第17話 女の子には笑っていてほしい

「レゼン、さん……?」


 ミラがはっと息を呑み、狼の変異を止めた。


 彼女の吐息の香りにクラクラしながら、俺は言葉を紡ぐ。


「いなくなってもいいなんて言わないでくれ。少なくとも、俺はそうは思わない。ミラがいなくなったら、悲しい」


 抱きしめたミラの体は、1週間前ペトロと決闘した時と同じく暖かった。

 どくん、どくんと鼓動する心臓も、柔らかい二の腕も、全く同じ。   


 ただ、1つだけあの日と違う点があった。


「それに……体が震えてるじゃないか」

「……!」

「本当に自分がどうなってもいいなら、体が震えたりなんかしない。ミラだって、生きたいんだ」


 ゲームのミラも、本当はこうして震えていたに違いない。

 それを必死に抑えて主人公を守ったんだ。


 炎上するキーウィ市街地で一人ぼっちになりながら。

 残虐なヴラス帝国軍に完全に包囲されても。

 最期の瞬間まで。

 

「ごめんなさい……ミラは……弱い子です」

「泣かないでくれ。俺も、誰かが泣いたり傷ついたりするのは嫌だ。バッドエンドの次にな」


 澄んだ空のように青い瞳からあふれる涙を、俺は拭った。


「それに……誰かを必死に守ろうとするのは、弱い存在にはできない。俺が保証する。ミラ・クリスは父親ヴーク・クリスの誇りを受け継いだ強い娘だと」

「レゼンさん……」


 涙は彼女の体温と同じく暖かい。

 VRでは感じ取れなかった、ミラ・クリスの暖かさ。


 


「グルァァァァァアア……」


 演習場から大量の動物のうなり声が聞こえてくる。

 声の大きさからしてかなり近い。


 そろそろ行かなくては。


「じゃあ、あいつらをシバいてくるよ」

「でも、いくらレゼンさんでも『腐染獣』の大軍が相手では危険すぎます!せめてミラも……」

「俺に考えがある。誰も犠牲にしたりはしない」

「……分かりました。でも、一つだけ、約束してください」

「俺にできることなら」


 涙をこらえながら、ミラ・クリスはか細い声で答えた。


「……いなくならないでください。多少の傷なら、ミラが治します。だから、お父さんみたいに、ミラの前からいなくならないでください……」

 

 俺はにっこりと微笑んで返答する。


「ああ。約束する」




 悪役顔なのでクオリティはいまいちかもしれないが、気持ちは伝わったはずだ。


 

 ****



「なんでこのタイミングで暴れだしたんだ!?もう『腐染獣』は隔離地域から出てこねーって偉い人が言ってただろ!?」

「分かってねーなオイ!偉い人ってのは責任を取らなくていいから偉いんだよ!」

「そんなことより学校に侵攻されないように食い止めやがれ!汚染が広がっちまうぞ!」

「弾が足りねー!クソッタレの汚職官僚どもがっ!」


 『メリホスト騎士団訓練校』は一応軍事施設のため、周囲を背の低い壁と堀で囲んでいる。

 流石に広大すぎる演習場は範囲外だけどな。


 演習場からやってきた『腐染獣』は壁と堀の突破を図っているようだ。

 一般の警備兵が魔石を火薬代わりにした銃で追い払おうとしているが、上手くはいかないだろう。


「グルルルルッ!」

「キーッ!」

「ヴルァァァ……」


 『腐染獣』の群れは 陸上を進んでいる個体が40体、空中を飛んでいる個体が10体ほど。

 それぞれが『腐素』に汚染されたことを示す赤い体色を帯びており、牙と爪が生え、数倍のサイズまで巨大化している。

 銃弾をものともせず、学校からざっと500メートルの距離まで接近していた。


 いや、正確には銃弾でダメージを受けているのだが、驚異的な再生力ですぐに元通りになってしまう。

 Aランクスキル保有者も苦戦する可能性がある相手だ。 


 ちなみに、とっくに生物としては息絶えていた。

 『腐素』に操られ、停止するまで破壊を繰り返すゾンビのような存在でしかない。


 スラヴァ王国を『兄弟の国』と呼んだヴラス帝国の置き土産だ。


 壁から堀に飛び降り、誰にも見られていないことを確認して演習場に出た。

 校内は混乱の極みにあるため、俺に目を向ける者はいない。


 状況は整っている。

 


 「さ、試し撃ちのリベンジといきますかね」


 俺は懐に隠していた『ペルーン』を取り出した。

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