第3話 スケバンガール


「おい」


 後ろから声をかけられても、空也は気づかない。

 少女の後ろ姿に見惚れているからだ。


「おい、変態野郎」


「……」

「おいコラ、聞いてんのか!」


 ズガンッ!!

 と鈍い衝撃音が響く。


「!???」


 空也の目に真っ先に飛び込んできたのは―――、


(金属バット?)


 空也のつま先ギリギリでバットが叩きつけられている。もう数センチズレていれば、彼の指骨は粉々に砕け散っていたことだろう。


「ちょ、なになになに」


 身の危険を察知し、咄嗟に空也が飛び退くと―――、


「逃げんなおらぁ!」


 獰猛な声が響き、ブンッッ! と風の音。目の前が銀色で埋め尽くされる。


「…!」


 金属バットが、空也の顔面に突き付けられた。


「おいコラてめえ、ウチの従業員舐め見回していい度胸じゃねえか。おぉ?」


 まず目に飛び込んできたのは金属バットと……セーラー服だ。

 黒を基調とした今時珍しいデザインの制服だ。胸元に大きなリボンが真っ赤に咲いている。少女のスカート丈は異様に長く、今にも地面に触れてしまいそうだった。セーラー服姿の少女は金属バットを片手に、野良猫のような目で空也を睨みつける。


(スケバン…?)


 空也は、まるで数十年前にタイムスリップしたような錯覚に陥る。

 時代錯誤の制服の着崩し方をした不良少女が、目の前で怒髪衝天している。


「んだこら。声帯なくしちまったのか? うんでもすんでもなんでも言えやおらぁ!」


「…ちょ、ちょっと待てって。なんか誤解してるって」


「あぁん誤解だぁ? 女を無許可でじろじろ見んのに誤解もへったくれもあるかぁ!」


 叫ぶ少女の目は血走っている。今にも顔面にバットを叩き込んできそうな勢いだ。


「いや、バイトバイト! バイトの面接に来たんだって! 誰もいなかったから、誰かいないか確認してたんだ!」

「バイトぉ?」

「別に、やましい気持ちで覗いてたわけじゃない!」

「……ああ、確か親父がそんなこと言ってたな」


 少女は探り伺うような目で、空也の全身を捉えた。


「いやでもお前、中坊だろ。バイトは出来ねえぞ」

「俺、高校生なんだけど…確かに、背は小さいけどさ」

「じゃあ高校生が、平日のこんな時間から何やってんだぁ? 学校行け学校」

「通信なんだよ。って、そっちも高校生じゃ…」

「へっ。寝坊したから今から行くんだよ」


 何がそんなに誇らしいのだろうか。不良少女は、自慢げに胸を張って鼻を鳴らすと、品定めするように空也を睨みつける。


「…まあ、面接ってのは嘘じゃねえみてえだな。ならあたしがしてやるよ」

「は?」

「表出な」


 ピンッ、と親指を立てて扉の方を指す。


「あたしに一発でも拳入れられたら合格だ」

「接客業って聞いてたんですけど…」

「ったく。ごちゃごちゃうるせえなぁ。もう三時間目間に合わねえじゃねえか」


 理不尽極まりない愚痴をこぼして、少女はくるりと踵を返す。スカートの裾が、床スレスレで翻る。


「おーーい! 親父っ!!」


 二軒先まで届きそうな声量だ。


「なんだ」

「面接の奴が来てんぞ。降りてこいよ!」

「ん。ああ。わかった」


 天井から声が聞こえ、足音が下ってくる。レジカウンターの向こうにある階段から、壮年の男が降りて来た。白髪の多いオールバックの髪を拵えた、片眼鏡をかけた鋭い眼光の男だ。

