第7話 七転八倒


(は、速ぇぇえええええええええええええ!!!!!)


 風を切る。かまいたちすら轢き殺すスピードで突き抜ける。


「ちょ、これ大丈夫なのか?」

「免許とって一年経ってっから、タンデムでも問題ねえよ」


 唸るエンジン音。内臓が浮き立つ感覚。

 諸星空也、人生初のバイク二人乗りである。


 車道を一直線に駆け抜ける。疾走感は凄まじいが、全身が恐怖に浮き立つのを感じた。


 人間、猛スピードで風に晒されるのが、こうも恐ろしいのかと痛感する。 運転するのが白鳥小雛であるのもまた恐怖の要因の一つだが―――、


「しっかり掴まってろよ」


 小雛はあっけらかんとしている。


(掴まってろ、って言われもなぁ)

 空也が振り落とされない為には、当然、小雛の体にがっしりと組みつく必要があるのだが、どうにも女子の腰に手を回すと言うのに倫理的な抵抗がある。


 しかし、背に腹は変えられない。小雛の引き締まった腰回りをしっかりと掴む。


「おい、もっとちゃんと掴まねえと振り落とされんぞ」

「え…いや、でも」

「ったく。死んでも知らねえかんな」

「……」


 仕方なく、空也はより強く小雛の脇腹を抱きしめた。体温が更に身近に伝わってくる。

 密着しても小雛が怒る気配はない。空也はホッと安堵の溜息をつく。


「そういえば…」

「あ?」

「あの美兎子って子、ただのバイトってわけじゃなさそうだけど、番長たちとどう言う関係なんだ? 今日も俺が来た時には店にいたっぽいし」

「ん? ああ、あいつうちに住み込みで働いてんだよ」

「住み込み? 高校生で?」

「中学の時からあたしたちの家で暮らしてっから、半分家族みてえなもんだけどな」

「……」


(特殊な関係、だけど俺が踏み込むことじゃないか…)


「これ、どこに向かってるんだ?」

「舌噛むぞ。喋ってっと」


 交差点を曲がると、海の景色が広がった。潮風がわっと吹き抜け、涼しげに頬を撫ぜる。

 海辺を沿ってバイクが走る。午後の太陽が海面に沈もうとしている。

 爽やかな風を感じている内に、目的地に到着する。


「ここ…」


 バイクを降りるとそこは、人気のないビーチだった。

 真っ白な砂浜と、広大な海の景色。


「こっちです!」


 美兎子の声が聞こえる。声の方へ目を向けると、レッカー車が砂浜の上に停まっていた。

 既に荷台は空になっている。


 砂浜を見ると―――、寂浜の海を背景に、体育座りの姿勢で兎火丸が接地している。妙におかしみのある絵面だ。


(そうか。砂浜なら機体が転倒してもクッションになる。店の高圧洗浄機を使えば砂も払える。直立歩行テストの試験場としては好条件だ)

 本当に今からあのギアが歩くのだ、と実感が湧き上がって来る。


「コクピット、展開します」


 美兎子は無線端末のスイッチを押す。兎火丸の背部が展開し、コクピットのハッチが開かれる。そこから砂浜までスロープが伸びる。あれを昇れば操縦席まで一直線だ。


(競技用のコクピットまで…これ、趣味のレベルを遥かに超えてるだろ…)


「では、い、行って来ます」


 美兎子はスロープを駆け上がり、操縦席に飛び込んだ。


「気をつけろよー」


 小雛が声をかけると、美兎子は、幼子のようにキラキラとした表情で一瞬こちらを振り返った。


 スロープが仕舞われ、ハッチが閉じる。コクピットからの信号で頭部電池が起動し、各関節部モータまで電力が供給される。頭部電池の十字ランプが緑に点灯して、全システムの起動が確認される。


