第6話 世界を変える話をしよう


 翌朝―――。鳥はさえずり、商店街を潮風が吹き抜ける。


 空也は白鳥モーターに出勤早々、店前に陳列された小型ギアにワックスがけをしていた。タオルとスプレーを持って装甲を丁寧に拭き上げる。


「おらぁ腰入れろや! 新入り!」

「う、うす」

「そこ、関節の裏までしっかりと!」


 声を荒げるのは、時代錯誤のスケバンガール・白鳥小雛である。空也の背後で金属バット片手に殺気を漂わせている。


 店長の娘である彼女は、高校が休みの日は家業の手伝いをしているらしい。休みなのになぜかセーラー服を着ているのが謎だった。


 空也と同じ高校二年生だそうだが、職場では先輩ということで、強烈にしごかれていた。今にも金属バットを脳天に叩き込んできそうな威圧感がある。


「汚れの一つでもついてたら、シラスの餌にすっからな」

「あ、当たり強くない?」


 恫喝。脅迫。シンプルにパワハラである。


「あの白鳥さん…」

「あぁん?」


 ただ名字を呼んだだけなのに、小雛は殺気を纏って睨んでくる。


「白鳥だと親父と混ざんだろ。名字で呼ぶんじゃねえ」

「じゃあ……小雛、ちゃん?」

「てメェ」


 小雛の表情が般若像のように歪んだ。すぐさま空也は口をつぐむ。


「番長」

「よし、それでいい」

「いいんだ…」


 小雛が鬼の形相を緩めたので、ほっとした空也は胸を撫で下ろす。


「おい、手止まってるぞ」

「うす」


 しかし、なかなかどうして―――、


 花も恥じらう美少女である。

 化粧気は殆どないのに、目鼻立ちも流麗で、飾らない美貌の持ち主だ。大地に突き刺さった針金を通したような伸びやかな立ち姿は気品さえ感じさせる。


 後ろで結んだ黒髪は艶やかで、夜を封じ込めたみたいだった。


「それ終わったら、錆防止剤塗っとけよ。死ぬ気で」

「し…死ぬ気」

「たくっ、なんで親父は覗き魔なんか採用してんだ」


 どうやら、昨日の誤解がまだ解けていないらしかった。


(まあ、やましい気持ちがないにしても、一方的に見てた俺も悪いし、仕事で信頼を手に入れるしかないか)


 拭き掃除が終わり、錆防止剤を丁寧に塗っていると―――、

 唸るようなブレーキ音が響き、大型のレッカー車が店前に停まった。


「俺は漁港に出張整備行ってくるから、店はお前らに任せた」


 車窓から顔を出したのは白鳥宗一だった。

 この巨大なレッカー車は、彼の所有物であるらしい。

 であればこれは、車を運ぶための物ではなく、ギアを搬送するためのものだろう。閑静な商店街の中で明らかに異彩を放っている。


「親父、今日はあの日だろ? 早めに帰って来いよ」

「わかってる」


 小雛の言葉に宗一は頷いて、レッカー車を発進させた。


「番長。あの日って、なんだ?」

「お前には関係ねえ。手動かせ、手」


(この子と店番か…、胃が痛くなりそうだ。って、二人?)


「なあ、もう一人、美兎子って子がいたよな。あの子は?」


「会いたきゃあたしを倒してからいくんだな」


「会話が成り立ってないよ……いや、一応同じところで働くんだし。挨拶くらいは」


「あぁん? 昨日、一言も喋んなかったのかよ」


「なんかずっとガレージにこもっててさ」

「いやらしい目で見たんじゃねえか?」

「見てないよ。そもそも目も合わせてくれないしさ」

「ま、あいつ口下手だからなぁ」

「…口下手?」

「そのうち、向こうから話しかけてくんだろ」


 他愛もない会話をしながら、ギアを丁寧に清掃する。


(ジュニア時代、先輩の機体拭いてたの思い出すな…)


 清掃が終わり、10時を過ぎる頃には、商店街にも人通りが増えてくる。

 店には、整備用品など小物を買いにくる客などがちらほら来るので、空也と小雛でその対応をする。混雑するようなこともなく、一日が緩やかに過ぎる。


 午後2時過ぎ。その客はやってきた。


「やあやあやあ。白鳥はいるかい?」


 小太りのおっさんだった。髪の毛は鳥の巣のようにボサついていて、清潔感があるとは言い難い。だが着ている服に関しては、見るからに上等だ。昨日来た内海とは歳は近いが纏う雰囲気は全く別だ。まるで、中世ファンタジーに出てくる悪徳貴族のような男だった。


「んだよ。また来やがったのか。賀蒙(がもう)」

「おいおい。客にその態度はないだろう。小雛ちゃん」

「名前で呼ぶんじゃねえよ。殺すぞ」


(え、今殺すって言った? お客さんに?)