 狼のような、静かな威圧感を漂わせている。


「悪い。遅くなった」


 少女はこの男を親父と呼んでいたが、二人は親子なのだろうか。確かに彼女と男には、鋭い眼光に面影があるように思えた。

「おい小雛こひな。お前はさっさと学校に行け。中卒に店は継がせねえぞ」

「わあってるよ。じゃあ頑張れよ。覗、き、魔」


 小雛、と呼ばれたスケバンガールは、傘立てにバットを立て掛けて店を駆け出て行った。


「覗き魔? なんのことだ」


「さあ。なんでしょうね。ははは…」

「まあいい。とりあえずあれだ。履歴書だ。履歴書…」

「は、はい! ここに」


 空也はリュックサックから履歴書を取り出して男に渡す。


「あー、俺はだな。白鳥宗一だ。名字の通り、この店主をやっているもんだ」


 宗一は気怠そうにカウンター脇に向かい、パイプ椅子を出して空也を座らせる。


 自分はカウンターのテーブルに腰かけて履歴書に目を通す。


「諸星空也……高校二年で、通ってるのは通信か。工事現場に飲食店…バイト経験、結構あるんだな」

「は、はい。色々と」

「……ん」


 履歴書の一項目に、宗一は目を留める。


「お前、中学時代はファイトギアのパイロットをやってたのか」

「…え、あ、はい」

「聖章ジュニアっていうと、県内最強の名門だよな。大したもんだ」

「まあ、中学で挫折しちゃいましたけど…」

「挫折?」

「現実を知って、今は普通に進学希望って感じです。高校出たら一人暮らしもしたくて」


 空也は恥ずかしげに頭をかいて、取り繕うような薄笑いを浮かべた。


「……ならギアの設計の経験はありか」

「基礎の基礎なら、ジュニア時代に」



「…ぇ、も、もうですか?」


「経験ありでそれなら文句はない。なんなら今日から働いてくか? 給料は出すぜ」

「! ぁあああああ、ありがとうございます!」


 空也は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がって、宗一に深々とお辞儀をする。


(時給1260円! 工事のバイトよりは下がるけど、高校生なら上々だ!)


 ガッツポーズをしたい気持ちに駆られるが、それを心の中で済まして顔を上げる。


「早速、店開けるか…」

「はい!」


 出だしの印象が大事だ。と空也は大きな声で返事をする。

 だが宗一は「おう」と無骨な返事一つで、カウンターの丸椅子に腰掛けた。

 新聞を取り出して煙草を吸い始め―――と思えばそれは棒付きの飴玉で、「いるか?」と空也にも一本差し出してくる。


「あ、大丈夫です」

「そうか」


 透明な壺には棒突きキャンディが敷き詰められている。キャンディの包みには『ガツポン酢味』と書いてあり、貰わなかった自分を褒めたくなる。


「……」

「……」


 静かな店内。聞こえるのは空調の音だけ。


「あの…」

「なんだ」

「何か、仕事とかって」

「……まあ、あれだ。適当に立っていれば良い」


(適当に、立つ??)


「そ、掃除でもしましょうかね?」

「いや、まだいいだろ」

「……」


 何もなく、時間だけが過ぎていく。この瞬間にも時給が発生していると考えると役得感よりも恐怖が先立つが、他にすることもないので、言われるがまま空也は立ち尽くしている。


「あの…さっきの子、娘さんですか?」


 せめてもの話題に、小雛と呼ばれていたスケバン少女の話を振る。


「なんか気に障ったか?」

「え?」

「あいつはトラブルを起こしやすい性格だからな。もし失礼なことをしてたら詫びる」

「あ、いやそんな……ぁ、そういえば、ガレージの方に、もう一人いましたよね」


 空也は、ガレージの中で歯車を削っていた少女の姿を思い返す。


「あの子は?」

「ん。アイツは―――」


 ガチャン、と店のガラス扉が開いた。来客を知らせる呼び鈴が鳴ると、「らっしゃい」宗一が無愛想に立ち上がる。

 扉から入って来たのは恰幅のいい中年男性だった。日焼け焦げた色の肌に、染めていない白髪がよく映える。


「よお、白鳥さん! 遅れちまって悪いな」

「修理なら終わってる。内海さん」

「おお本当かい。いやぁ、これで明日からの朝市が楽になるってもんよ。ガハハ」


(…! 市場の人なのか)

 寂浜町は相模湾に面した土地であり、漁港ではシラス漁をはじめとした漁が盛んに行われている。町では、毎週土曜日に朝市を開催しており、周辺の漁港で獲れた海産物を取り寄せ、一般客にも安価で販売していた。

 少し前、母の誕生日にせめてものご馳走をと、足を運んだのが記憶に新しい。


「最近は漁港の職員もみんな爺婆になってなぁ。力仕事はギアに頼らんといかん」

「いいじゃねえか高齢化。ウチが食いっぱぐれなくて済む」

 宗一は言いながら振り返る。

「おーい美兎子みうこ! 内海さん来たぞ! 修理したやつ持ってこい!」


 店奥へ、声を張り上げると―――、



「は、はい!」



 シャッターの向こうから、慌てた声が返ってくる。

 やがて、ガガガガガガガガガガガガガガガガ―――と騒音。

 店奥のシャッターが昇り始めた。


「?」


 開かれた暗闇の向こうに、丸っこいフォルムが浮かび上がる。

黄土色の塗装が施されている。見たところ引っ越し業者や資材の運搬といった力仕事で利用されることが多い、オーソドックスな業務用小型ギアだ。


 縦尺は成人男性の平均身長程度。首から上のない二頭身のデフォルメキャラのような形状で、胴体に人がすっぽりと収まり、レバーとペダルで操縦する仕組みになっている。


 球形をした胴体部から、操縦者がひょっこりと顔を出している。


(あの子…)


 ガレージで歯車を削っていた少女だ。ゴーグルとヘルメットを被っている為、まだその素顔はわからない。


 響くのは重厚な駆動音。小型ギアが空也達の方へと迫ってくる。

 ギアが内海の前で停まると、少女は機体から軽々と飛び降りた。


「ふぅ」


 一息ついて、少女はゴーグルとヘルメットを外す。


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