第13話 不屈と呼ばれた男
スタジアムでは二対の巨人が相対する。
ラバー質の地面の上、円を描く白線の中心に佇み両者睨み合っている。
片方はスマートなフォルムデザインの軽量級で、メタリックパープルの塗装を施された薄い装甲には傷一つなく、照明を煌びやかに反射している。
対して、兎火丸は満身創痍の立ち姿だ。鼠色の装甲は剥げ、内部の配電コードがいくつか千切れ、歯車機構にも損傷が見える。
試合を続行するには、あまりにも心許ない状態だ。
コクピットの中。空也は腰に姿勢制御ベルトを巻き、M・Mに手足を通す。手元のグリップに五指を乗せ、座席から腰を離し、自由姿勢に体を持っていく。息を吐き、呼吸を整える。
(一年振りだな…)
兎火丸の不調に加え、空也には一年のブランクがある。機体もパイロットも万全とは言い難い。劣勢極まりない。勝機など見えてこない逆境の中にいる。
『選手交代だなんて、随分すかしたじゃないか…バイト君』
紫色の敵機から、榎田の浮ついた声が届く。
『ほんとにやるのかい? その機体、今にもぶっ壊れそうじゃないか』
『………』
『てか君、やっぱり経験者だろ。見覚えあったんだよね。僕と戦ったことある?』
『…いえ。戦った相手は忘れません』
『だよね。僕も、そうだ』
敵機の背部スピーカーが、乾いた笑い声を吐き出す。
『まあ、経験者だからといってさ…僕、結構強いよ?』
〔寂浜オリオンズ〕のエースパイロット。
(僕は現役の関東選抜レベル。しかも機体性能の差は歴然。負ける要素は見当たらない)
賀蒙は、榎田が相手を蹂躙するのを楽しみにしているようだ。
腐っても彼はチームのオーナーだ。ゴマをするのもキャプテンの役目。
(…たまには下を見るのも、悪くないか)
榎田はほくそ笑む。
一方的に弱者を蹂躙すると言うのも、趣味が悪いとしても、また一興だ。
『じゃあ、やろうか。ブザーはないから、好きな時にかかっておいで』
『わかりました』
榎田はリラックスしながら、相手の動きを待つ。勝ちが確定している戦いだ。後の問題はどう屠ってやるか…それだけだ。適当にあしらって彼我の差を見せつけた後に決着をつけよう。すぐに終わっては観客(オーナー)もつまらない。せめて酒の肴になるくらいの戦いはしてやろう。
(ま、先手くらいは譲ってやるか)
榎田は余裕綽々と全身の力を抜く。
(さあ、どう来るかな? バイト君)
液晶に映る敵機は満身創痍で今にも崩れそうだ。うっかり仕留めてしまわないように気を付けなければいけない。榎田は口角を吊り上げ、相手の攻撃を待っていた。
瞬間―――。
『あ?』
兎火丸が消えた。
液晶の画面から突如姿を消した。いや、違う。
姿勢を低くしたのだ。カメラの視界から逃げる為に―――。
『マジか!』
レスリングを模した姿勢で、和風甲冑のような機体が飛び込んでくる。
開始早々のタックル。
(相手は
咄嗟に、榎田は指先のグリップを曲げ、ヘッドカメラを下に向ける、
相手の
蹴りを防がれたことで生み出される、明確な隙。
(こいつ……理解ってやがる!)
タックルが叩き込まれる。
紫の軽量級、紫電はそのまま押し倒される。
地面と衝突! 浮遊感に、内臓がシェイクされる。
榎田は咄嗟に
そして両脚部を持ち上げて、寝技を誘うような態勢を取る。
マウンティングを取られれば物量で勝ち目はない。
だがこちらには〈武装〉もある。馬鹿正直に勝ちを取りに来たところをカウンターで仕留めてやろう。榎田はそう画策するが―――、
「!」
意外にも、相手の兎火丸は絶好のチャンスというのに後退した。
(倒れた相手を、すぐに仕留めようとするのは二流。最大の隙は直立した瞬間。セオリーを理解している。ただの雑魚じゃない?)
榎田は最大の注意を払いながら、紫電を直立させる。
しかしその瞬間、鋼鉄の暴虐が襲いくる。兎火丸の拳が、連続して放たれる。
その一発一発が、紫電の命を仕留めんと頭部電池に狙いを定めている。
直立直後の最も不安定な体勢を襲われて、紫電は急転直下でピンチに陥る。
(おいおいおいおい。なんだこの動き!)