 ギョッとするが、しかし小雛の纏う空気が洒落で済まないほど冷えたのを感じて、様子を伺うことにした。


「で、白鳥は?」

「親父はいねえよ。どうせあの用件だろ? いても断るだけだ」

「素っ気ないねえ………ん?」


 賀蒙、と呼ばれた中年は、店のカウンターで棒立ちになっている空也を見る。


「君、新しい子?」

「諸星です」と空也は小さくお辞儀をする。

「ふんっ、やっぱり景気いいねぇ。白鳥のとこは。その金を未来ある若者に回すって気概にはならんのかね」

「けっ。タカりに来てる奴のセリフじゃねえな」


「タカるだなんて人聞き悪い。ただ俺は〔〕を強くして、この商店街をより活気付けたいと思っているだけさ。それはこの店にとってもメリットのある話だろ?」


 中世貴族風の男は、芝居めいた口調で語りはじめた。


(確か…〔寂浜オリオンズ〕って、この町の高校ファイトギアチームだったよな)


 空也は商店街の掲示板の張り紙に、『関東選抜出場!』とチームの宣伝ポスターが貼ってあったのを思い出した。


「俺がオーナーになってから三年。オリオンズは関東選抜に出場するまでに至り、この町に希望を与えた。未来の日本を担う少年少女が、この寂浜から出ようとしているんだ」


 賀蒙の熱弁に対し、小雛は興味なさげに、耳に指を突っ込む。


「娘の君からもあの頑固親父に言ってくれよ。君のように日々を怠惰に生きる素行不良児は、未来を創る優秀な子らの糧になるべきだ…」

「あぁん?」

「大人にそんな目を向けるものじゃないよ。悪い子だ」


 一触即発。緊張が二人の間で立ち込める。


「あ、そうそう。美兎子ちゃんにも挨拶しておかないと」

「おい!」

 美兎子、と名前が出た途端、小雛が声を荒げる。しかし賀蒙はそれに付き合うことなくガレージの方へ歩こうとする。


「待てよっ、美兎子は関係ねえだろ」

「別にただ声をかけるだけだよ」


 小雛が今にも掴みかかりそうな気配を出した時―――。


「あの…」

「?」

「他のお客さんも来るかも知れないので、個人的な会話はよそでやって頂けると…」


 口を挟んだのは、置物と化していた空也だった。


「あと、今は店長がいないので……用があるならまた次の機会に」

「……まったく、白鳥んとこの子は可愛げがないねぇ」


 そんな嫌味な台詞と共に、「まあ、いないなら仕方ないか」と賀蒙は店を去った。

 嵐の後のなんとやら。緊張が解れ、一瞬店内の空気が静まり返る。小雛は不機嫌なアーモンド目で、空也の方を振り向いた。


「助けたつもりか?」

「今にも番長が飛び掛かりそうだったから、あのおっさんを助けたんだよ。俺は」


「……ちっ」


 舌打ちをして、小雛は頭を押さえる。


「あんがとよ。つい頭に血昇っていけねえや」と呟いた。

 それにしても、彼女からはあの賀蒙とかいう客に対する並々ならぬ敵愾心を感じた。どういう関係性なのだろうか。確か、ファイトギアチームのオーナーをやっていると言っていたが。


(…!)


 ふと、店奥のガレージのシャッターが、ほんの少し開いていることに気がついた。

 ひょっこりと、頭が飛び出している。

 美兎子だ。淡い髪色がよく目立つ。彼女は宝石のような瞳で、じっと空也を見つめていた。熱烈な視線が注がれるものだから、無視をすることもできない。

「ねぇ」

「…!」


 空也が声をかけると、美兎子は慌てて顔を引っ込めた。

(昨日から、話しかけようとすると逃げるんだよなぁ。警戒されてんのかな)


 だがずっとこのままというのも据わりが悪い。せめて自己紹介くらいはしようと、半開きになったシャッターを潜り抜けて、ガレージの中へと踏み込む。


 照明はついておらず、小さな窓から射す自然光のみが頼りで、薄暗い。


(初めて入ったけど、すげえ広いな…)


 一軒家が余裕で建つだけの敷地がある。まるで大掛かりな撮影スタジオのようだ。


 ガレージを見渡しても、美兎子の姿は見当たらない。


「あの〜」


 呼びかけながら、歩き回る。暗いので周りがよく見えない。

 しばらく探すと、奥の方に何やら『巨影』が聳え立っており、その裏に白い人影を見つける。兎を追って、不思議の国に彷徨い込むアリスの気分だった。


 足を早めると、思わず周囲の確認を怠って―――、


「うお」

 なかなか派手な音を立てて転んでしまったが、特別痛みがあるわけでもない。


(何に躓いたんだ?)


