欠けた人間

ありおそ

順風満帆

良く晴れた7月の吉日。

ここは我が故郷にある、イタリアンで少し名の知れた優良店。

津波が根こそぎ建物をむしり取り、更地になっていたこの辺りも随分復興したものだ。この店はあの日以来、二代目が引き継いだようだが。


母親は昼間から景気良くビールを飲んでいる。


息子が連れてきた婚約者と初対面し、最初こそ柄になく緊張している様子であったが、好物のビールが母親の緊張を緩めつつあるようだ。


「知里さんは何科に進むの?」

「腎臓内科がいいかなと…。勉強していて楽しいし、ワークライフバランスが良さそうなことも大きいです。」

「知里は『できる研修医』だし、大学の医局からも引くて数多だから、子供ができて一線から退くのも勿体無いよ」

「私はお母さんになるのが夢だったから、いいの。それに引くて数多なのは貴方もでしょう。」


知里はジンジャーエールに手を伸ばす。緊張で口が乾きがちのようだ。

当たり障りのない会話をしているようで、母親は将来娘になるであろう知里を見定めている。


「私も知里さんと同じで、この子を立派に育てたかったから妊娠後に教師をやめたのよ。」


母親は嬉しそうにグラスの手を伸ばす。

俺もビールを煽る。ビール好きは母親譲りだ。


「俺は外科に進むつもり。昼も夜もない働き方になるだろうから、知里が家に居てくれると助かるけど。」

「医者の代わりは居ても、親の代わりは居ないのよ。だから私にとって仕事は二の次。」


知里は決して俺の母親の手前、家庭的な面をアピールしている訳ではない。

医学部4回生で俺達が交際を始めた時から彼女は本気で『お母さん』に憧れていた。


『AIで医者の仕事は無くなる』『これからは医者余りの時代。食い扶持が無くなる』

そんな陳腐はフレーズは何度も聞いてきたが、医者のバイト報酬は未だ他職種には言えない水準だ。知里が家庭に入っても、週に1回でもバイトをすれば、万年平公務員である俺の父親の月収を上回るだろう。


「父さんを呼ばなくてよかったかな?」

「あいつがいると気分が悪くなるからいいのよ。今度また私が居ない時に呼んであげたら。」

「…」


だいぶ酒が回っているようだ。息子の婚約者の目の前だぞ。


「一人息子が医学部に進学できて、首席で卒業した上にこんな素敵な彼女さんを連れて来てくれるなんて、今日はいい日ね。」


母親の好意的な態度が伝わったのか、最初は岩のように固かった知里の表情も和らいでいる。

子供は何人欲しいとか、習い事は何をさせるか、みたいなことで盛り上がっている。


初対面は上々と言ったところか。





♪♪♪

スマホにメッセージ。


『次はいつ会える?』




俺はスマホをポケットに戻す。



店員が煙の篭ったガラス容器の乗ったプレートを持って来ている。

次の料理は鴨肉のスモークのようだ。

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