死神不動産

黒潮旗魚

第1話

気づけばここにいた。

山の中をがむしゃらに歩いたせいか、着ていたジーンズも半袖もボロボロになっていた。心なんてもう俺の体には存在している気がしなかった。だがそんなこともうどうでもよかった。何も思い出したくない。全てどうでもいい。誰の声も聞きたくない。何もいらない。自己嫌悪の感情が岩のように積み上がり今にも体を乗せて倒れてしまいそうだった。俺は崩れ落ちそうな橋の手すりに手をかけ下に流れる川を見下ろす。すると自然とあいつのことが脳裏を横切った。忘れたい記憶、もう戻れない時間、この身を捨ててまで消してしまいたかった。やめろ、出てくるな。拳で自らの頭を叩いた。しかし記憶は俺の感情なんて考えず嫌がらせのようにのし上がってきた。

潮波高校に入学し、高一で同じクラスで一目惚れをした相手と高校3年の夏から付き合い始めた。大きな喧嘩もなく価値観が違っていた訳でもない。ただあいつと一緒にいる時間が幸せだった。近くで笑ってくれているだけで嬉しかった。ベタな言葉で言うなら彼女以外は何もいらなかった。高校を卒業し、定職に就いて、やっと収入も安定してきた。頑張って貯金をし結婚指輪を買った。これまでの人生で1番高い買い物だった。そして迎えた付き会い始めて3年目という記念日、2人の思い出の高校の前で告白をした。緊張で死ぬかと思った。口から心臓どころか臓器という臓器全てが出てしまいそうだった。しかしシチュレーションは完璧、あとは返事を待つだけだった。しかし全く望まない結果となる。あいつは静かに指輪の箱を閉じると、

「ごめんなさい。さようなら。」

と言ってその場を駆け出し闇へと消えていった。意味が分からなかった。俺は呆然と立ち尽くした。背中は汗でびっしょりと濡れている。追いかけようとしたが足が鉛のように重たい。行き場のない怒りが込み上げてきた。これまでの思い出は?これまでの記憶は?全て破壊したい。そんな乱暴な感情も芽生えたが暴れることできる程の気力は悲しみという感情の川に流されて消えてしまっていた。

そして気づけばここにいた。

来た道など覚えていない。いや、覚える必要がなかったという方が正しいのかもしれない。あいつが全てだった。あいつの居ない人生なんて考えられなかった。なぜ俺をふった。なぜ俺を1人にしたんだ。悲しみに全ての感情が押し流され、俺の心は徐々にのみ込まれていった。そして楽になりたいと会う感情の思うがままに体が動いた。自然と怖さなんて無くなっていた。もう悩みたくない。

「もう終わりにしよう」

1人、そう言って手すりに足をかけた。楽になりたい。やっと楽になれる。そっと目を閉じた。

ガサガサ…

「誰かお呼びになりましたかい?」

橋の入口の方から声が聞こえた。振り向くとそこには高校生ぐらいの少年がたっていた。

「誰だ」

「こちらが聞きたい。どちら様でしょう」

意味の分からない質問に腹が立った。少年は悪びれる様子もなく話を続けた。

「貴方様でしょう?私を呼んだのは」

「俺はお前なんて呼んでいない。早くどこかへ消えてくれ。」

「人の家の敷地に上がり込んでその態度とは。礼儀がなっていませんね。人間の法律で言うなら侵入罪でしょうか?しかもそんな大声を出して、夜中に起こされるこちらの気分も考えてください。」

ますます意味がわからなかった。余計腹が立ち手すりから降りるとずしずしと足音を立てて少年に近づいた。夜の闇に隠れていて分からなかったが紺色の着物に白い帯をつけた細身でつり目の少年だった。

