第8話 伏す想い
なぜ生きなくてはならないのですか?
必死に痛みに耐えて、歯を食いしばって、その先にある〈命〉を追い求めて、一体なんになるのだろう。
痛む。吐き気がする。毎日のようにそれが続く。眠ったらもう目を覚まさないんじゃないかと思って眠れない。脳が腐ったみたいに頭が働かない。どんどん暗い沼の底に引きずり込まれているように、心が泥濘に沈んでいく。
神とやらが居るのなら、どれだけ彼女から「当然」を奪えば気が済むのだろう。
学校に行くことも、外で遊ぶことも、朝健やかに目覚めることも―――、
たくさんのものを奪い去って、最後には「笑顔」と「家族」を取り上げた。
闘病中の娘を残して墜落する飛行機に乗っていた夫婦は最期に何を思っただろうか。傍にいてやれない後悔と、どうか幸せになって欲しいという望み?
病に打ち勝って、家に帰ろう。
どこだ。家は。
真っ白な病室で、少女は一人取り残された。見舞いに来たこともない親戚がやってきたところで、言葉を交わす気にもなれない。心と声に蓋をしていると、次第に誰も来なくなった。少女の陰鬱を背負おうとする大人なんていなかった。
病室でたった一人、絞り出すように呻くばかりだった。
「よお、具合は…っていいわけないか」
誰も来なくなった病室に、壮年の男がやって来る。
「昔、会ったことあるんだが憶えてるか…? まだ小さかったし憶えてるわけねえか」
死んだ父の友人だそうだ。碌な親戚が居ない少女を気にかけているらしい。
「別に父親になるつもりじゃねえ。でも時々見舞いに来るぐらいは良いだろ? 友達少ねえんだ。お前の親父が逝っちまったせいでもっと少なくなっちまった」
無視した。もう誰とも関わりたくはなかったし、そもそも言葉を紡ぐことさえ面倒だった。もうこのまま何もせずに、病が自分を素早く殺してくれることだけを願った。
どうせこの男も、しばらくすれば来なくなる。
「俺にもお前とおんなじくらいの娘がいるんだがな。こいつがやんちゃでよ」
だが男はどれだけ無視しても諦めずに、少女を見舞い続けた。自分が何も返答しなくたって、他愛もない話を紡ぎ続けていた。
「お前が生まれたばっかの時な。俺も抱っこさせてもらったんだが、途端にわんわん泣き出してよ。顔が怖いからだって…お前の親父が言いやがるんだ」
でも―――どんな話をされても、何を言われても、響かない。
「引っ越しちまってから、あんま会えなかったんだけどな。でも、仲良かったんだぜ。今度、俺の娘も連れてくるよ。びっくりするぜ。超アホだ」
壊れたラジオから鳴る音みたいに、耳に届く声は掠れている。
色褪せた世界に生きている。全てがひび割れたように見えて―――、
「ん、これは何かって?」
ある日、男が一枚のDVDを持ってきた。
「プロの奴ならテレビつけりゃやってるが、こいつはそうもいかねえ」
それは、ファイトギアという競技の試合が記録されたものだった。
鋼鉄のロボットが、リングの上で戦い合うのだ。前に病院から連れ出して貰って、両親と一緒に試合を見に行ったのが懐かしい。それも今は、取り返せない思い出だ。
「俺が見てえから持ってきただけだ。だから、興味ねえなら見なくてもいいぜ」
自分勝手に、男は病室のテレビにディスクを差し込んだ。
粗い画質で映るのは、二体の金属の巨人―――ファイトギアだ。
片方は赤いギアで、もう片方は青いギア。
どちらも、テレビで見るプロの試合とは程遠い形状をしている。
なんというか、弱そうだった。装甲も不揃いで、ずんぐりむっくりとしている。
いざ両方の機体が動き始めると、どっちも動きが鈍い。
「これ、小学生チームの試合なんだ。ひでえもんだろ。まさにガキの喧嘩だ」
どうでもいい、と少女は思う。どっちが勝とうが負けようが、勝手にすればいい。
でも、映像を見るのは久しぶりだったから、自然と試合に目が向いた。
勝負が続くと、だんだんと決着も見え始める。
「どんぐりの背比べでも、強弱はあるもんだな」
どう見ても、赤いギアの方が強かった。
青いギアは防戦一方で、必死に頭部を守っているが、それでも実力に歴然とした差がある。このままじわじわと敗北へと向かうのが想像できる。
(同じだ…)
あの青いギアは、自分と同じだ。
向かう先には悲劇が待っている。いくら頑張ったところで、結果が悪い方にいくのは目に見えている。どう見たって青いギアに勝ち目はない。
だったらさっさと諦めて、足掻くのをやめればいいのに。結末を受け入れて、その流れに身を任せてしまった方がずっと楽なのに―――、
「!」
青いギアが、突如揺らぐ。
何が起きたのかわからなかったが、赤いギアが怯んだのを見て理解する。
反撃したのだ。敵の猛攻の隙を突き、劣勢だった青いギアが赤いギアに拳を叩き込んだ。赤いギアは驚いたのか、動きが悪くなる。
青いギアは、その機を逃さんと攻勢に転じた。
段々と、青いギアが敵を追い詰めていく。青い拳が、叩き込まれる。
「いけ」
それは―――、
「いけっ」
それは、自分の声だった。
いつの間にか、応援していた。
「いけ!」
慣れない大声を、腹の底から絞り出す。
青いギアは、赤いギアの頭部電池を拳で撃ち抜いた。
赤いギアの電力供給は途絶され、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
勝ったのだ!
青いギアが、赤いギアに逆転勝利した。
この映像は録画だ。もうすでに試合は終わっていて、自分はその記録を見ているだけでしかない。それは充分にわかっている。それでも―――、
自分の応援の力が届いて、あの青いギアが勝ってくれた気がしたのだ。
「すごいガッツだな。あのパイロット」
青いギアから、一人の子供が降りてくる。
自分と同じくらいの歳の男の子だった。
男の子は、汗まみれになってスタジアムを飛び回っている。
喜びと、生気に満ち溢れた表情だった。
なんだろう。この気持ちは。
見知らぬ臓器が躍動して、全身に滾るような血液が循環するような―――、
「わたしも」
自然と声が出る。
心がぐわっと広がって、それが口から溢れ出てしまったみたいだ。
「わたしも、あんなふうに」
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