小学校

「あんたアホなやあ!私100点やのに!」


 漢字テストができないキョウスケに向かって、ヨウ子はそう云い放った。

 いつもキョウスケはヨウ子をリコーダーや木の棒で殴っていた。

 

「俺はアホやから学校いっとんねん!オマエこそ勉強しかできひんくせに、偉そうにすんなボケ!」


「だれがボケやねん!うちは運動もできますからー。昨日アホぬかしたん誰でしたっけー??」


 昨日のクラス遊びはドッジボールだった。ヨウ子はその腹いせにキョウスケの顔面を真っ先に狙い、見事名中。

 キョウスケは今、鼻にティッシュを詰めた情けない姿でヨウ子に歯向かっているのである。

 教室の中でいつもの見慣れた光景だ。

 クラスで2人を停める人はいないし、ついでに誰も気にすらしていない。

 僕は『僕らの七日間戦争』を読みながら、小競り合いを眺めているが、完全に喧嘩の行方には無関心である。

 ふと頭に団栗の背比べが浮かんだ。

 低学年のころに読んでいた絵付きのことわざ辞典に書いてあった。

 小さい頃によく読んだ絵本作者が挿絵をしていて手に取ったのだ。


 小学校5年生にでもなれば、大体仲のいい友達も嫌いでどうしても馬の合わない人もどちらも同じくらいの人数現れる。

 2人はきっと後者だと思う。

 でもたまに要らない入れ知恵をしてくる大人-先生は、2人はきっと仲が良いから喧嘩をするのよ、とその戦いを生暖かい目で見守っている。

 それは断じて違う、と僕は思う。

 もし将来そういうロマンスな展開になっても、それは11歳のときの何かが花開いたのではなくて、そういうのに毒された結果だと、既に毒されている先生に教えてあげたい。


 僕は、色んな大事なこと、つまり、人間らしい何かを、大人を通して身に着けたように思えてならない。

 色んな常識という型にはめられている途中だと毎日感じる。

 鉛筆の持ち方、机への座り方、トイレの使い方、手の洗い方、カバンの置き方、僕らの一つ一つの動きを、先生は細かく注意する。


 その中でも漢字が一番厳しい。

「丁寧に書いたら○をあげる」

 先生はいつもそういうけれど、本当は違う。

 丁寧を求めているのではない、習ったことをそのままできることを求めているのだ。

 だから書道を習っているキョウスケはいつも点数が取れない。

 キョウスケの字は綺麗だと思う。僕よりずっと、お手本に近い字を書く。

 でも、キョウスケの字はたまに僕の知らない形をしている。

 「言」の横棒が繋がっていたり、「糸」の真ん中の縦線が跳ねていたりする。

 いつも赤ペンで○ではなく”0”がついたテストをキョウスケはもらう。

 

 一瞬しょんぼりとした目をしてから、すぐに明るく笑い飛ばす。


「俺アホやから!」

 

 そう言うとクラスには、2種類の笑いが起こる。

 1つはキョウスケへの笑い。もう1つは、先生への笑い。

 クラスの大勢…、とりあえず僕はキョウスケがバカじゃないことを知っている。

 みんなと同じ言葉を話せない僕と友達をしてくれる彼がバカなわけがない。

 それはキョウスケ自身がよく知っている。

 だから人前で”アホ”を自称できるのだ。

 だから、”勉強のできる”ヨシ子を攻撃する。

 同じようになるように、やすりをかけられていく毎日に心まで擦り減らないように、削られた分他人を削っているんだ。

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