第9話 鳥籠の中で
空也が白鳥モーターでのバイトを始めてから四日が経った。
元々、ジュニア時代の経験があるので、ギアの整備や清掃は基本的な知識がある。店内の清掃の手順や、品物の位置なども順調に把握してきた。
「お買い上げ、ありがとうございました!」
従業員としての振る舞いも、板についてきた頃だろう。
平日なので小雛は学校に行っている。人見知りの美兎子はガレージに引っ込んでいるので、空也は宗一と二人で店頭に立っていた。
「そろそろ昼休憩にしたらどうだ?」
宗一から休憩のお達しがあったので頷き、自分で作ってきた弁当をリュックサックから取ってくる。
昼食の為ガレージに入ると、パイプ椅子に座ってパソコンと睨めっこしている美兎子の姿があった。
(…ってあの格好)
美兎子は、いつもの『つなぎ服』のチャックを降ろして上半身を晒していた。着ているのは生地の薄いタンクトップだけで、素肌が肩から盛大に露出している。普段から日に当たっていないのだろう。雪のように真っ白な肌だった。
街を歩いていても見咎められるような恰好ではなかったが、完全防御で肌を見せない彼女の素肌を見るのは、奇妙な罪悪感があった。しかし指摘するのも気恥ずかしい。
「よ」
「く、空也殿」
平然を装って後ろから声をかけると、美兎子は慌てふためいた様子で振り返る。
彼女は膝の上でノートパソコンを開いていた。画面上では、3Dモデリングされた格闘競技用ギアが拳を振り抜いて脚を蹴り上げている。
「それ、空論物理エンジン?」
「は、はい。先日のテストデータを打ち込んでいたところです」
空論物理エンジン。機体の情報を入力し、その機能をコンピュータ上で再現する、3次元シミュレーションと解析ツールを併用かつ簡易化したソフトで、複雑な機械設計の工程を、視覚的に扱える領域にまですっ飛ばしている。「ロボット造り」なんて専門的知識が必要な作業を一般的な競技として成立させた優れ物だ。
美兎子は膝上に置かれたノートパソコンと睨み合いながら、小さな口でおにぎりを頬張っている。
「今日ずっとそれやってたのか?」
「お、お店の手伝いもあるので、手が空いた時に」
(昼飯の時まで、ギアのこと、かぁ)
空也は美兎子の向かいの椅子に座って、リュックサックからコンビニで買ったサンドイッチを取り出す。そんな彼に美兎子は心細い視線を送りながら、恐る恐る口を開く。
「く、空也殿…」
「ん?」
「あ、その」
「……」
「空也殿が…す、…す」
「す?」
美兎子は声をつっかえさせながら喋るのを、空也は暖かい眼差しで見守っている。
「その、く、空也殿が、好きなファイトギアを教えて貰ってもよろしい…でしょうか!」
「?」
「高校リーグでも、プロリーグでもなんでも! その、好きなファイトギアがあれば、教えてほしくて…、あ、その、なんていうか、日常会話と言いますか…そういうの、で、す」
美兎子は緊張からか、冷や汗をたらたらと垂らしている。
ちにみに、美兎子は昨晩ネットで「人 仲良くなる方法」と検索してそこに「共通の話題を振ってみる」と書いてあったのをそのまま実行していたのだが、そんなこととは露知らず、空也はあっけらかんと質問の答えを思い浮かべてみる。
「やっぱベタだけど、テツジン・カズトラの天照零式かなぁ、あとは鳳凰?」
「あ、天照! 余計な武装がなくて、格闘能力とギアチェンジのみに絞っているところ、とか…フィギュアも、誕生日に買って貰って…世界選手権の時のやつが、特に好きで…ああいう機体、なんというか、ロマンがあって…鳳凰も、パイルバンカーの応用が特にすごくて、なんであんな発想ができるんだろうって…学生時代のデザインが、今と全然違ったりして、重量級から軽量級へのコンバートなんか、その、試行錯誤が想像できてなんというか、そそられ――」
「ははっ」
「…どうしたのですか?」
「いや、なんていうか。楽しそうでさ」
「あ、ご、ごめんなさい。わたしばっかりが、喋ってしまって…」
美兎子は参考にした記事に、「自分ばかり喋らず相手の話を聞こう」と書いてあったことを思い出して小恥ずかしくなった。穴があったら入りたいとはこのこと―――。
「わかる」
「へ?」