「一年、今日のためにやって来たんだぜ。あいつ」

 小雛が誇らしげに胸を張って言う。


「なあ、本当にアレ、あの子が一人で作ったのか?」

「あ? 作業自体はあたしも手伝ったけど、ほとんど美兎子がやったぜ」

「…………」

「んだよ。疑うような目しやがって」

「いや、だってさ」


 あの機体・兎火丸を見た時からずっと感じていた違和感を口に出そうと思った時―――。


「お、動いた」


 ぎぎぎぎぎぎぎ。ががががががが。と重厚な機械音が響く。

 戦国甲冑の大袖のような装甲。その内側から伸びる細い腕部に支えられ、頑強な脚部に力が込められる。

腕は細く、足は太い。装甲も不揃いで、中身の機構が隙間から覗いている。


 決して、洗練されているとは言えない不格好なデザインだが、六メートル近くはある鋼鉄の巨体が起き上がろうとする姿は迫力があり、圧倒される。


 慎重に、兎火丸は砂浜を踏みしめ直立しようとする。


「行け!」


 と小雛の声。空也も心の中で成功を祈るが―――、

 機体が直立し、いざ歩き始めようとした途端。


「!」


 ぐらっ、とバランスを崩して兎火丸は転倒してしまう。どさんっ! と砂を巻き上げて、尻餅をついた。


「くぁあ、ダメかぁ!」

 と小雛が頭を抱えて唸る。

 腰をついた兎火丸のコクピットのハッチが開き、スロープが伸びて美兎子が降りて来る。

 テストは失敗した。その表情は曇っているかと思われたが違った。


「立った! 今、立ったんですよ! 見ていましたか小雛ちゃん!」


 美兎子は目を宝石のように輝かせていた。いまにも砂浜に飛び込んでしまいそうに、大袈裟な身振りで喜びを表している。


「お前、失敗したのに嬉しそうだなぁ」

「何を言っているのですか小雛ちゃん! 兎火丸は、立ったんです! 立てると言うことは、歩けるってことです!」


 一見、無茶苦茶にも思える発言に。


「なるほどな」

 と頷いたのは、空也だった。小雛は「何がなるほどだよ」と彼の脇腹をつねる。


「っ痛、ぃ、いや、座った状態からの直立に成功した上に、転倒は後ろ向き。つまりマシン自体の構造に問題はない。歩けないのは補正システムの問題だ」

「?」

「人間、歩ける筋力があっても、脚の長さがわからなきゃ歩けない。それと同じで、ギアの歩行は入力した機体情報を自動演算することでフィードバックされる。つまり、コクピットの直立補正システムの数値に誤差があるんだ」

「そうなんでっ!! …す、よ」


 美兎子は、思い切り空也と目があっていたことに気がついたのか、恥ずかしそうに頬を染めて語尾を弱くした。


「あ~、よくわかんねえけど、じゃあその数値ってのをさっさと変えようぜ」

「そ、そうですね」


 美兎子はレッカー車で待機している宗一の方まで走っていき、パソコンを受け取って数値を遠隔で打ち込み始める。


「まあ、こっからがダルイんだけどな」


 美兎子は数値の入力を完了すると同時に、また兎火丸に乗り込んだ。

 尻餅をついた状態の機体が、ゆっくりと立ち上がる。

 その後、一歩を踏み出すが―――、バランスが崩れ。また機体が転倒してしまう。


「おい、ダメじゃねえか。ぶっ飛ばすぞオラ」

「そんなすぐ出来るようにはなんないよ。何十回も繰り返してやっといい数値を掴むんだ」


 美兎子は数値の打ち込みと搭乗を繰り返し、成功パターンを探っていく。


 何度かやっていくうちに、が、二歩目に進もうとすると転倒してしまう。

「ああ、惜しいな、クソっ」

「でも一歩進んだ」

 しかし、二歩目の壁は厚く―――、四十分近く、進展のないまま模索する。


「二歩目、全然行けねえな」

 空也も小雛も、ギャラリーとして観ているだけだが、飽きが来ることもなく一回一回の挑戦をしっかりと見守っていた。

「あ」


 膝をついて静止している兎火丸の頭部電池―――、


 その十字ランプが『緑から赤に変わった』。だ。


「一回充電したほうがいい」


 宗一が大型のバッテリーを担いで持って来る。

 美兎子はコクピットから降りると、ケーブルをコクピットに繋いで送電を始める。


「充電終わるまで休憩か…ずいぶん時間かかるんだな」

「でも、ここまで苦戦するのは珍しいな」

「んだテメエ。美兎子の頭が悪いっていうのか」

「違う……多分、機体性能がよっぽどピーキーなんじゃないか?」

「ピーキー?」

「じゃじゃ馬ってことだ。例えば、腕部と脚部の馬力に大きな差があるとか…」

「?」

「変なギミックが搭載されていたりな」


 思い出すのは昨日のこと。客のギアを修理したと思えば、不要な機能を搭載して宗一から大目玉を食らっていた。ドリルに魚網に緊急脱出装置。全てまともな発想で取り付けられたものではない。もしあれと同じような物があの機体に搭載されていたとすれば…。


