第13話 練習は始まったけど
「芸名が決まったからには練習始めようじゃないの」
馬さんは学生時代に持っていた落語の本の中から、二三の小噺をコピーして持って来たものを皆に配りました。小噺「柿と栗」「桃太郎」等々を一通りやってみせると、皆もコピーを見ながら唱和しました。
何度か口慣らしをした後に
「このように文字に書いてあるだけじゃぁ、噺は全く面白くないでしょ。さっき私が落語らしく適当にアレンジしてやったけど、皆もこの通りじゃなくて自分が話いいように変えてやってみて・・」
「読むんじゃなくって、人に語りかけるような気持ちでやってみてよ。」
「じゃぁ一人ずつ言ってみようか」
と呼びかけると、いつもの元気はどこかに行ってしまって
「榎ちゃん、佐川さん、浦辺さん・・」と声をかけても、「イヤ私は後からやりますよ。」
と皆とても遠慮深いのでありました。
そこで師匠が町内のお年寄り達が踊ったり民謡のサークルが歌ったりと、よく使われている舞台を指差して
「そうだ、こうしよう。その舞台に上がって一言喋ってみようじゃないの」
と言うと、
「まだ噺もろくに習ってないのにぃ」とまるで同じ言葉が輪唱のように返って来まして。わずか数センチのそれほど高くない舞台であっても、慣れない人にとっては随分高く感じられるものだと、中央に座布団を置きに舞台に上がった私は感じました。
「じゃ分かった。話さなくっていいから、横から出て来て座ってお辞儀をし、自己紹介するってぇの、どう」
賑やかに出囃子のテープを流して無理やり、皆を舞台に送り出してやると、皆は照れながらぶっきらぼうな感じで出て来ます。馬さんは出てくる仕草も芸のうちなのだからと、そこは自分で考えてそれらしさを演出して出て来るようにと注文を出しました。
弦巻さんは右手でしっかり握った扇子をグイッと前に突き出して、うつむき加減で出て来ましたが、
「どうも何だなぁ、夜道を提灯ぶら下げて客を送って行く番頭さんみたいだなぁ、もう少し顔を上げてよ」
と、師匠に言われると、今度は歯を食いしばってジイッと行く手を見つめておりまして。
「何か必死の覚悟で出て行くみたいだなぁ、もっと力抜いて。」
「よし、そこで自己紹介でも何でもいいんだ。」
「何か喋ってみて。本当に何でもいいんだから」
「酒之家酔う太といいます。落語うまくなりたいです。宜しくお願いします」
これだけ言うのでさえ相当な勇気がいるようでありました。
次に鬼頭さんが続いたけれど、これまた同じく視線を下に向けないようにと注意されまして。やはり慣れないので恥ずかしいのか、皆どうしても下の方を見てしまうんですね。
「座った時には視線は遠く、この部屋の向こうのあの障子の真ん中よりやや上の方を見て。そして声はうるさいっ、て文句を言われそうな位に、とにかく大きく。」
「素人なんだから小さな声でボソボソ言ってると聞こえない。そりゃぁ本職さんの中にだって、しっかり耳傾けなきゃぁ聞こえないってぇ人もいるけど、我々は素人なんだしね、こう『え~、しばらくの間お付き合いのほどを願っておきますがぁ・・』って、この位の大きな声で頼みますよ、ねっ」
と、師匠が言うと皆も元気に真似をします。
「そうそう、立派に聞こえるねぇ、その調子その調子」
師匠がちょいと褒めると皆はとても嬉しそうに笑いました。
「いよぉ、あほうでん!」の掛け声に榎木さんの登場であります。
扇子を両手でお腹のあたりに持って、ヘコヘコとお辞儀をして愛想を振りまきながら歩いておりまして。
座布団の所まで来ますと、「よおっ!」と片手をあげてから、飛び上がるようにどっかと着席。 デヘヘヘと言うような口真似をしてから、何も言わずに部屋の隅から隅まで見渡して、エヘラエヘラと笑いました。
一言の言葉を発する訳でもないのに、皆はケラケラと笑い出して鬼頭さんまでもが大喜びしております。
「榎ちゃん、そのまんま引っ込んで。」
「榎ちゃんは何も話さないでいつもそうやってお客を笑わせて帰るってぇのどう?」
と師匠の声に、「そうだそうだ」と皆が笑い、それじゃぁと言って榎木さんは帰りもまた、ヘコヘコ頭を揺らしながら降りて行きました。
こんな調子で一通り終わったものと思ったら、まだ佐川さんが残っておりました。
「難しい」と何度も呟きながら真剣にコピーを見ております。
「ほら、あと一人なんだから」と催促をされても、わざと聞こえないふうでして、終いには今日は声が出ないだの風邪ぎみだのと理由をつけて、とうとう舞台には一歩も上がりませんでした。
「おっさん、なに気取ってんだよ」と榎木さんに言われようとも、言葉を返すことすらしないで静かに黙って活字を追っているだけでありました。
小噺で注意をする点としては一本調子にならないこと。メリハリをつける為に声の強弱や会話のわずかな間の取り方に気を付ける。声はここで大きくそしてここで小さくと、それらに注意しながら練習すると、なかなかどうしてそれなりに聞こえてくるようになりました。
十分に満足し名人にでもなったような気分で、ワァワァ騒ぎながら解散となりましたが、玄関を出て行く皆の姿は、もうすっかりそれなりの芸人になっておりました。
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