第10話 何のために
その晩、夜の温さが商店街を満たす頃、神橋美兎子は一人、レッカー車の前で立ち尽くしていた。レッカー車の荷台には、兎火丸が横たわって積まれている。
明日の二度目の歩行テストに向けて、今晩のうちに積んでおいたのだ。
夜のガレージは薄暗く、青白い照明だけが、鼠色の巨人を照らし出す。不揃いな装甲の隙間から、敷き詰められた歯車と配電コードが覗く。
この不格好なファイトギアを、一年という短くはない歳月を費やして造り上げた。
「わたしは、ただ、造ることが好きで…」
ぽつぽつと、浮かんでは消える泡のように、言葉が溢れでる。
「機械に触れている時だけは、苦しいことを忘れられて…」
美兎子は回想する。
生きる意味も気力も失って、ただ漫然と死へ向かっていた日々のことを。
あの時、宗一が見舞いに来るようになって、暇つぶしに簡単な機械工学を教えてくれた。パーツを組み合わせて、コードを繋いで、モータを回して、そういう些細な動きに、病室から出ることのできない自分の未来を託して、辛い気持ちから解放された。
いつか「あの人」みたいになりたい。噛み合う歯車に願いを込めた。
その延長線上が、この兎火丸だ。
(わたしも、この子を試合に出してあげたい。だけど〔寂浜オリオンズ〕に入れば、お店に迷惑が掛かる)
美兎子が〔寂浜オリオンズ〕の門を叩いたのは先月のことだ。
リハビリが終わるまで、ジュニアチームには参加できなかった彼女だったから、高校生になってチームに所属出来る事実に胸をときめかせていた。
しかし、〔寂浜オリオンズ〕は美兎子にも、彼女が造るギアにも興味はなかった。
「そのギアを試合に使ってやってもいいぜ。その代わりにと言っては何だが…」
オリオンズのオーナーである賀蒙は、美兎子をチームに所属させる代わりに白鳥モーターが抱える素材・『
(宗一殿と小雛ちゃんは、わたしの夢を応援してくれた)
高校ファイトギアにおいて、正規チームに所属しない機体が公式戦を組むことは不可能である。だが、地元のチームに参加すれば大切な家族の負担になるかもしれない。
ならば、他のチームに所属すればいいのだろう。
だが―――〔寂浜オリオンズ〕の一件から、人と何かを造り上げるということそのものが恐ろしくなってしまっていた。
元々、苦手なのだ。人と関わることが。だから普通の高校にも行けなかった。
(わたしにもっと強い意思があれば、言い返せたりもするのでしょうが…)
自業自得。人と関わることを避けてきたツケが回って来たのだろう。
自分はあの狭く無機質な病室に閉じこもったままだ。
暗澹たる思考に飲まれながら、ガレージから店内に戻る。既に閉店した店中には、薄暗い静寂が満ちていた。すると、ガラス窓の向こうに見えた二人の人影。ぼんやりとしていて誰かわからない。
「宗一殿?」
窓の方に近づいていくと、声が耳に届いた。
「なあ白鳥よぉ。お前はどういうつもりなんだぁ?」
「…!」
(賀蒙さん…)
美兎子は咄嗟に物影に身を潜めた。
「お前どうして、俺たちオリオンズに協力しねぇ」
寂浜町の高校ファイトギアチーム〔寂浜オリオンズ〕のオーナーで、執拗に宗一につき纏う陰湿な男だ。昼にも来たはずだが、性懲りもなくまたやってきたようだ。
その声色はいつもよりも一層悪質で、浮ついたものが感じられた。
「酔ってんのか?」
「あぁ? ああ。そうだよ。町会で飲みがあってさぁ。爺婆連中が眠いっていうから、こんな時間にお開きよ」
「酒くせえな」
「ひひ。そうだ。俺がよぉ。こんな時間から酔っ払ってるってのに、オリオンズの子達は懸命にギア造って練習中だよ。健気だろ。ちょっとは協力してやりたくならねえか?」
「帰れよ。賀蒙。俺の意見は変わらない」
宗一は至って冷静に言葉を打ち返す。そんな様子が逆に気に入らないのか―――、
「ったく。白鳥よぉ。ちょっとは周りの目も気にしろよ」
賀蒙は、より嫌味ったらしく声を吐き出す。
「お前、町でどう思われてんのかわかってんのかぁ」
「どうでもいい」
「へっ、近所付き合いも大事だぜ」
「…………」
「小雛ちゃんは、あんな風にグレちゃって…大人への態度がなっちゃいない。どういう教育してんだって声も耳にする」
「…………」
「それによぉお前、今日の飲みでも噂になってたぜ」
「…?」
「いやな、美兎子ちゃんのことだよ。あの子も大人っぽくなって来て、ほら、女として色気付いてきたろ? そしたら、爺婆連中がさぁ」
(…わたし?)
賀蒙は、まるで笑い話でもするかのような態度で語る。聞くに堪えない話を、唾液が糸を引く口で吐き出す。
「年頃の娘を引き取って、ロクに学校にも行かさないで店の手伝いさせてよ?」
「何が言いたい」
「いや、ほら、だからさ」
「……」
「お前があの子を手篭めにしてんじゃねえかってさ」
「あ?」
「いや、勿論噂だぜ? けどよぉ。こう、町の連中の信頼を取り戻すって意味でさ。あの子をまたオリオンズに入れてやれよ。そしたら奴らも…」
「…くだらねえ」
「ったく。頑固だなぁ。そんなんだから誤解されんだぜ。ロリコンの変態だって」
(………っっ)
心に色があったなら、赤と黒の絵の具を垂らしていただろう。怒りと空虚が溶けだして、精神の色彩を染めていくようだ。今すぐここを飛び出して、全ての発言を撤回させてやりたい。でも足が動かない。怖いからじゃない。怒りで血液が凝り固まってしまったからだ。
「学校にも行かないで、オリオンズもすぐに辞めちまった。お前の教育に何か問題があるんじゃねえか?」
賀蒙が歩き去っていく足音すら、美兎子の耳には届かなった。
ただ、目の前が真っ暗になって、唇を千切れそうなほど噛み締める。
(わたしの、せいだ。わたしが、ギアなんか造っているから…)
沸々と、赤黒い感情が胸の底からせり上がってくる。
(無駄な事ばっかり、しているから)
覚束ない足取りでガレージに戻る。
(わたしは、何のために………)
視線の先には、兎火丸が積まれたレッカー車があった。
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