良いと思う。切磋琢磨するだけではなく、プライベートな悩みや不安を相談できる関係だ。循環器内科に進むことが決まっている池崎は、来年からは大学から付き合っている薬剤師の彼女を連れて、日本で有数の循環器病院で後期研修を行うらしい。



「別に、知里は何も勘付いてないし、籍を入れるまで淡々と手続きを進めるだけ。あいつとは、それまでのどっかでサヨナラすれば良いだけだ。」


「そんな簡単に行くか?お前ほど計算高いやつなら、本気で知里って人と結婚するつもりならとっくに精算してるんじゃないか?客観的に見て、すごいリスクあることしてるぞ。」


耳が痛い。


知里と結婚することは誰がどう見ても俺にとって悪くない決断だ。知里の実家は太い。誰でも知っている巨大総合商社の役員である父親は、都内に代々受け継いできた土地を多数保有しているとか。

これまた手堅い就職を成功させた長男も、数年前にお堅い女性と結婚して子供をもうけているらしい。俺が知里の家に縛られることもない。


あの忌々しい津波に祖父母と家を飲み込まれ、後ろ盾がほぼ0になった俺が一念発起するには、知里という存在はあまりに魅力的すぎる。まさに渡りに船だ。


どこからどう見ても、知里との結婚は『正解』以外の何物でもない。

そう、当たり前のことだ。そうに決まっている。



「ちょっと火遊びしてるだけだろ。誰だってそういう時期はあるもんだろ?」

「あんまり火遊びの時期が長いと熱傷になるんじゃないか。知らんうちにじわじわとさ。低温やけどみたいにさ。」



うまいこと言うなこいつ。



「ステロイドでも塗れば治るレベルで止めるように努力するさ。」

「俺の見立てだと、もう植皮が必要なレベル。相当深くまで焼かれてるね。ステロイド塗るには遅すぎる。」



♪♪♪



俺のPHSへの着信が会話を遮った。救急外来の看護師からだ。

…循環器志望の池崎にとっては朗報だ。伝えてやろう。



「50代男性のCPA✳︎蘇生後。初期波形VF✳︎で、救急隊のショック一発でROSC✳︎したってさ。」

「まじか!十中八九AMI✳︎じゃん。早く飯済ませて準備しようぜ。心カテまで入りてえなあ…。」

「だめだ。池崎が心カテに入ったら救急外来が俺一人になるだろ。」



池崎は少し残念そうにしている。分かりやすいやつだな。

頭が痛くなることは棚上げにして、今は当直業務に専念しよう。まだ夜は長い。


俺たちは遅い夕食を胃に流し込み、研修医にとっての戦場である救急外来に急ぐ。


◆◆◆


✳︎CPA:CardioPulmonary Arrest

    心肺停止

 VF :Ventricular Fibrillation

心室細動 致死的不整脈の一つ

 ROSC:Return Of Spontaneous Circulation

    自己心拍再開

 AMI:Acute Myocardial Infarction

急性心筋梗塞

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