「お前」

「?」

「なんか楽しそうだな」

「……」

「インキくせえ面だと思ってたからよ。そっちの方がいいぜ」


 小雛が横目に彼を見る。


(楽しい?)


 空也は意識してみると、自分の頬が緩んでいることに気がついた。


(なんか、昔に戻ったみたいだな)


 小中学時代。ファイトギアのジュニアチームで空也は活動していた。仲間達と機体を造りあげてパイロットとして自分がそれに乗って戦う。今みたいに、出来立てのギアを歩かせて、転ばないように数値を微調整するにも日常だった。

 そうだ。あの時は、それが一生続くと思っていたんだ。


「美兎子は…あの子は、今まで何してたんだ?」


 空也は、ずっと抱いていた疑問を口に出す。


「あれだけの技術があるんならなら、ジュニアチームでも名前が轟いてたんだろうなって。でも、俺はあんな子知らない」

「……」

「あの才能が、どうして今まで眠っていたんだろうな…って思ってさ」

 その問いに、小雛はしばらくの迷いを見せた後に答えてくれた。

「美兎子は…」

「?」

「ガキの頃に重い病気やっててさ。今じゃあんな元気だけど、前はいつ死ぬかわかんないくらいでよ。だから、ジュニアチームに入るなんざ、夢のまた夢でさ」

「…!」

「やっとあいつが、好きなこと、好きなように出来るんだよ」


 そう言って、小雛は充電中の兎火丸を、誇らしげに見上げる。

 正直、空也は虚を突かれた思いだった。あの子の健康的な振る舞いからは、死の縁を彷徨うほどの重病を患っていたなんて想像がつかない。でも、彼女がどこのチームにも所属せず、店の小さなガレージで機体を造り続けていた理由には合点が行った。


 


(俺に、何かできることがあるとすれば)


 空也は砂を踏み、美兎子の方へ近寄る。


「なあ、美兎子」

「は、はい」

「俺が乗ってみてもいいかな。これでも昔、ファイトギアのパイロットやってたんだ」


「!」


 空也がそう言うと、彼女はビー玉のように瞳を丸くした。


「外から見た方が、遠隔で数値も打ち込みやすいと思ってさ」

「……空也殿が、兎火丸に?」

「ああ。もし、良いならさ」


 美兎子はたくさんの感情がないまぜになった顔を浮かべる。

 空也には、その感情の上澄みさえも読み取れない。でも―――。


「…こ、この子を」

「!」

兎火丸とびまるを、よろしくお願いします」


 深いお辞儀と共に、彼女は愛機・兎火丸を託してくれた。


「!…ありがとう」


 頭部電池の充電が完了すると同時に、機体頭部の十字ランプが緑に切り替わる。

 空也は着の身着のまま、兎火丸のコクピットに乗り込んだ。

 ギアの操縦桿であるM・Mに両手足を差し込む。M・Mは血圧計のように空也の四肢に密着する。手元のグリップの感触を確かめる。座席から腰を離し、バランスを委ねる。


 久しぶりのコクピットの中だ。鉄の香りが鼻腔を通過する。


(感度良好。視界良好。システムオールグリーン……なんてな)


