第3話 京 都

15日、金曜 東京駅朝8時発ののぞみに男は乗車し京都を目指した。

男は朝食のための軽食類や飲料も、旅行鞄すら持たず車輛に入り、指定席の番号を探すと深く体を椅子の中に沈めた。早朝の為か乗客は男を含めて数人。彼の後ろの席には人はいなかった。

男は誰に気にすることもなく椅子の背もたれを少し傾け、MieTを取り出し、画面を指で操作した。


楽譜に音符が乗ったような絵柄を触ると音楽再生器が画面いっぱいに広がった。

男は通信回線上に個人で音楽映像配信専用の情報処理器を持っているためそこへ接続して視聴を開始した。


男が聞くのは歌曲よりも楽器曲の方が多いようだ。古典から現代の軽音までその幅は広い。目を瞼で覆い、京都へ到着する約2時間ほど耳掛け音響から聞こえる音に耽た。


まもなく京都に到着すると音声案内が耳に届くと男は音楽の再生を止め、下車の準備を始める。手荷物すらない男に準備など数秒のことで焦る必要もなかったが、下車するための扉口まで移動していた。


新幹線が止まり出入り口の扉が開くと一呼吸おいてから男は車両から降り、周囲を確認した。午前10時を少し過ぎたぐらいだったが、駅内は大勢の観光客または地元民でにぎわっていた。


電子会計で改札を抜け、出口を目指す。建物の外に出た時の男の感想は「くそ、暑い」だった。そもそも京都は避暑地でもなく、地形も盆地で夏は当然暑いし、近年は全国的に平均気温上昇しているため、男の感想は当然の結果だった。


更に近年の新型疫病からやっと解放され祇園祭目当ての観光客の増加だけでなく、地元民も景気づけとばかりに押し寄せその熱気が京都市内の体感温度を殊の外上昇させていた。しかも天気は快晴、照り付ける太陽を遮光眼鏡越しに一瞥し、肩掛けの手ぬぐいで額の汗を拭うと男は行き先も決めずに歩き始めた。


街の熱気の煽を受けつつ男は街の景色を眺めながら無作為に凡そ2時間くらい歩き、そして迷子になった。男は中高の時の修学旅行先に京都はなかったため地理を知らない。町の作りが碁盤目状になっていても土地勘も無く、地名と道路の相関がわからなければ自身がどこにいるのかわかるはずもなかった。男はMieTを取り出し、時間を確認するともう少しで13時になる頃だった。宿の記帳受付は15時以降からまだそれには時間がある。MieTから地図情報を開き徒歩で現在地からどのくらいで戻れるのかを検索すると2時間かからないくらいで戻れそうなことを知った。


男は今いる場所を知らないが鴨川という河川北上付近だった。男は休憩がてら少し何か食べようと思い周囲に飲食店がないかを見回しながら歩き始める。

軒先に朱色の野点傘とやはり朱色の毛氈と呼ばれる敷物が掛かっている大きな床几台という名称の長椅子が置かれている店に目を奪われ、男はその店に足を運んでしまった。店先まで来ると日陰に店員が立っており、外と中どちらにするのか聞かれ、男は店内を見るとその人込みから誰もいない外をお願いした。


床几に腰を据えると店員がお品書き帳を開き男へ差し出し、温かい緑茶か、冷たい緑茶かを尋ねてきた。男はお品書きを見たときに選ぶ店を間違えたと悔やむ。なぜなら、選んだ店が和菓子専門店茶屋だったからである。緑茶はよく飲むが生まれてこの方和菓子など口にした事のない男にとって何がいいのか分からなかったからだ。

男は遮光眼鏡越しに眉間に寄ったしわを広げると注文を待っている店員にお薦めの団子1本、よく耳にする本葛餅とお薦めの和菓子三種類を選んで出してくれないかとお願いすると店員は嫌がりもせず笑顔で注文を受け取ってくれた。


人気店なのか中は満席にみられるし、並んで待っている客もいたが軒先の床几で注文したのは男以外いない。出入口が開けっ放しの店でも店内の方が涼しいからだろう。暫くすると普通の湯飲みの倍の高さはありそうな素焼きの器に入った冷茶と一緒に男のもとへ注文した和菓子が運ばれてきた。

団子は湯気が立ち焼き立てだということを示している。団子に掛かっているのは柚子味噌だと店員が教えてくれた。半透明の薄茶色で黄な粉と黒蜜がかかった角形の本葛餅、月見羊羹、蜜柑の実を三日月に見立て白い雲がかかった様子を寒天に閉じ込め羊羹を土台にした二層の和菓子、西瓜の餡菓子、切ると中も本物の西瓜のように真っ赤でしかも種の黒まで表現されている。最後は紫陽花を形にした見るも綺麗な芯が鶯餡で細かい角切りで紫色と桃色の寒天が敷き詰められた和菓子だった。

男は団子以外未知の味を冷えたお茶で口に残る甘みを胃に流し込むように味わった。


すべてを食し終えた男は誰にも分からないような笑みをこぼし満足しながら、お代わり自由な二杯目のお茶を待った。

ゆっくりな仕草でお代わりを男のもとへ運んできた店員の下駄らしい履物が何かに引っ掛かり、盆にのせていたお茶を男の頭の上から溢してしまう手違いを起こしてしまった。ことの次第で慌てて何度も頭を下げ「かんにんえ、かんにんぇ」と繰り返し謝罪する店員へ男は怒りもせず旅先の珍事もまた一興、旅の侘び寂と思いつつ、おしぼりで頭にかかった水けを拭うと「怒こってもいないし、許すから、おしぼりをもってきてくれないか」と淡々と言葉にすると店員は中へ駈け込もうとするも足取りがおかしかった。どうも下駄の鼻緒が取れかかっているようだった。追加のおしぼりで上着の茶のかかった場所をふき取ると会計をお願いした。

会計の際も謝罪と一緒に頭を下げられるが男は頭を軽く横に振り「もう過ぎたことだ気にしないでくれ」と言い残すとその茶屋を後にした。


男はまた周囲を見回して土産物屋を探しそこへ向かうとあまり派手でない半袖を探しそれを購入した。茶渋がついてしまった物をちょうど近くに置かれていた屑箱に投げ捨て買ったものに着替え、端末を取り出し、宿の方角を地図で確認するとそちらへ向かって歩き始めたのだ。


宿泊先の旅館の名前は四季の間三井。到着したのは18時を過ぎていた。旅館での夕食は入れていなかったため到着時間を気にする必要はなかった。男は記帳を終え部屋に案内されると靴を脱ぎ捨て目に入った長椅子に腰を下ろし夕食をどうするのか考え始め目を瞑った。

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