第5話 山鉾巡行と市内巡り、そして最後の晩餐

17日、朝6時少し前、据え置きの室内電話の呼び出し音が鳴る。男は眠気のまだとれない目をさすり、嫌々そうに受話器を手に取り応答した。受付から来訪客との事だった。その言葉に頭痛を覚える。

男は眠気を払うように頭を軽く振って洗面所で顔を洗い、着替えてのっそりと受付口へ移動した。その場に到着するとにこやかな表情で昨日のあの女が愛想のある表情を作りながらたおやかに立っていた。どこぞの令嬢を思わせる雰囲気の洋服に大きな鍔の麦わら帽子。昨日の夜の時とはまた別の可愛らしさ、美しさがあった。

男百人いれば全員が間違いなく好感を抱き、美辞麗句を口に出すこと間違いなしの女だった。しかし、男は心の中では可愛らしいとは思ったが褒める様な事を口にする事もなく、「何時だと思っている。見世物は9時だと聞いたが。お前は馬鹿か」と悪態を付いた。それに対して女は「早起きは三文の徳と言いはりましてな、お稲荷さん拝みにまいりましょ」と男の悪態など暖簾に腕押し、爽やかな笑みで答えていた。

男は「言っている意味が分からないが」と口にし行く事に同意してはいないが、女はそんな男の躊躇いなど意味もない。手を取り引っ張り歩みだす。


二条城駅からJR嵯峨野線で京都駅まで、京都駅から奈良線経由で稲荷駅で降り、徒歩で目的のずらりと朱色の千本鳥居がどこまでも続く方の入口へ回り、有名な伏見稲荷大社へ続く参道へ辿り着く。土地勘がないと千本鳥居側から境内に向かうのは難しいだろう。


登頂のための初めの鳥居についた時に女は手を差し出したが、男はそれを軽く払いのけ、先に歩き始める。女は少し不満げにむっくりするが男は鼻で笑い先を急いだ。少し早い足取りだった男の歩調に難なく隣を歩む女は伏見稲荷の蘊蓄を語り始めた。

男は鳥居を一つ潜るごとに幻想郷へ誘われる不思議な感覚と女の語り口の温かさに不本意にも酔い痴しれてしまっていた。男は奇妙な感覚に囚われながら時間の経過も忘れ境内に到着していた。

夏、早朝に立ち込める森林の香りが、木々の合間を縫って吹く涼風が男の心のよどみを少しばかり洗い流したように思えた。


大社内の敷地は広い。男は女の案内に頼るしかなかった。男は自身の彼女に対する態度を恥じ、ばつが悪そうに案内をお願いした。遮光眼鏡越しの男の表情など読み取る事など容易ではないだろう。女は男の気持ちを知ってか知らずか、快く了承し、先導して歩き始めた。


奥宮、白狐社、玉山稲荷社を抜けると本殿につながる大きな一本鳥居が目に入る。さらにそこを抜けると左手に見える大きな建物が本殿だと説明を受けた。一度表口まで来ると楼門、外拝殿、本殿の順に巡り社を後にした。大社の外を出て、しばらく歩くと誰でも自由に座って休憩できる長椅子が置かれている場所にたどり着いた。


男は近場にあった自動販売機でお茶を購入しようとするが女に止められた。そんなまずいお茶は飲んでは駄目だといい、ずっと持っていた大きめの手提げから自前水筒から入れた冷茶を渡された。「おなかすいてはるやろ」と言うと竹細工の包みを手提げからとり出し、その蓋を開け男へ中身を見せ、「おいなりさんや」。

流石にここで断り無粋する事を男も躊躇った。一つ手に取り半口し、噛み締めた。甘辛の出汁が良く染みた油揚げに鳥五目の酢飯。売り物にしてよいほどの美味しさだと心の中で思い、残り半分を口の中に入れ噛み締め飲み込む。男が一つ食べている間、女は二つ目の半分を食べ終え、残り半分を食べ終わったのちに、差し出していた竹細工に手を伸ばさない男をじっと凝視し、「おくちにあいまへん?」と不安色を顔に乗せ尋ね、「そんなことはない。美味しくなかったら一つ目を食べきることもしないだろう」と男の返答に「そうでしたら、美味しい言うてほしいわぁ。せっかくの手作りなんやからぁ」と不満顔ではなく笑顔で何かを強要した。