 立ち上がって見上げると、視界を埋め尽くすのは『巨影』だ。

 これに足を掛けてしまったのだと、それをもう一度よく確認すると―――。


「ギア?」


 直径六メートルはある大型のギアだった。


(なんだこれ…業務用じゃない?)


 戦国時代の甲冑を想起させるゴツゴツとした装甲。頑強な脚部。繊細な五指に、拳を守るためのナックルガード。まるで、戦う為に存在しているかのような形状。

 機体の周囲には、製造用の〈〉まで展開されている。


 足を伸ばした、いわゆる長坐位の体勢の大型ギアを、〈パーソナル・ドッグ〉は、正四辺形のレールで囲んでいる。このレール上にクレーンを敷くことで機体のその場での整備が可能となる。つまりは、いつ壊れても修理出来るということ。壊すことが前提であるということ。


 この設備に加え、一般業務用とは思えない独特なフォルム。


(…! そうかこれ)


 空也の脳が、一つの事実を導き出す―――、


「格闘競技用(ファイト)ギアか」


(部品は全て液体鋼合金。競技用の頭部電池、機動性重視の関節部モータ。それに加えてこの独創的なデザイン。量産流通してるようなものじゃない。間違いなく、オリジナルのファイトギアだ)


「すげえ…」

「あ、あの」


 ファイトギアを目前とした衝撃のあまり、過敏になっていた神経に触れ、空也は咄嗟に振り返った。そこにはつなぎ服を着た可憐な少女が立っている。


「だだだだ、大丈夫ですか?」

「…え?」

「その、こ、こ、転んで、いらしたので」

「…あ、うん。俺は大丈夫だけど……これ、このギアって」


 空也はガレージに置かれたファイトギアを見上げる。


「と…兎火丸、ですか?」

「とびまる?」

「は、はい。その子は、兎火丸と言います」

 兎火丸―――。それがこのファイトギアの銘であるらしい。可愛らしい響きの独特なネーミングだ。


「この店、大型の修理はやってないでしょ? なのにどうしてファイトギアがあるのかなって…」


「…そ、それは、その」


 美兎子は頬を真っ赤にして、つなぎ服の生地を掴んで俯いてしまう。

黙りこくった彼女を見て、何か気に障ったことを言ったのだろうかと空也は焦り出す。


「あ、その別に、この店が大型の修理できるようなとこじゃないとかそういうんじゃなくて、すげえ格好いいマシンがあったからさ。つい見惚れちゃってたっていうか」

「かっこ、いい?」

「そうそう。腕がスマートな割に、脚部がゴツくて太かったり、装甲板の塗装とかもバラバラで、隙間から歯車機構が見えてる感じとか。なんていうか、全体的に作りが荒くて不格好だけどさ」


「ぶ、不格好」


「でも、俺は好きだな。組んだ人のこだわりっていうか、熱意が伝わってきて」

「っっ!」


 カァァ、と茹で蛸みたいに美兎子は顔を真っ赤にした。


(! なんか、悪いこと言ったかな)

 しん、と薄暗いガレージを、緊張と静寂が張り詰める。どう話を切り出そうかと迷っていると―――、


「わ、わわわ、わたし」

「?」

「わたし、なんです」

 美兎子は茹だった顔をあげ、一世一代の決心をしたように言葉を放つ。

「わたしです! この、兎火丸を造ったのは!」

「…え?」

「わたしが、この兎火丸を造ったんです。も、もちろん一人じゃないんですよ。小雛ちゃんにも手伝っていただきましたし…」


 数秒経って、その意味がわかる頃に、空也の心の浮かんだのは『疑い』だった。


「これ、ほんとうに君が作ったの?」

「は、はい」

「どのくらいの、時間をかけて?」

「……一年近く、ずっと」

 一年。


 確かに、それだけの時間をかければ、相応の知識と設備、素材が揃っているのなら、(多少の手伝いはあったにせよ)一人でもファイトギアを製造することも物理的に不可能ではない。設備も素材も、この職場にいるなら集めることだって出来るかもしれない。

 

 だが一年。……一年だ。決して短い時間じゃない。

 