「テツジン・カズトラが格闘能力とギアチェンジだけに戦術を絞ってるところ。俺もマジで憧れてた。小学生の頃は、あんな風に真正面から相手をぶっ飛ばすパイロットになりたかった」
「…………」
「いいよな。ファイトギア」
くしゃっとした笑みを、空也は浮かべる。
美兎子は、彼のそんな表情を眺めて硬直する。てっきり引かれると思ったが、得られたのは賛同だった。彼女は恥ずかしそうに俯いておにぎりを小さな口で頬張る。
「そういえば、美兎子ってここに住んでるんだよな」
「は、はい。居候のゴクツブシです」
「そこまで卑下しなくても……じゃあ、店長達とは家族みたいな感じなのか」
「そうです。白鳥モーターが、わたしのおうちです。宗一殿がお父さんで、小雛ちゃんがお姉ちゃんですね」
「……へぇ。なんか、いいな。そういうの」
嬉しそうに語る彼女の声音には、優しい絆の香りが感じられて、空也の胸も温まる。
「空也殿は、わたしと同じで通信制に通ってらっしゃるんですよね」
「ん? ああ、まあ。高校出て一人暮らししたいし、来年は予備校にも行きたいからさ。バイトでたくさん稼ぎたいんだよね」
「なんだか大人、って感じです」
「え?」
「……わたしは、その、学校に行くのが苦手で……中学も、少しは行ってたのですが、すぐに行かなくなっちゃって…今は、通信制でやっとで…」
「……」
「閉じこもって、ギアを造っているだけなので…そういうの、尊敬するというか」
「そうか? こうやってお家の手伝いして、ギアを造ってるだけで立派だと思うけど」
「へ」
「すごかったぜ兎火丸。久々にファイトギアに乗ったけど、やっぱいいな」
「……こ、光栄極まりないです」
もじもじと照れる美兎子を見て、空也はふと思い立ち、こんなことを言う。
「なあ、美兎子はファイトギアのチームに入るつもりはないのか?」
「…ぇ」
「兎火丸を試合に出すなら、ちゃんとしたチームに所属するのが良いと思うんだけど」
「……」
空也のその問いに、美兎子はいささかバツが悪そうに目を伏せる。
「その、チームとかは、そういうのは、まだ、ちょっと…」
「……?」
美兎子ほどの熱意あるエンジニアが埋もれているという事実は、空也からすればもどかしい話だった。たった一人で格闘競技用ギアをあそこまで完成度で組み上げることが出来るのならば、そこに仲間が加われば何倍もの効率での製造が可能となる。
この白鳥モーターのガレージで、趣味としてギアを造るのではなく、正規のチームのエンジニアとして活躍すれば彼女の才能は無限大に飛躍するはずだ。
そういえば、〔寂浜オリオンズ〕というチームがこの寂浜町にはあったはずだ。
確か、先日やって来た賀蒙とか言う男がオーナーをやっていると言っていたが―――。
空也がそんな思索に耽っている時だった。
「――――――なんだ。本当に完成したんだな。ギア」
耳に覚えのない声がガレージに反響する。
振り向くと、見知らぬ人物が兎火丸を見上げている。
(…誰だ?)
丸い髪型をした少年だった。いわゆるマッシュルームヘアという奴だ。軽薄さの隠しきれていない顔で薄ら笑いを浮かべている。
「久しぶり。神橋さん」
「え、榎田(えのきだ)さん。どうして…ここに」
「相変わらず色気のない『つなぎ』だねぇ。お洒落すればモテそうなのに」
「……」
「どうしたんだい? 僕と会うのがそんなに嫌だったかな」
榎田、と呼ばれた少年は、軽薄な態度で美兎子の方へ迫る。
「いや、ちょって待って」
美兎子の怯えを瞬時に察知した空也が、榎田に立ち塞がる。
「なんだい君は。彼女の友達?」
「バイトです。何なんですか。突然入ってきて」
「別に、オーナーと店長さんが話してて暇だったから顔だしただけだよ。かつてのチームメイトにね」
「チームメイト?」
「……」
「そうだろ? 神橋さん。僕らはチームメイトだった」
榎田はまるで説法を解くように、美兎子へ手を差し伸べた。
「オリオンズに戻っておいでよ。神橋さん」
(…オリオンズ? 〔寂浜オリオンズ〕のことか?)
だとすればこの榎田という男は、この街の地元チームのメンバーなのだろうか。噂をすればなんとやらだが、彼は昔の仲間だと美兎子を表した。
彼女は、オリオンズのメンバーだった?
