第4話 宵 山、夜の賑い

16日、男は早朝、誰もいない温泉で静かに湯浴みを堪能し、夕方18時頃まで旅館内で時間を過ごすとまだ完全に日が沈み切っていない外に出て、祇園祭の最も賑わう四条通りを目指した。そこに向かう街道も人で混雑していたが、四条通りに近づくにつれ人の歓声も囃子や太鼓の音も今まで通ってきた街道よりもより鮮明で熱狂的で、ああ、盛大な祭りなのだと克明に意識してしまうほど男にとっては新鮮な体感だった。


四条通りに出たときにあまりの人込みに良い意味で唖然とした男は人波に流されないよう自身の立ち位置を確保しながら前に進み祭りの景色や人の流れ、心地よい騒音を観察した。


夕暮れに馴染むよう生える駒形提灯が彩られた山鉾と呼ばれる山車が一定の間隔にその存在を誇示し、『コンチキチ』囃子と太鼓が人々を祭りの幻想へ誘っていた。

男は山鉾毎に立ち止まり、その作りや彩の違い見ては感嘆を零し、ゆっくり先へと進んで行く。


それは何台目かの山鉾を見学しているときだった。男は自身のズボンの脹脛当たりの生地を引っ張られて居る事に気付き、犬猫、動物か何かが悪さしているのだろうと振り払おうと後ろを向くが現実から目をそらすように再び前を向いた。

男は考えた。どうすべきか。ズボンを引っ張っていたのは年齢不詳というより見た目で年齢がわかるほど男はそういう事に聡くない。ただ、勘で小学生以下である事は認識していた。人生捨てて祭りを最後にと思い京都に来たのだ。人と関わるのは男にとって不本意。浴衣を着たその子供を振り払いその子がさらに迷子になろうが男には関係がなかった。だが男の性根は優しい。

男はその子供と同じ視線になるようしゃがみ込み「迷子か?」と尋ねると、遮光眼鏡越しで視線すら合っていない。子供はその男に物怖じもせず首をかしげて不思議そうな表情をした。迷子等言葉を知らないのかと男は判断し、自身の額をさすり思案する。下手な行動は警察沙汰になりかねない。しかし、こうも考えた冤罪で捕まっても冤罪を苦にと理由で刑務所の中で首をくくってやってもよい。どうさ、男の最終目的は死なのだから。

男は思考の整理がつくと子供を肩車した。高い視線になった子供は肩車が初めてのことだったのか嬉しそうにはしゃぐ。

男の考えはこうだ、高い位置に子供がいれば探し相手も見つけやすいだろう。更に男は周囲を見回し、祭り警戒のための出動警察官を探した。民間警備会社の警備員もいるため見間違わないように探し始める。両親、あるいは片親が子供を見つけるのが先か男が警察に届けるのが先か、それとも誘拐と勘違いされ連行されるのが先か、男は歩き始めた。


男が場を移動して一分も経たない裡に今度は半袖上着の背中当たりの生地が強く引っ張られる。男は振り向かなくても勘付いた、肩車している子供を探している誰かだと。振り返り男が声を出すよりも早く、子供と服を引っ張った相手が同時に「おねえぇたん」、「おきゃくはん?」と全く意思の疎通の取れていない声を出していた。

男は眉間に皺を寄せ遮光眼鏡越しに訝し気な表情を作り視線の相手を見るが記憶にない女だった。肩車している幼女と似たような柄の浴衣に長い髪であろうそれを後頭部あたりで綺麗に纏め簪差し、容姿端麗と形容してもよい人物だった。その様な人目を引くような記憶に残るだろう印象の女だが、やはり、男の記憶の内にはなかった。

男はその女に「人違いだろう」と言いながら肩から目の前の人物を姉といった幼女を下ろし引き渡そうとしたが、肩から降ろされるのを嫌がるそぶりを見せた。

妹のその態度に困惑しながら姉らしき人物は和菓子茶屋でお茶をこぼしてかけてしまった店員だと告げる。客商売だからという訳ではないが人覚えは良い方だとも口にした。何よりも男は特徴的な遮光眼鏡をかけていたため余計に印象に残っていたとの事。そして、今も夜だというのにそれを掛けていた。見間違うはずがないらしい。

