もう戻れない。

 人は寝ている時には涙を流さない。目の汚れ取るるための涙も、寝ている時には働かないからである。ただ一つ例外がある時があるとするのなら、それは本人の夢に異常があった場合である。


「え?なんで詩音さん泣いて、って違う!先にハンカチ……」


 静かに涙を流したまま寝ている詩音さんに狼狽えながらも、ハンカチで涙を拭く弥登。


 涙を拭きながらも詩音さんを観察する弥登。幸いにも呻き声は聞こえないため、何処かが痛むと言う訳では無いようだ。


 では一体詩音さんに何があったのか?不躾だが心の中で謝りながら、体に異常が無いかの確認をする弥登だったが、異常は無かった。


「(身体にはこれといった点は見当たら無かった。彼女の呼吸にも変化は無いし……ああもう!こんな事になるんだったらもう少し医学を学んどけば良かった!)」


 心の中で愚痴りながらも、他の可能性を考える弥登だったがある可能性に思い浮かべ、考える。


「(ここまで確認して原因は見つから無いなら、それはきっと夢……)」


 思い浮かべた1つの可能性……夢に何かあったのかと考えれば言葉に筋が通る。だが、夢が原因で泣いているのなら弥登は助ける事は出来ない。何時もの弥登ならそれだけと割り切るが、自分の社員であり、なおかつ同じ同級生となれば助けてあげたいと思った弥登に、詩音さんから、声が微かに聞こえる。


「いかないで………」

「……………………」


 小さく、それでも悲しみのこもった声に弥登は考えるのを辞めた。

 彼女の手を握り、涙を拭いていた手を彼女の頭に乗せ、ゆっくりと撫でる。


「どこにも行かないよ。僕が味方でいよう。」


 仮に、この場に妹の七海がいれば変わっていたのかも知れないが、それもかもしれないだけである。弥登は夢の中で泣いている詩音を慰め、決意する。


 彼女に優しくしようと。昔のように優しくして、幸せになってもらおうと。


 果たして、その思いが届いたのか、詩音の表情が戻り、涙も止まった事に安堵した。安堵したが……


「……ごめんね、


 わかっている。これはただの自己満足であると。

 きっと詩音は驚くだろう。いきなり呼び方は詩音さんから詩音に代わり、膝枕されている事にも驚くだろうし、更には2人っきりの状況にも驚くだろう。自分は明日の日の出も見れないかもしれない。そうだとしても、今の状況を手放す程、音野弥登は男を辞めていなかった。


「早めに起きてくれないかな……膝が痺れてきた」


 詩音に愚痴りながらも、詩音に向ける目は慈愛に染まっていた。




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「…………う、ううん…」

「お?起きたかな?」


 あの決意から10分過ぎたか過ぎてないか。ゆっくりと詩音を撫でていると、変化が起きた。詩音の整っている目の二重が開いて……目があった。まだ寝ぼけているのか、視線がぼうっとしている。


「おはよう、詩音。調子はどうだい?」

「………弥登くん?…………!?」


 目が覚めた詩音は膝枕されている事に気づいたのだろう。慌てて詩音が体を起こして離れる。そんなに慌てる必要はないのに……どうやら自分がビンタされる未来は回避したようだ。


「わ、私いつから眠って……ってそれよりも!なんで弥登君は、私を詩音と……べ、別に良いのですけど!いきなりでびっくりします!」

「……ダメだった?」


「ダメじゃないですけど……もっと言って欲しいっていうかって何言ってるんですか私!?」


 顔を真っ赤にする詩音を見ていると少し笑えて来るが時間も9時30といい時間なので詩音には落ち着いてもらう。


「どうどう、落ち着いて詩音。慌て過ぎて口調がおかしくなってるよ。」

「おかしくなっていませんバカ!」

「うーん純粋な罵倒。」


 結局、詩音が元の状態に戻るのはそれから5分後のことだった。


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