男は何を女がどの様な答えを求めていたか理解したが、返した答えは「君を褒めて、喜ばせてやる義務は俺にはないぞ。義理くらいはあるかもしれないがな」と言葉にして、残り一つをゆっくり味わい、口の中のほのかに残った甘みをお茶で流し込んだ。「お兄さん、ほぉんまぁ~あに、いけずなおひとやわぁ」と返すも表情に不満はこもっていない。むしろ微笑んでいた。


それから午前9時を回り、3基目山鉾が動き始めたころ出発地点の四条烏丸に男女は到着した。女は言う、彼女の町内会の山鉾が出たらそれを追うように移動しましょうと。外気と熱気の暑さに滲み出る汗をぬぐい、何期目かの山鉾が移動するのを眺め、女が「あれや」と指をさした山鉾が目に入るとその流れを追うように二人は移動した。巡行路は東へ、四条河原町を目指し、そこから北へ鴨川と並行するよう、市役所通り前を目指し、西に戻って烏丸御池の先の先を南に向かった先が終点。

二人は巡行よりもやや遅めの歩調でおおよそ二時間を掛け、御池についたあたりで女がここで見納めでいいでしょうと歩みを止めた。男が歩き疲れたのかと尋ねるとそうではなく、この場所で最後尾の山鉾が過ぎるのを待ち、それを追って、最後の角を曲がるのを眺めたら女の通例の見納めらしかった。

男は思った。本当なら友達等と見に来ていたのだろうなと。自身のような不愛想な男に付き合わせて悪いと心で思うが言葉にも表情にもする事はしない。


朝からずいぶん歩いた。途中、女が出してくれた稲荷寿司を食べたとは言え運動量からして足りていないはず。男がではなく女の方がだ。まだ正午に回っていなかったが、男は女に昼食をご馳走しようと口に出し、女にお薦めの店はないかと尋ねると和食、丼物屋、そば、うどんを挙げた。男は蕎麦が好きだったがしかし、京都人が男と同じ様に蕎麦が好きかどうか知らない。だが、男は聞く「蕎麦は好きか?」、「ええ、大好きですわぁ、ならあそこのお店やね」と言って歩き出す。なんと徒歩2,3分、目と鼻の先の距離だった。店先には提灯がかけられ年季のある木造りの看板に掠れ字で「尾張屋」とあった。なんとも風情のある建物で聞くと創業が信じがたい年号だった。江戸人などよりも京人の方が蕎麦通なのではと考えながら、案内された席へと座り、値段を気にせず注文すればよいと女に伝え、男は天せいろなる蕎麦を大盛、女は同じ天せいろだったが倍盛と聞いた事のない蕎麦餅、蕎麦板盛り合わせと言ったのに耳を疑ったがあえて聞き流した。

運ばれてきた器を見て男は驚いたざるやせいろは丸か正方形が当たり前だと思っていたが、ここは長方形だった。

男は蕎麦の風味を味わうのが好きだ。だから、汁につけてすすり呑み込むのではなく、必ず咀嚼した。蕎麦だけの味と、汁の混ざった味のどちらも楽しみ噛みしめ喉の奥へと通す。方や女は上品に口に運び啜る音も立てず食べて居るようだったが早い。

男が大盛りを食べきるよりも早く、美味しそうに海老天をやはり上品に頬張っていた。「俺の海老も食べるか?」に「ほんま、ええの?、ならおおきに」と少しの遠慮も躊躇いもなく、男の差し出した皿から海老二本を持ち去った。男は全部とは言っていないが美味しそうに食べている笑顔が見られたならと、余計なことを言わず、蕎麦湯を飲んだ。