「てめぇはだれだ。今すぐ答えろ」

荒々しい口調で言うと、少年は、はぁとため息をついて俺の目を睨みつけた。

「どうも、初めまして。わたくし、三川おわり(みつがわおわり)と申します。で、あなたは?礼儀知らずさん。」

「てめぇに名乗る意味なんてねぇ。意味わかんないことほざいてないでさっさと消えてくれ。」

少年はまたため息をついた。

「だから、なんで管理人の僕が部外者のあなたに言われて出ていかなくてはいけないのですか?意味がわからないことをほざいているのはあなたの方でしょう。」

呆れた表情で少年は言った。そして俺の顔をまじまじと見て

「なにかありましたか?」

と聞いてきた。するとまたあいつの顔が脳裏に蘇ってきた。

「関係ないだろ!もうほっといてくれ!」

俺は胸ぐらを掴んで怒鳴った。すると少年は抵抗もせず胸ぐらを掴んだ手にそっと触れた。そしてなにか理解したかのようにニコッと不気味な笑みを見せた。

「あぁ、これは失敬失敬、新しい依頼人さんでしたか。死に場所探しにここへ?それはそれは、いい所ですよここは〜。見晴らしもいいし、しかもここ、滅多に人も来ない穴場なんんですよ〜。」

先程とは裏腹に満面の笑みだった。あまりの感情の切り替えに俺は恐怖を感じた。俺は自然と掴んでいた手を離していた。そして恐怖と混乱で開かない口を無理やりこじ開けた。さっきとは全く違う声が喉を通った。

「マジで…さっきっから…てめぇ、何言ってやがる」

消えてしまいそうなか細い声で俺は聞いた。

少年はきょとんとして

「え?貴方様は死に場所を探しに来たんですよね?あぁ、申し遅れました。改めてわたくし、死神不動産、石積地区担当であります、三川おわり(みつがわおわり)と申します。死に場所を求める皆様に快適で最高の死に場所を紹介しております。」

手を胸において礼儀正しく少年はたんたんと話を進めた。

「死神不動産?」

「はい、死ぬことを考える人々に最高の死に場所を与えるという仕事をしております。しかも今ならなんと初回無料!お得でしょう?ほらほら、早く決めちゃいましょうよ。ここまでのサービスをする人とは出会えませんよ。それにね、最近この辺りで自殺する人が減ってきていてね、底に落ちた魂たちも寂しがっているんですよ。」

少年はニコニコと笑いながら真っ暗な谷底を覗いて語りかけるように話した。 もちろん谷の底にはにも見えない。見えるのは自分を呼ぶ真っ暗な闇だけだった。俺は考えがまとまらず、一周まわって落ち着いてしまった。疲れているんだ。そう自分に言い聞かせて少年を見た。

「じゃあおわりさんよ。あなたが人ではないことはわかった。それじゃあひとつ聞いてもいいかい?」

「はい、なんでしょう?」

「死んだ後そいつの魂はどこへいくんだい?天国や地獄かい?」

「はは、そんな迷信信じているとは、面白いですね。一般的に自殺者の魂はその死んだ場所から動くことは出来ません。というより、病死や老衰で死んだ人たちの魂も基本的には埋葬された場所や思い出深い場所から動くことはありません。自由に動けることは生きている人の特権ですよ。でもそれを捨ててまでこの世から去りたくてここに来たんですよね?」

俺は地面を見て黙り込んでしまった。谷底から聞こえる川の流れる音が自分にはうめき声に聞こえてきた。しかし恐怖はなかった。今すぐにでも足を踏み出して闇の中へ消えることもできる気がした。だが何故か俺は立ち止まって少年の話を聞き続けていた。そうしなければ行けないような気がした。自分でも意味のわからない行動に嫌気がさし俺はかおをしかめた。それを見た少年はあっ、と思い出したかのように懐を探って1枚の半紙を取り出した。

「もしかしてまだ死ぬ決断がついておりませんか?でしたら死ぬ前にこちらコースを使ってみたらどうでしょう。追加料金はいただきますがより心地よく死ねることを約束しますよ。まぁ、死ぬことに心地いいもくそもない気がしますけどねぇ。」

やる気のない声で少年は語った。そして半紙を見るとそこには達筆な字で4つのコースのようなものが書いてあった。

1,全て忘れて綺麗に死のう!