 恥ずかしい中二病を、心の中で押し殺す。


『では、いきます』

「了解」


 美兎子の合図と共に、空也はブーツ型のM・Mに脚力を込める。

 足を踏み込む。その動きが拡大伝達され、兎火丸の脚部も踏み出される。

 ズシンっ! と重厚な音が響き渡り、鋼鉄の一歩目を踏み出した。

 更にもう一歩、踏み出す。四肢の動きを、肌感覚で調節する。


「駄目か!」


 だが、操縦の均衡が途端に揺らぐ。

 機体はバランスを崩して派手に転倒する。浮遊感に内臓が荒らされる。


「…っ、もう一度行こう」

『は、はい!』


 美兎子が数値を変更した後、空也は再度M・Mを踏み込むが、また二歩目で転倒する。


「もう一度」


 数値を変更、一歩踏み出す。二歩目を踏み出す。転倒する。


「…もう一度!」


 転んでも、起き上がる。脚を踏み出す。手を前に伸ばす。


「行ける!」


 十回目の挑戦で、のに成功する。

 兎火丸が、砂を踏みしめて歩行する。


「っ!」


 しかし、三歩目で不安定になり転倒する。

 ズンッッッ! と盛大に背中から砂浜に落っこちる。コクピット内部も横転する。空也の内臓がシェイクされた。


『…だ、大丈夫ですか?』


「おい!」


『?』

「見たか。歩いたぞ、今! 二歩、二回歩いた! ここからは微調整だ。行ける! 歩ける!」

『っ…はい!』


 空也と美兎子の声が、次第に高まっていく。今回の数値を基本とし、微調整を繰り返す。


 七転八倒。それでも諦めずに繰り返す。どれだけ倒れても、諦めずに立ち上がる。


 日が暮れ出し、空が紅く染まり始める。鼠色の装甲が夕日の光を反射する。

 三歩、四歩、五歩、六歩、七歩―――、兎火丸の進む距離が延びて行く。


『安定しています!』

 やがて、磐石な歩行が可能になる。どれだけ足を踏み出しても、転倒する気配がない。

 辿り着いたのだ。完璧な数値に!


『これなら…!』


 瞬間。

 空也の血潮が迸る。興奮に内臓が沸騰する。魂が滾る。骨肉が踊り出す。

 腕を振るう! 脚を蹴り払う!

『空也、殿?』

 兎火丸は、空也の動きに合わせて俊敏な動作で駆動する。


 拳を振り抜き、脚を高く上げ―――、


 砂浜を蹴散らす!


 鋼鉄の演舞を披露する。茜色に染まる海を背に、踊るように手脚で空を切る。

 魂が震える。熱く滾る情動に突き動かされる。


(なんだこの機体、すげえ! ははっっ)


 空也は、全身の細胞が歓喜しているのを感じる。

 己が一挙手一投足を、全て祝福されているようだった。


(ああ、やっぱいいなぁ。ファイトギア)


 腹の底から興奮が湧き出る。だがそんな自分にも気がつかないほど没頭する。


 兎火丸は動きを止める。夕焼け空が見下ろしている。


「は、はぁ…はぁ」

 呼吸も忘れるほどの快感だ。

 将来のことも、家族のことも、過去のことも、全てを振り切った数秒間―――。

 空也はコクピットのハッチを開き、スロープを降りる。

 すると、美兎子が目の前まで駆け寄ってくる。


「空也殿!」

「あ…ごめん。調子、乗った」


 歩行テストのはずが、すっかり余計な動きまでしてしまった。

 機体に負荷をかけたことを咎められるか、と思ったが―――、


「すごいです、すごいです、すっごいです!」

「…ぇ」


 美兎子は両手を大きく広げると、表情をパッと明るくし、瞳を輝かせる。まるで星空を封じ込めたように、キラキラと―――、喜びと感謝の光を込めて。


「あ、あの動き、わたしが思っていたよりもずうっとすごくて、わたしが造ったはずなのに、想像を遥かに超えていて…」


 ―――


 脳裏で、母の言葉がリフレインする。


「わたしじゃ、あんな風に動かせなくて…だから、あの子があんなに動いてくれたことが嬉しいというか。あれ、なんて言おうと…ごめんなさい。うまく言葉が出てこないです」


 夢の価値は、一時間260円だけじゃないはずだ。無駄なんかじゃないはずだ。


「とにかく、すっごいんです!」

 美兎子は、拙い語彙で興奮を表現する。

「……」


 空也は黙り込んで彼女を見つめる。


(なんだ、この気持ち)


 心臓の裏にある、見知らぬ臓器が熱を放ち、やがて融点を超えて、肉体を縛っていた鎖が溶け始める。これまで無視してきた情動が、見逃せないほどに強くなっていくのを感じる。





 錆びついた歯車は、やがて、少しずつ、少しずつ―――。

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