 一年を懸けて、自分と同じくらいの歳の少女が、ここまでの機体を組み上げたと言う事実はそう易々と受け入れられるものじゃなかった。ギアを一機造る為には、十数人が役割を分担し、それぞれが必死に製造に向き合う必要がある。そのプロセスを、ほぼワンオペレーションで? もしそれが事実だとすれば―――、


「まだ、直立歩行テストもできてなくて、実用段階とは言えませんが、この子を好きと言ってもらえて、嬉しいです」

「……」

「あ、た、たいへん! 自己紹介しないと!」

「?」

「わたし、神橋、み、み、美兎子…と、申しまして、十五歳の高校二年生で、身長は154㎝で、体重は…えーっと、今日計ったら」

「ちょ、言わなくていい言わなくていい!」


 美兎子が絶対に不必要な情報まで明らかにしようとするものだから、空也は慌てて制止する。

(なんか危なっかしいなこの子。てか、年下なのか)


 空也は高校二年なので、歳も学年も一つ違いだ。


「あ、その…、諸星空也殿ですよね。昨日から、バイトで入った」

「! ああ。悪い。俺も自己紹介できてなくて」

「い、いえ、知っていますから!」


 美兎子は不器用にはにかんだ。

 自分のことを知っている。それを聞いて空也は「昨日のうちに店長か番長から俺のことを聞いたのだろう」と解釈した。ならば、わざわざもう一度名乗る必要もない。

「よろしく。神橋さん」

「ぜ、是非、み、美兎子と呼んでください。空也殿」


 こうして無事(?)。二人の初会話は達成された。


(それにしても…)


 振り返り、もう一度ファイトギア・兎火丸を観察する。


(これ、本当にこの子が作ったのか? だとしたらなんで…)


 一つ、空也はひっかかりを覚える。

 それは―――、


「おーーーい! 親父帰って来たぜ!」


 ガレージに凛とした声が響き渡る。小雛だ。上品とは言えない屈み方をしてシャッターを覗いている。


「あ、小雛ちゃん」


 美兎子の表情が、パッと明るくなったのが見えた。


「今日、あの日だろ? さっさと行くぞ!」


 先刻も一度聞いたが「あの日」とは何だろうか。そんな空也の疑問はよそに、物事が進み始める。

 ガレージの端、外からの搬入口であるシャッターが開かれる。

搬入口の向こうには、宗一のレッカー車の姿があった。バックでガレージに入ってくると、運転席から宗一が顔を出す。


「宗一殿!」

「美兎子、準備はできてんのか?」

「い、いけます」

「よし。じゃあドッグを回せ」


 美兎子は兎火丸を囲む〈パーソナル・ドッグ〉の制御盤に向かう。重厚な音と共に、機体を囲む四辺形のドッグが回転する。機体の背中がレッカー車の方を向く状態になる。


「倒せ」

「了解です」


 長坐の兎火丸を固定する背もたれが倒れる。まるでリクライニングチェアだ。機体は寝そべる姿勢になる。レッカー車のクレーンが伸びると、兎火丸のコクピットから飛び出たフックに引っ掛ける。クレーンが縮み、同時に兎火丸が引き上げられる。


 荷台に機体が滑り込む。

 仰向けになった状態で、兎火丸が積み込まれた。


「オーライです!」

 と美兎子が声高々に叫ぶ。

「パソコン持ってこい。向こうでも微調整するんだろ?」

「はい! ただいま!」


 美兎子がガレージの奥に走っていく。空也は隣に立つ小雛を見やる。


「なあ、これなんだ?」

「あ? 今からあのギアを歩かしに行くんだよ」

「え。歩くの? アレ」

「さあな。まだ一度も歩かせたことねえから、今からそれを試しに行くらしいぜ」

「直立歩行テストか!」


 二足歩行パワードスーツ・ギア。その最低要件は『立って歩けること』である。

 機体が完成した直後、それが本当に歩けるかどうかを確認する試験を行うのが、ギア完成の文字通りの第一歩であり、その試験を〈直立歩行テスト〉と呼称する。


「諸星、お前もくるか?」

「え、いいんですか?」

「店は早いがもう閉める。一緒に来るならその分の時給は払うぞ」

 断る理由はなかった。時給が払われるのは万々歳だが、それ以上にあのギアが歩いているところを見たいという、好奇心に突き動かされた。

「来るなら後ろに乗せてやれ、小雛」

「まじぃ。まあ、いいけどよ」


 何の話? と聞くよりも前に、小雛がどこからともなくヘルメットを取り出した。


「行くぜ」

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