「君は、僕らと共にその才能を発揮するべきだ」
「……」
「なぜ辞めた? 自分の殻に閉じこもっているだけじゃ成長はない。オリオンズの皆は、快く君を迎え入れるつもりだよ。その寛大に感謝して、君がするべきことは、わかるだろう?」
「……」
「黙りか。都合が悪くなるとすぐそれだな。君は」
「……」
「まあいいけどね。君のとこに来たのはついでだ」
彼は、ガレージと店内を繋ぐシャッターの方に目を向ける。
「オーナーはさ。随分とこの店に執心しているみたいだ」
(……オーナー? あの賀蒙とかいうオッサンか)
小雛に蛇蝎の如く嫌われていた中年男性だ。あの男が今も店で宗一と会話しているのだろうか。そもそも、ファイトギアチームのオーナーがこの店に訪れる理由はなんだ。
「無償で
「はぁ?」
「液体鋼合金はギアの製造に不可欠だろ。そいつをオリオンズに回して欲しいんだよ。幸い、この街の修理店にも関わらず、ギアを一体製造できるだけの素材を仕入れるくらい繁盛しているらしい。可愛い身内の為にね」
「…!」
「でも、あの店長はどうも頑固でね。僕たちに協力してくれない」
「いや、当たり前だろ。店の商品タダで寄越せって言ってんのと同じじゃ…」
「だから、神橋さんがウチをやめて困ってるんだよ。この店との交渉も白紙だ」
「……わたしは」
美兎子は、やっとの思いで声を絞り出す。
「わたしは、素材のために、オリオンズに戻らなくちゃいけいないんですか…?」
「ん。まあ、正直に言うとね。でも君の実力を評価しているのは本当だよ? その引っ込み思案なところを直せば、僕らのチームのエンジニアとして活躍できるんじゃないか?」
「…なんだよそれ」
「ん?」
「よくわかんねえけどそれ結局、美兎子も、この店も、好きなように利用したいだけだろ」
「…そう睨むなよバイト君。僕としてはどっちでもいいんだ。去年関東選抜に出場した時点で、僕の目的は達成されてる。パイロットとして箔がついたから、大学への推薦も貰えるだろうし、まあ僕も三年だ。余生のつもりでチームをエンジョイしたい」
美兎子の元チームメイトだというその男は冷めきった声で言葉を紡ぐ。
「勿論、選ぶのは神橋さんだ。オリオンズは君を歓迎するよ? それに…一人でギアを造ってるだけじゃぁ、試合にも出せない。君の努力は無駄な徒労になる」
「……」
「無駄なんだ。君が一人でどれだけギアを組み上げても、パイロットもいなければ、試合にも出せない。無駄、なんだよ。ただの鉄の塊だ」
「…っ」
「おい榎田! 練習に戻るぞ!」
店内から中年男の声が響いてくる。賀蒙だろう。声質に苛立ちが感じられる。
「ははっ、どうやら交渉が終わったらしい」
冗談めかして、榎田はガレージから出ようと歩き出す。
「じゃあ前向きに考えておいてくれよ? ……あ、そういえば」
キノコ頭は踵を返し、空也の方に目を向けた。
「バイト君さ、キミ、僕とどこかで会ったことある?」
「……いえ」
「そう。なんだか、見覚えがあってね」
榎田はしばらく記憶を探ってみたが、あまりピンと来なかったようで「気のせいか」とガレージを立ち去った。榎田が消えると、乾いた静寂がガレージを包み込む。
(地元のチームがあれじゃ、確かにやりづらいよな…)
彼女が組織に所属せず一人でギアを組み上げている理由も、なんとなくわかった。
ファイトギアは団体競技。エンジニアとして活躍する為に必要なのは、メカニックの技術だけじゃない。他のエンジニアとの連携や情報共有、協調性が重要になるだろう。破格の才能があっても、それを発揮させてくれる環境がなければ、天才は輝かない。
美兎子は人と関わることが億劫なのだろう。
空也もそのことは何となく感じ取っていた。
口下手。コミュ障。人見知り。それを表す言葉は千差万別だが、神橋美兎子がファイトギアのエンジニアとして成果を上げるには、その壁を越えなくてはならない。
(勿体ない、よな)
俯いて縮こまる少女の姿を見て―――
空也は籠に囚われた鳥の姿を想起した。
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