記憶抹消コース!

2,最後に先に死んだ大切な人にもう一度…

もう一度あの人にコース!

3,死ぬ前に自分なりのエンドロールを!

自ら走馬灯コース!

4,今になってあの人の今が気になる…

あの人今何やってるのコース!

死ぬ時とは思えない生き生きと書かれたコースを俺はまじまじと読んでいた。

「どうです?お気に召すものはございましたか?我社がおすすめする自慢のプランですよ。どれを使うかはあなた次第、もちろん使わなくても大丈夫です。あと、使った場合追加で料金をいただきますが久しぶりのお客様ですからね、お安くしておきますよ。」

俺は半紙を見ながら少年に尋ねた。

「追加料金というのは一体いくらなんだい?1万円ほどかい?」

そう聞くと少年は不思議そうに首を傾げた。

「1万円?なんですかそれは?私たちが言う追加料金とはあなたがお持ちの大切なものですよ。たとえ人間の世界ではガラクタなものでもあなたに取ってそれがどれだけ大切かによって価値は変わってきます。例えば悲しい思い出が詰まったものなんかはより高値で取引されますよ。私たちは人間の不幸が大好きですからねぇ。あぁ、だからと言ってその辺の石ころでも渡して嘘の記憶でも話してみなさい。私たちはその道具からあなたの記憶を読み取ることができます。嘘をつくと今すぐにでも橋から突き落としますよ。」

少年はふふっと笑った。俺は改めて紙をまじまじと読んだ。この世ではありえないことが自然と書いてあることにはもう驚かなかった。俺は改めてコースの内容を確認した。1の記憶が消えるのは嫌だった。楽しかった記憶もあるから。あの人にもう一度会えるコースもどうでもよかった。もう死んでいて会いたいやつなんていない。走馬灯はもっとどうでよも良かった。死ねば全て一緒だ。しかし4つ目のコースは少し気になった。あいつは今何をしているのだろう。もう忘れたいと思ったあいつの事を考えてしまっている。認めたくは無いが俺はまだあいつのことが好きらしい。自分で自分が嫌になった。自分のことを裏切って、1人にした相手がまだ好きなんて…。あぁ、またこの感情だ。辛い、さみしい、悲しい…。自然と涙が溢れてきた。

「あの〜、泣いてるところすいません。そろそろ決められましたか?泣くほど辛いことなら忘れてしまった方が楽です!1番のコースなんでどうですか?」

涙を拭い決心がついた。

「いや、4番のコースを頼む。俺をふったあいつが今何をやっているのか知りたい。追加料金はこれでいいか?」

俺はポケットから指輪を取り出した。俺にとって最高で最悪の思い出の品だった。

「俺にとって1番悲しくさみしい思い出だ。こういうのが好きなんだろ?相当趣味が悪いな。」

皮肉そうに俺が言うと少年はにっこりと笑って満足そうに話した。

「分かりました。交渉成立です!では準備いたしますので少々お待ちください。」

そう言うと懐から丸まった画用紙程の大きな紙を取りだし橋の上に広げた。そしてそこにペンで円を書きこんだ。

「この紙は写し紙、そしてこのペンは覗きペンと言います。普段ならこのコースは思い出の品3品というところですが先程も言った通り久々のお客様なので特別サービスで一品で良しとしましょう。そしたらこの円の下に今を知りたい相手の名前を書いてください。漢字でお願いします。」

少年は俺にペン を渡してきた。俺は大きく深呼吸をすると一字一字丁寧に書いていった。瀬野静香、俺の元カノの名前だ。改めて見るといい名前だと感じた。書き終えると少年は説明を始めた。