女が蕎麦餅、板を食べ終え、お互いにご馳走様の挨拶を交わした後、彼女は男へ午後から何処に回りたいのか聞いていた。京都には中学でも高校でも修学旅行で訪れたことのなかった観光地だと男は女へ話し、定番を回って欲しいとお願いした。遠い場合移動には遠慮せずに旅客自動車を使って欲しいことも念を押した。


最初に女が男を連れ立った場所は京都中心街から南東へ電車で凡そ40分の所にある清水寺。女の蘊蓄は観光案内役としても十分稼いでいけるほどではないのかと男は思うが聞いているだけで質問はしない。男は案内された舞台から見える高さの景色を感嘆するとともに手すりの下の地上を見て、この場所から飛び出せば死ねるのだろうかとも考えた。

それから徒歩で産寧坂、二寧坂の古都ならではの街並みを経由して祇園祭の祭主である八坂神社を参拝し、花見小路を通って祇園四条で旅客自動車を捕まえ、東山慈照寺通称銀閣寺を目指した。男は女の説明で金閣寺や銀閣寺が正式名称でない事を知らされる。銀閣寺の後は金閣寺、正式名称の鹿苑寺のある西側へ向かう途中にある京都三閣のもう一つ飛雲閣という場所にも立ち寄った。飛雲閣とは西本願寺敷地内の一角にある楼閣の事だった。

金閣寺を見学した後、二人は東映太秦映画村へ向かいう。男は時代劇や特撮に興味はなかったが、歴史的風情は好きだったゆえ、敷地内の建物に感慨し思いに耽る。女が案内する観光地もあと二つ。二人は京福嵐山本線に乗車し嵐山を目指した。

男は出入り口の扉を背にして、反対側の扉の外の風景を徐に目をやっていた。そして女はその遮光眼鏡男の佇まいを組んだ両手の人差し指と中指の間に軽く顎を乗せながら凝視していた。「なぜ俺のほうを見る」と遮光眼鏡内の視線も首の位置も変えず、淡々と「うちの視線の先にお兄さんの顔があるだけや」の言葉に男は馬鹿らしいと思い背にしている側の扉に体を回し、そちらの窓から見える遠くの風景に目を流した。そんな態度をとる男へ口を可愛らしく家鴨にし、にこやかな表情で顎に充てていた指を男の背中に突き刺し、「ほんまぁ~にいけずなおひとやねぇ」と不満色を乗せる事もなく小声で呟いた。

ここに来るまで女は何度も男の名前を聞いたが男は教えなかった。そして、純真無垢な女は偽名を使うことなど頭にもなく、本名を伝え自身を呼ぶ時は苗字でも名前でもどちらでもよいから名で呼びかけて欲しいとお願いした。だがしかし、男はそれに答えなかった。女が名乗っても覚える必要などないの一言で切る。男女関係なし、こんな男とずっと一緒にいたら普通なら鬱憤が積もりに積もって一緒に行動するのも嫌気がさすだろうし、喧嘩にだってなりかねない態度だ。だが、この男と一緒にいる女の忍耐力が強いのか、はたまた純粋無垢であるがゆえに男の無碍な態度など大海に流れる川の水の如く飲み込んでしまうのか、慈悲深い菩薩の事く、どんな受け答えをされても優しい笑みを絶やさなかった。

仕事で心が折れる前は男はこれほど不愛想でもなかったし、人付き合いはよかった方だ。男は理解している今の自身の女に対する態度が正しくないことも、自身の対応に不満一つ見せない女に感謝している。だが、男は口にしない、それは・・・、未練につながるから。


終点の嵐山駅から降り、渡月橋を渡りる前に、竹林小径は絶対見るべきだと、手を引かれ駅から北上し南天龍寺嵐山と書かれた碑石の小道から西へと向かった。駅から凡そ12分で目的の場所へとたどり着き、黄昏時に近い自然の明暗と竹林を灯す人工の照明が作り出す幻想的な風景に男の記憶の裡にある何かの映像と重なり、強い印象を彼の心に残した。