なんとか軽量級の速度を利用して、兎火丸の攻撃をいなす。
幸い、機体の損傷もあってか、相手の速度はそう素早くない。冷静に対処すれば、瞬殺されることはない。
ファイトギアの勝敗は単純明快。先に、機体の全機能が停止した方が負ける。
だが、モータを一つ一つ破壊していくのでは勝負は長引くばかりで面倒だ。
故に電源を止める。機体の電力供給を司る『頭部電池』を破壊する。
頭を潰された方の負け。それがファイトギア最大のルール。
(頭部電池だけは、守り抜く)
兎火丸のラッシュを受け流す中で、榎田はただそれだけに集中する。
頭さえ守れば、敗北することはない。
なんとかこの猛攻をやり過ごす。
その意識に―――、
囚われ過ぎた。
「!!」
執拗に、急所を狙っていた兎火丸の攻撃が、一瞬逸れる。
その緩急に、反応できない。
轟ッ! と重い振動が榎田を襲う。
(
既に、兎火丸は距離をとっている。カウンターは狙えない。
腹部に打撃を受けた。配電コードがいくつか損傷しているかもしれない。だが問題はない。関節モータは無事。これまでに相手に与えたものに比べれば、大したダメージじゃない。
しかし―――、
完全に上回られた。
(なにが起きた)
ほぼ一方的に殴られたのだ。
「おい。何をしている榎田! なぜ反撃しないのだ!」
スピーカーから聞こえるのは、賀蒙の声だった。
榎田が防戦一方だった事実に困惑しているのだろう。声を荒げている。
(こいつマジで雑魚じゃない。油断したとはいえ、完全に思考が誘導されてた)
榎田は賀蒙の声も無視して、思索を巡らす。
(僕は一体、何と戦っている?)
目の前の相手が何者であるか、ただその一点に意識が集中する。
(くうや…確か、あいつ仲間からそう呼ばれて…)
その瞬間、榎田の記憶の歯車がカチッと噛み合う音がした。
掘り出される記憶の数々が脳裏を埋め尽くす。
(そうか…空也………諸星、空也か!)
その事実に、落雷を全身に受けたような衝撃が走る。
「おい榎田! 聞いているのか! さっさとそのポンコツをスクラップに」
『ハハッ! こいつ、不屈の諸星だ!』
「?」
『横浜聖章ジュニアのパイロット。元小学生チャンピオンですよ』
「…何の話だ」
『おいおい。消えたスター選手がこんなところで何をしてるんだ?』
『…………』
相手は、諸星空也は答えない。
『そりゃあ君は僕を知らないはずだ。だって僕は君より遥かに格下だ。当時の僕が試合なんて組めるはずがない』
「…な、なんだ? 何を言っている榎田!」
賀蒙は狼狽した声をあげる。だがそれに構うことなく榎田は叫ぶ。
『随分雰囲気が変わってるから気づかなかったよ! 素知らぬふりして僕を嘲笑っていたのか? 水戸黄門気取りか! いい性格してるじゃないかぁ!』
(やめてくれ…)
一方で、空也は唇を噛みしめて目を伏せていた。
コクピットの中で、窒息しそうになっていた。
(何が、不屈の諸星だ。俺は、逃げたんだ)
急激に、体に力が入らなくなる。
瞬間―――、紫の機体が陽炎の如く揺れた。
「…!」
咄嗟に防御姿勢をとるが、既に遅い。間合いに踏み込まれ、連続の打撃で兎火丸を撃ち抜かれる。
『おいおい! どうした!』
先程までとは紫電の動きが遥かに違う。
慢心を捨てたのだ。それどころか、次第に攻撃の手が研ぎ澄まされていくのを感じる。
相手は軽量級だ。瞬発力では圧倒的な差がある。それに加え、美兎子が操縦していた時のダメージも残っている。
確実に兎火丸の挙動は遅れていた。
『なんだよ! そんなもんか! 不屈の諸星ッッ!』
榎田の声は昂ぶっている。
興奮しているのだ。かつて格上だった選手を蹂躙できるこの瞬間に!
空也の兎火丸は、防御姿勢をとったまま、一方的に殴られ続けている。
なんとかカウンターを放とうと、腕を振るうが…。
『ぶった斬れろぉぉぉぉぉ!!!』
紫電の左腕部から、鋭く光る刃が展開される。仕込み刀だ。
(超振動ブレード!)
なんとか総身を捻り、回避をする。
しかし遅い。紫電の放った斬撃が兎火丸の肩口を見事に切り裂いた。
右腕部の感覚が伝わってこない。
(モータがやられた!)
尚、紫電の猛攻は止まない。
『ははっ! トーナメント表の端で消える僕のことなんて、君は知らなかったろう!?』
「…っ」
『だが僕はこの二年。ずっと努力してきたさ! 君とは違う! 君は辞めたんだろ!? ファイトギアから離れたんだ! そんな奴が、僕の積み上げてきた研鑽を打ち砕けると思うなよ?』
榎田の放つ言葉一つ一つが、残酷な正論の刃となって空也の心を切り裂いていく。
『お前はもう、錆びついてんだよ! 不屈の諸星!』
(俺は…)
錆びついた。その言葉を聞いた瞬間に、空也の脳裏に過去のトラウマが過ぎる。
―――私の…
あの日。
敵を前にして一歩も動けなかったこと。思い出した途端に、急激に内臓が萎縮する。
(俺はなんで…)
視界が、揺らぐ。耳鳴りが鼓膜を閉ざす。
(俺はなんでまたファイトギアに乗ってんだ!)