「出来ましたか?そしたら円の中心に指を置いて彼女のことを考えてください。しばらくすると彼女の今が写りますよ。」

俺はもう一度大きく深呼吸をし、指を置いた。そして色々なことを思い出した。一緒に遊園地へ行ったこと、家でゲームをしたこと、俺が熱を出した時看病に来てくれたこと。思い出せば出すほど美しくまた切ないものだった。また自然と涙が溢れた。その時、円の中にぼんやりと静香が写った。彼女がいたのは見慣れた高校の近くの公園だった。そこはお金のない高校生時代に2人でよく遊んだり勉強を教えあったりした場所だ。彼女は顔を手で覆ってひくひくと泣きながらボソボソと何か言っていた。最初は聞き取れなかった。しかししばらくすると言っていることが分かってきた。

「翔吾さんごめん、ごめんなさい…」

翔吾とは俺の名前だ。それにしてもこの自分からふっておいてこいつは何を言っているんだ。俺は無性に腹が立った。すると少年が彼女をまじまじと見て言った。

「おや、彼女の足元なにか落ちていますね?なんでしょうこれは?」

俺は紙を覗き込んだ。彼女の足元に1枚の書類が落ちていた。俺はその紙をよく見た。

借金催促状

瀬野静香 殿

借金?あいつが?俺は混乱した。しかし少し気持ちを落ち着かせ俺はその書類を読み続けた。

瀬野康二及び瀬野明美が借金未払いのため連帯保証人の方に下記の額をお支払い願います。

瀬野康二と瀬野明美は静香の両親だ。何度かあったことがあり、とても親切で優しい方たちだったのを覚えている。あの方たちが借金?しかも未払いで連帯保証人が静香なんて…正直考えられなかった。そのまま視線を落とす。すると目に飛び込んで来たのは凄いけたの額だった。

「一、十、百、千、万、十万、百万…1000万!?」

俺は驚きが隠しきれず声をあげてしまった。そしてしばらく声が出なかった。

静香の両親がそんな借金をしていたなんて…。しかもそれを娘に押し付けて逃げるなんて…。俺の中から悲しみが消え、怒りが込み上げてきた。そして全てが繋がった気がした。彼女は両親の借金を無理矢理押し付けられた。しかしその借金の負担を俺にさせたくないために俺の告白を断ったのだ。俺は顔を覆った。俺はなんて酷いやつなのか…。あいつの事を何も知らず自分のことばかり考えて、そして気に食わないやつを勝手に悪者にして。俺は最低だ…。溢れ出る涙を自ら止めることが出来なかった。そんな俺を横目に少年は気楽そうに言った。

「おや、彼女が持っているのはロープですか?苦しいからとはいえ首吊り自殺とは…おすすめしませんね〜。」

俺は少年を跳ね除けて円を覗いた。そして急に顔が青ざめた。彼女が死んでしまっては嫌だ。この世界に生きる意味が無くなる。先程まで失っていた生への執着が暗闇から這い上がってきた。そして、俺は少年の胸ぐらを掴んで

「ここからこの公園まではどうやって行く?」

と荒々しく尋ねた。少年は驚いたような表情をするとすっと指を指した。

「この道をずっと下っていくと潮波高校の近くに出ますが…。まさかあなた、逃げるわけではありませんよね?」

俺は質問に答えずに山道を走り出した。

少年はパッパッとホコリをはらい立ち上がった。そして大きなため息をして、タバコを取り出しライターで火をつけた。そして口の中いっぱいに煙を吸うと暗闇の中に勢いよく放った。白い煙が空を覆うように広がってすぐに消えて見えなくなった。

「ありゃもう無理だ。魂に生への執着が絡みついちまってる。もうあいつはここには来ないな。あ〜あ、久しぶりのお客さんだったのに…。また先輩から説教されちゃうよ。全く…やだなぁ〜。」

少年は上を見上げた。空には見事な満月が光っていた。少年は大きく背伸びをすると真っ黒な翼を羽ばたかせ空へと飛び立った。

「なんで人間は恋なんてするんだろうなぁ。死のうとおもうぐらいならしなけりゃいいのに。思わせぶりもいいところだよ。」

そう言って夜の森に消えていった。

フクロウがどこかで鳴いている。夏の終わりを告げているようだった。

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