それから、元来た道を戻り嵐山駅まで引き返すと、今度はそこから南下し、渡月橋が掛かる桂川を目指した。途中何度も休憩を入れるがそれと同じくらいの数、男は女に歩き疲れていないかと少しだけ気遣いを見せていた。それに対しての女の返答は歩くのは好き、苦ではないと朗らかに口にしていた。嵐山公園中之島を一度も立ち止まらずに一周し、渡月橋の中間まで戻ってきたときは夜19時を回っていた。

男は両腕を組んだ状態で欄干に乗せ、意味もなく川底へ視線を落としていた。女はその隣、欄干を背に男とは反対方向の嵐山の方角を見ていた。そして徐に

「なあ、名無しさん、うちの観光案内、楽しんでくださいましたん?」

名前を教えてくれなかったからずっとお兄さんを代名詞に使っていた女は悪戯で名無しさんと言うが男は気にせず返答した。

「なぜ、そんなことを聞く?」

「そな決まっております、名無しさんほんま、楽しそうな笑顔見せてくださいまへんし」

「ほおぉ、サングラス越しの俺の表情がわかるのか?其れは凄い」

「笑うときは口元だって変わりますやろ、もぉ。それに全然素顔をみせてくださいまへんし」

「それは君が見たいといわないからだろう?」

「でしたら見せてくださりますぅの?」

「言ったからとて、俺がそれに答えてやる義務はない。不男の顔など見たら、君の整った顔が台無しになるだけだ」

「このひと、ほんま、ほんまに超いけずやわぁ、そなら、義理はあるんやろ?なっ、なぁ」

「それもないな・・・、」男は腕時計をしていない。携帯端末で時間を確認すると

「ここまで観光案内してくれて有難う。夕食をご馳走したいのだがどうだ?」

「お兄さんから振ったことやのに話そらしはったぁ」

女は遮光眼鏡をとることはないのだろうと悟り、是非連れて行きたい所があると先に歩みだす。

旅客自動車で京都市内まで戻り、更に鴨川方面へ向かう。日中訪れた花見小路付近に到着していた。そこで下車し、彼女の向かう先に従うと長い塀の先に入り口が見え、灯った提灯でその場所を示していた。表玄関には何も書いていなかったら、そこを潜り抜け、本館入り口につくと看板に「緑翠楼」と書いてあった。

入り口にいる客案内人が女を見ると近づき、「お嬢様、おかえりやす」と口にしていた。男は耳を疑ったが、察しはついた。女は奥の特別室へ案内するように伝えると男を残し、建物の奥へ消えていった。

案内人に連れられ部屋に入ると用意されていた座布団に胡坐をかくように腰を下ろした。しばらく待つと現れたのは女ではなく料亭の支配人であり、板前長の女の父親だった。その父親は丁寧な物腰で頭を下げ、宵山の際に娘二人が世話になり、迷惑をかけた事を謝ってきたのだ。

それに対して、男は今日も含めて世話になったのは自分のほうだと言い、頭を下げるのを辞めて欲しいと伝える。少し緊迫した空気の中で廊下を走り抜ける音が聞こえると板前長の脇をすり抜け男に抱き着くように体当たりをする影があった。

「あにたぁ~~~ん!!」と嬉しそうに叫ぶのは女のあの妹だった。そしてその妹は「あにたん」を連呼しながら男の肩によじ登り、その場所を占拠した。

客として招かれたその男に失礼をする次女に肝を冷やし、謝罪を連呼する父親は娘をどかそうとするが嫌がる次女だった。

男は動じなかった。怒ってないし、次女が飽きるまで好きにさせればよいと。父親は次女の行動の抑制を諦め、頭をもう一度下げ、料理に腕を振るって出すので楽しみにしてくださいと言葉を残し、厨房へ向かった。