男はその昨日の出来事を思い返してみるも、店員目当てで訪れた分けでもなので記憶にとどめていなかった。そんな過ぎたことよりも今、肩に乗せている妹をどうにかしてくれないかとその女に伝え、姉が妹を説得するが離れたがらない。姉は男に謝ろうと仕草をするが、こんな往来で頭など下げられると人目を引くと思い行動を手で制し、「俺は旅行者だ、祇園祭を全然知らない。君の妹が肩車を飽きるまで観光案内してもらいないか?通りの露店でほしいもの食べたいものがあったら言ってくれ観光案内料として俺が出す。どうかな?」男の言葉に女は表情を華やかにし「お任せとぉくれやす」と口して手を差し出した。手を握れというのかと男が尋ねるとにこやかに軽く頷く女。男はそんなことする必要はないと返すと迷子になったらあきまへんよ、元の木阿弥や、と言って、ためらっている男の手を取り歩き始めてしまった。

しょうがなしと諦め男は握り返す力を入れず従うように歩調を合わせた。


女は祭りの歴史や各山鉾の前に止まるとその名前やどこの町内会管轄だとかを楽しそうに言葉にしていた。大した記憶力だと男は感心するが一度聞いたくらいで覚えられそうもないので相槌をしながら聞き流すしかなかった。

通り行く先々のお勧め屋台の食べ物、男は遠慮せずに食べればいいの言葉通り、女の外見とは裏腹にあれやこれやと胃の中に収めてゆく。小気味の良い食いっぷりだった。


21時を回った所、最後の山鉾の駒形提灯を見納めに人通りのそれなりにまばらなところに来ていた。そして、また女は男に謝ろうとするが男はやはりそれを制す。女が頭を下げるような原因をつくった妹は意味を理解できず男を見ていた。

男は近場の自動販売機で水を2本ほど買いそれを頭に流し汚れを落とす。男はそうなることが分かっていたから怒りはしなかった。

そもそも男が仕事を辞める切っ掛けになった役員の言葉に内心、今までないくらいに怒りを覚えたがそれですら表情に出すことをしないほど、感情の多くを表情に曝け出す性格でないのだ。

肩車をしている頭の上で幼女も色々と食べていた食い滓やら何かのたれやらが髪の毛に絡みつきべとべとになった手で髪を触られるものだから頭の上は混沌としていた。一本半使い切り水けを払うと残りの水で幼女の手と口の周りの汚れもきれいに流し去った。

女は汚名を返上するのにはどうしたらよいかと思案し始めると、男が祭りの熱気に狂人が出るかもしれないから旅客自動車を呼んでやるからそれに乗って帰れと言った。

女は近くの町内会に両親が居るというとならそこまでは送って男は言いう。幼女は疲れたのか薄目になり、頭が上下し始める。男は幼女を背負うと向かう先を尋ねた。女は申し訳なさそうな表情と感謝の意を同居させ歩み始めた。

歩きながら女は明日の山鉾巡行も当然見に行かれなされはるんよねに言葉に出さず男はうなずくだけだった。

「そないでしたら、明日もうちが案内いたしますよぉ。そのあと市内観光もどうえ?」

男は女の方を向くと「君が俺にそうする義務も義理もないだろう」と淡々と告げると

「もぉ、あるからいってるんよ、ほんま行けずなお人やなぁ。明日、迎えに行くさかい、どこに泊まっているのかおしえとぉくれやす」

 

男は即答でこんな祭りの時期に宿は取れなく野宿だと嘯くと疑う事を知らないのか女はなら純粋すぎる回答が戻ってきて男は本気で困惑し、根負けし、旅館の場所を偽らないで告げた。見当違いの場所を口にしてもよかったのだろうがそれをしてしまった後のことを考えると出来なかったのだ。


ちょうど話が終わった頃に姉妹の両親がいるという町内会寄り合い所に到着していた。男は背負っていた子供を姉へ返すと彼女の挨拶に返事をしないままその場を後にした。


寄合所が見えないくらいの場所まで歩くとMieTを取り出し、地図で宿の方向を確認した。歩いて帰れない距離だと判断すると、心の中で宵山を独りでいるよりも楽しめたことを彼女へ感謝しながら男は案内に従って移動したのだった。

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