知里


『来週末は空いてるから来る?』

トイレで手早く返信を済ませた俺は店員にクレジットカードを渡し、母親と知里が待つテーブルに戻った。



今日は知里が久しぶりに県外から会いに来てくれた日、そして俺の母親と知里の初対面の日だ。この後は近くの観光名所を散策することになっている。


丁重に二人をエスコートしなければ。




◆◆◆




地球温暖化は着実に進行しているのか、梅雨明けの日差しは夕方になってもお構いなしに路地をジリジリと焦がし、地面に陽炎を作っている。行き交う人々はうんざりした様子だ。


俺が子供の時はこんなに暑かったっけ。父親が着けていた虹色のバッジ。役所の虚しいアピールと思っていたが、冷笑している場合ではないのかもしれない。




3人で我が故郷が誇る観光名所を巡った後、母親と別れて駅からほど近いホテルへ向かう。


「お母さん、いい人だね」

「うん、ちょっと飲みすぎてたけどね。」


本当に飲み過ぎだ。普通、初対面の相手に夫との不仲を露骨に感じさせないだろう。

ましてや相手は息子の婚約者だぞ。母親と父親と、知里の紹介に2回分の機会を設けなければいけない息子の身にもなってくれ。


「上手くやっていけるかな?」

「知里が下戸なのはマイナスポイントかもしれないけど、大丈夫だよ。」


将来の姑とのファーストコンタクトを終えた知里は、些か不安な様子ではあるがそれでも強張った表情は幾分か緩んでいる。


「今度学会発表する症例なんだけど、指導医に論文にしてみないかって言われてて。学生の時に症例報告の論文書いてたよね。あなたからも意見をくれない?」

「もちろん、ホテルに着いたら原稿を見せてよ。力になれるかわからないけど。」


知里は本当に勤勉だ。彼女の生まれ持っての気質なのか、大学浪人という苦い経験がそうさせるのか。医学部入学後、彼女の成績は上位一桁から転落したことはなかったはずだ。俺の学業成績が彼女と交際を始めた4年次から急成長したのも、彼女の影響がなかったと言えば嘘になるだろう。


彼女は誰もが振り返る美人という訳ではない。目鼻たちこそ整っているが、学生時代から全くと言っていいほど化粧はしなかったし、他所ゆきの服と言えば決まってワンピースで、よく言えば古風で奥ゆかしい女、悪く言えば野暮ったい女となるのだろう。男性経験も皆無だった。


しかしそのひたむきな努力に儚げな雰囲気も相まってか、知里は大学の教員から非常に人気が高かった。

『君、あの子はいい奥さんになるよ。とてもステディでいい娘だ。結婚するならああいう女性が良い。』

恩師である深津先生に言われた時は、素直に気分が良くなったものだ。


…深津先生があんなことにならなければ、俺がここまでキャリアプランに迷うこともなかっただろうに。



「今日はこの後どうするの?」

「ランチの量も多かったし、今日はホテルのラウンジで軽く済ませて休もう。知里は明日病院に戻って当直だろ?」



知里はほっとしたように頷く。

本当は居酒屋にでも行きたい気分だ。しかし知里は小食だ。あのランチコースを食べた後では、明朝までしっかりとした食事は摂れないだろう。

それに知里と会うのは3ヶ月ぶりだ。夜は長くなるかもしれないし、食事は早めに済ませるのが無難だろう。



「行こうか。」



真新しい建物たちの影が伸びてきている。

それなのに少しも涼しさをもたらさない夕日から逃げるように俺たちは歩く。

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