暗い水の中に落ちた気分だった。
何も見えない。何も聞こえない。
『そのポンコツごとスクラップにしてやるよ』
紫電が刃を振り上げる、ガラ空きになった頭部電池を目掛けて…。
空也は反応できない。ただその一撃を受け入れるだけ。
しかし、その時だった。
『空…殿!!』
声が届いた。マイクが損傷しているのだろう。機体が拾う声は掠れている。
それでも、確かに聞こえた。
『右指先…ピンを引…て…ださい!』
神橋美兎子の声が、暗闇に差す一筋の光が如く、届いたのだ。
(っっ!)
空也は指を伸ばし、M・Mの先にあるピンに指をかける。
(そうだ俺は…)
虚ろだった彼の目に、僅かな火が灯る。
(俺は許せなかったんだ)
夕焼けの空と砂浜が脳裏に浮かぶ。
あの日、初めてこの機体に乗った時の記憶だ。
自分の動きが全て祝付されるような快感、躍動に、感動した。魂が震えた。
そうだ―――、
(ポンコツだって、ガラクタだって、言われたんだ。美兎子が造った兎火丸を…)
あの時の感動まで、否定されたような気がした。
(だから俺はコイツに乗ったんだ!)
空也は指先のピンを引き抜いた。
その瞬間―――、理解と予測を超越した事象が起こる。
『んなっっ!!』
ヘッドカメラが見下ろす景色に、黒いものが浮かんでいる。
あれは―――、
(コクピット!?)
操縦者を守るためのコクピットが、胸部の装甲から露出して飛び出ている。
突き出されたコクピットは、そのまま質量弾となって、紫電に激突した。
軽量級の機体は、予期せぬ衝撃に耐えかね転倒する。
意味がわからない。何が起きている?
榎田は混乱する。紫電は咄嗟の受け身も取れないまま吹っ飛ばされた。
事実は単純だが異常。コクピット(心臓部)を射出して攻撃した。
王将で敵陣に攻め込むような、埒外の発想。
常識外れの一撃だが、そんなアイデアを平気で形にするイカれた少女がここにいる。
「必殺! 緊急脱出アタックです!」
美兎子の声が、スタジアムに響き渡る。
ふざけた技名だ。
だがそれで生まれた隙を、空也は逃さない!
倒れた紫電が起き上がろうとする瞬間、兎火丸はトドメの一撃を放たんと迫る。
(俺は、ファイトギアはやめた)
『待っ』
榎田の怯えた声が漏れる。
(でも、せめてこの戦いだけは……!)
残った左腕部を振り上げる。
鉄拳を放ち、頭部電池を打ち抜こうとしたその瞬間。
「そこまでだ!」
と声が聞こえ、空也はモジュールを操る手を止める。
生半可な覚悟で放った拳ではなかったが、その声を聞いて動きを止めなければならないと瞬時に制止した。
「ったく、店の車持ち出して、なにしてやがんだガキ共」
ヘッドカメラで振り返ると、スタジアムの入り口に、白鳥宗一が立っていた。
「とりあえず降りろ。話はそれからだ」
宗一は額に青筋を立てて、目を鋭くしている。そんな彼の前で、暴れるような気にはなれなかった。
「……」
空也は兎火丸を立たせ、馬乗りになった紫電から距離を取る。
ハッチを開き、スロープを降りる。
心臓がバクバクと高鳴っている。戦いの余韻が続いている。フラつく足で地面まで向かう。
「空也、殿」
美兎子が駆け寄ってくる。小雛もその隣にいる。
だが、その二人の像が揺らいでいく。視界が覚束ない。
脈拍も暴走している。ドクドクと心臓が裏返るほどに血を巡らし続けている。
(あれ…なんで)
突然、全身の内臓が裏返るような不快感があった。
鳥肌が立つ。
自分はファイトギアに乗っていたんだと、やっと真の意味で理解する。
誰かが耳元で囁いた。
どの面下げて戻って来た。
負け犬が。
「ぅ…ぅう、おぇ」
吐いた。
その場に崩れ落ちて、空也は嘔吐した。胃の中も物を全部吐き出してもまだ足りないと、消化液まで掘り起こされる。
「く、空也殿!!」
美兎子の心配する声が遠のいていく。脳裏に過ぎるのは、忌まわしき記憶。
試合相手を前に、一歩も踏み出せなくなった瞬間。
(俺は…もう)
空也の意識が、ブラックアウトする。
錆びついた歯車は、まだ―――。
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