料理が運ばれてくると肩車されていた幼女は男の肩から降りて対面に座って男をのぞき込んでいた。幼女の片手にはなぜか遮光眼鏡があった。流石に年下すぎるその娘を男は睨むことも、叱りつける事もできなかった。

男はMieTを取り出し、この店を検索した。ミシュラン料理案内二つ星だが三ツ星店にも引けは取らないようなことが書かれていた。

料理を運んできたのは女中姿の長女だった。当然その女もその男の素顔を見ることができた。素で強面で瞳の色が日本人では珍しすぎる蒼色だった。

その瞳の奇麗さに動作が止まっていた女に男は配膳を促した。言われて手を動かしながら、食前酒と小鉢九品の説明をしたのち妹の隣に座り、男の顔を眺めた。

男は頭を掻き、頂きますと口にしてから食前酒である梅酒を飲み干し、中の甘酢漬けの小梅を嚙み、種を器の中に吐き出した。どれもが器と中の料理の調和がとれており芸術的な趣があった。赤かぶの酢の物、鰊の昆布巻き、切り干し大根、ほうれん草の胡麻和え、牛蒡だけのきんぴら、黒豆、出汁のしみた生麩、そら豆の煮凝り、白菜と胡瓜の浅漬け。どれもが一口分しかないので食べるのが遅い男でも直ぐになくなってしまった。頃合いを見て女が次に運んできたのは刺身九品の盛り合わせと、夏野菜の天ぷらだった。刺身は、鯛、鮪、鰹、かんぱち、鱒、白魚、帆立、平目、生うに。天麩羅は茄子、玉蜀黍と枝豆のかき揚げ、とまと、おくら、茗荷、冬瓜。

食事を誘ったはずの男は自分だけ食べている事に違和感を覚え、途中で動かしていた箸を止め、女に食事はしないのかと尋ねると「ごいっしょしてほしいぃん?」と男にとってどう返答してよいのかわからない言葉が戻ってきたので、止めていた箸を再び動かした。

出された料理を食べきると次の物を運んできた女が戻ってきて品目を口にしながら配膳し、眠りかけている妹の頭を撫で、その隣に座って男が食べ始めるのを待った。

高野豆腐、黒胡麻豆腐、絹ごし豆腐の厚揚げの豆腐三種と牛肉の時雨、豚の角煮、鯛の煮餡かけの三種。それが終わると近江牛の鉄板焼き、鱈の西京焼き、鴨のつくねの焼き物三種、近江牛の京風鋤焼き、鱧のお吸い物、軍鶏肉の小ぶり親子丼、最後に氷菓子が来て締めとなった。

男は最後になりうる夕食が今まで食べてきた中で最高の食事であった事に感謝し、ご馳走様の言葉を表現した。

女が片付けに戻っている間に男はもう必要のない一万円札を財布から取り出し、完全に寝入ってしまっている幼女の服の隙間に折り畳み差し込んだ。男が支払いを望んでも受け取らないと算段したからだ。たとえ会計があったとしても電子通貨や現金以外の支払い方法もできることは移動する際会計口にあった絵記号で分かっていたのもある。男は外されていた遮光眼鏡を掛けなおすと、いつでも外に出られる準備をしていた。賄い飯を食べて、着替えてから戻ってきた女に会計の話をするとやはり受け取れないと。

料亭と自宅を兼ねていない事を知ると男は見送ろうかと言うが両親と一緒に帰宅するらしかった。男は料亭の外で女と別れることになった。別れの際、女は

「また、京都に遊びに来ておくれやす」と男に向かって声をかけた。

男は振り返らず、右手を上げそれを振るだけだった。

振り返らなかった男の心には何か今まで感じた事のない暖かさがかすかに存在していたの。しかし、今まで恋愛経験などしたことのなかった男にその込み上げてくる感情が何なのか理解できるはずもなく・・・。

去ってゆく男のその手ぶりの意味に何が含まれていたのか、女はそれをどう受け取ったのか、すべては闇の中に飲まれていった。

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