第40話 夏の空気はやけに澄んでいます

 一面に広がる平野と青い空。


 スラヴァ王国の国土の半分は、あらゆる作物もあっという間に育つ肥沃な黒土が占めている。

 現在も国民の多くが農業に従事しており、一度都市圏を離れると、のどかな田園風景がはてしなく広がっていた。


 森や河川も豊富で、自然には事欠かない美しい国だ。


「よし。今度は素早く川を渡り、森に隠れる練習だ。俺たちの役割はヒットアンドアウェイだ。敵が攻撃を仕掛けた時は隠れ、休んでいる時に忍び寄って指揮官や敵の兵器を集中的に攻撃する。そしてまた森に隠れる」

「はい!」


 日本では絶対に見ることが出来ない風景の中で、 俺と狼になったミラは訓練に明け暮れる。


 ここは『メリホスト騎士団訓練場』から北に百キロ離れた『リビチョブ隔離地域』のほど近く。

 『腐染獣ふせんじゅう』が度々目撃される危険な場所だが、特別ルールで行われるペトロとの決戦の舞台はこの区域。


 今のうちに地理を覚えていた方がいいだろう。

 すでに何度も往復してだいぶ土地勘がついてきた。


 マリア先生には自主訓練という名目で許可を得ているので心配いらない。


「流石に熱いな……」


 季節は5月の後半。

 夏の気配が近づいてきており、ミラの健脚がもたらす風が心地よい。


 最初はぎこちなかったミラも今では軽々と動けるようになり、俺も彼女の背中の上で『殲滅アナイアレイション』や『無効インバリッド』を安定して発動できるようになった。


「よし。そろそろ休憩にしよう。喉も乾いただろ」

「あそこに泉があります。水でも飲みましょう」


 日本の2倍ほどの面積があるスラヴァ王国を忠実に再現したこのゲームでは、移動手段となるミラの存在が欠かせなかった。

  

 『転移テレポート』魔法はあるものの、魔力を逆探知して攻撃する技術が発展しているため最前線では使えない。

 空中を飛ぶ鳥の獣人なら素早く移動できるが、目立ちすぎるため暗殺には不向きだ。


 移動スピードとスタミナに優れ、周囲の川や森に身を隠しやすいミラが『エレメント』の相手として最適だった。


「では、人間に戻ります!」


 泉の中に入った狼の全身を眩い青色のオーラが覆う。

 俺は一瞬目を閉じた。

 しばらくして目を開けると──、




「ふぅ。こんなに長く狼に変異するのは、いつぶりでしょうか」


 裸のミラが俺の目の前に現す。


 サラサラとした青い髪。

 雪のように白い肌。

 汗でツヤツヤとしている尻尾とケモ耳。


「風が気持ちいいです〜」


 両腕を大きく広げると、反動で大きな両胸がぷるんと揺れた。


 本人はしばし野生に戻っていた興奮からか、自分の状態に気づいてない。


「ミラ……その……見えてるぞ」

「え……ああっ!?すすすすみませんっ!どうしても獣に変異した後は油断してしまって……うぅ……」


 慌てて両手で全身を隠そうとするも……男性とは全部見えているより一部隠されている状況の方が興奮するものだ。


 肘で隠しきれずに少しはみ出した横乳とかなぐへへ。


「じー……レゼンさん、嫌らしい目つきしてます……」

「そそそそんなことはないぞ。ははは早く服を着なさい」

「まぁ、レゼンさんならいいですけど……」


 ミラが服を置いた場所に向かおうと泉を出た時──、




「お前たち!なんで僕の言う通りに動かないんだ!動きがバラバラだぞ!僕の完璧な指示がなぜ聞けないんだっ!!」


 森の向こう側で、誰かが叫んでいるのが聞こえた。


 いや、誰かなんてその甲高いイライラ声を聞けばすぐにわかる。




「ま、待ってください。ヘトヘトで……」

「ペトロさん、少しだけ、休ませてください……」


 最後に残った取り巻き9人を連れたペトロ・オレクシーだ。

 向こうも現地の下見と訓練に来ているようようだが、あまり順調ではないようだ。


「だめだ!僕は今度も負けたら破滅なんだぞ!?休んでる暇なんてないっ!」

「で、でも、もう私たち動けません!」

「うるさいっ!動けない、できない、頑張れないなんて嘘吐きの言葉なんだ!大抵はそのまま続ければできてしまうものなんだ!みんな甘えてるんだ!」

「そ、そんなぁ……」

「さぁ、もう一度フォーメーションを練習するぞ。今日は夜まで帰らない……僕は完璧だ……最強なんだ……」


 『セマルグルの杖』を両腕でしがみつくように握りしめ、ぶつぶつとつぶやくペトロ。

 もうあそこまで来れば精神も限界だろう。


「……哀れなものですね」


 人間たちの醜態を見つめていたミラが、ポツリとつぶやいた。


「皆、団結できないものなのでしょうか。この王国に危機が迫っていると言うのに……」

「大半は団結するだろう。だが、あいつらのように現実を受け入れられない連中も出てしまうのさ」

「悲しいですね……」

「だからこそ、俺はミラがいてくれて嬉しいんだ」


 汗に濡れたミラの髪をそっと撫でる。


「ミラは人間の俺に真っ先に理解を示してくれたし、力になってくれた。ミラのような存在が、きっとこの王国を救うだろう」

「レゼンさん……」

「さ。少し休憩したら今日は引き上げよう」

「そうですね!みんなも待ってるはずです」




 このようにして、俺とミラは最後の数日を楽しく過ごす。




 決闘が思わぬ事態に発展することを、まだ誰も知らない。

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