狂っているのは誰なのか

CHOPI

狂っているのは誰なのか

 暗闇の中、ボクは一人。泣いていた。

 そうしたら、泣いているボクを助けてくれた人がいる。

 おねえちゃん。ボクの大好きな人。



 少しじっとりとした湿気の多い真っ暗な部屋。だけどもうそろそろおねえちゃんにそれを伝えれば、『エアコン付けようか』って言ってくれる。もうここ何年もおんなじ会話をしているから容易に想像がつく。ボクのおねえちゃんは優しい。この真っ暗な部屋で顔が見えないのが残念だけど。


 ボクがこの部屋に連れてこられてどれくらいの日数が立ったのか。最初の頃はおねえちゃんに尋ねて何となく数えていたけれど、今はもう昔ってやつ。最近はそんなこと、どうでもよくなってしまった。


 この真っ暗な部屋は外からの音がとても少ない。時折聞こえるのは雨や雷、風が窓を叩く音。それ以外は聞こえてこない。不思議だよね、人の生活音っていうものが感じられないんだ。最初この部屋に連れてこられた時、随分と長いエレベーターに乗ってこの部屋まで来たような記憶は少しだけある。長いって思った理由は耳が“キィーン”ってなって痛かったから。だけどもう、それらは僕にあまり関係のない話。だって僕にはおねえちゃんがいる。そのことだけでもう、他の事はどうでも良いんだ。


 おねえちゃんは料理も上手。ボクはおねえちゃんが作ってくれるご飯はなんでも大好き。鶏肉や豚肉のお料理のほかにも、得意な料理はたくさんあるみたい。たまに同じお肉料理でも不思議な味のするお肉もあるんだ。お肉だけじゃなくお魚の料理も食べたりするけど、より好きなのはお肉料理の方かな。おねえちゃんもそうみたいで食卓に上がる頻度的には7:3くらいの割合で圧倒的にお肉が多い。


 ボクは料理が出来ないからおねえちゃんに頼りっぱなしになっちゃってるけど、それを気にして前に一度謝ったら『そんなこと気にしたことないよ。美味しそうに食べてくれるだけで私は嬉しいから』って柔らかい口調で言われたっけ。


 真っ暗なこの部屋の外に何があるのか。ボクはよくわからない。でもわかる必要も無い気がしている。ボクの生活圏はこの部屋で(もっと正しく言えばこの家の中で)成立しているから、わざわざ知ろうとも思わない。おねえちゃんも別にそこに関して特段何も言ってこないから、ボクはおねえちゃんに甘えっぱなしになっている。



 「さすがに疲れたわ……」

 おねえちゃんが珍しく疲れて帰ってきた。仕事の内容はあまり聞いたことが無いけれど、基本的にふらっと出て行ったかと思えば早いときは数時間、遅いときは数日かかる仕事なのは確かなことだった。そんな時、おねえちゃんからはいつものいい匂いはあまりしない。どちらかというと、火薬や鉄、そして少しの生臭さが鼻を衝く。


 「先、お風呂入ってくる」

 そう言っておねえちゃんはお風呂場へと向かった。おねえちゃんの残り香がこの部屋にまだある。大抵おねえちゃんからこの匂いがしている時、おねえちゃんの声は少しだけ堅い。ボクに気を使ってそうならないようにしているんだと思うけど、隠しきれないものがにじみ出ている。だからボクは気が付かないふりをする。大好きなおねえちゃんのために。



 そんなある日の事だった。おねえちゃんがいつもみたいに仕事に行っている間、いつもならあり得ないはずの数の人の足音が聞こえてきた。それはボクのいる部屋にまで無遠慮に入ってきて『いたぞ、この子だ!』なんて知らない声が叫んだ。同時にボクの身体がふわっと宙に浮き、風を切って部屋の外へと連れ出される。久しぶりに感じた風。光の暖かさ。でもボクはそんなの要らないのに。おねえちゃんが居れば。ボクは何も要らない。


 「おい、その子から手、放せよ」

 聞きなれた声がした。いつもより低くて怒気が強いから一瞬わからなかったけど、おねえちゃんの声だった。

 「は、何言ってやがる」

 知らない声はおねえちゃんの言葉に対してあざ笑うかのような態度だった。おねえちゃんの声のした方向へと顔を向ける。おねえちゃんは『大丈夫だからね』ってボクにだけ向ける優しい声でいつもみたいに言ってくれた。

 「こいつがどうなっても良いんだな?」

 ボクは突然、地面に立たされたかと思うとこめかみに冷たいものを当てられた感覚を覚えた。

 ――カチャリ

 無機質な金属音が耳元でなる。ボクは笑いを堪えられず、明るい声で言った。

 「おねえちゃん。今日の晩御飯。楽しみだね」

 その言葉を聞いたおねえちゃんも、笑った気配がした。



 「しばらく肉には困らないなぁ……」

 おねえちゃんは薄く笑ってそう言った。何かで肉をそぎ落とす音が、いつもの僕らの部屋に響き渡っている。血なまぐささと骨のきしむ音。さっきの人たちの音は、もうしなかった。代わりに周りに転がっているいくつかの塊は、これからしばらくの間、おねえちゃんとボクのご飯になるはず。


 「……いつから気が付いてた?」

 おねえちゃんが僕に聞いてくる。ボクは少し考えた後、こう答えた。

「よく覚えてない。でも、おねえちゃんがいてくれるなら、他はどうでもいい」

 その言葉を聞いたおねえちゃんが一度何かを床に置いた。そしてボクの事を軽く引っ張る。するとボクは柔らかい何かにぶつかった。ボクの背中におねえちゃんの腕が回されたことが気配でわかって、抱きしめられている、と理解した。それをボクは心地いいと思った。



 あのね、ボク、本当は全部聞いちゃった。さっき捕まったあの時、知らない声が『アイツは、殺人鬼。趣味は人肉を食べること』みたいな感じの世間話を仲間としていた。『そのせいで孤独を要されたけど、それに耐えられず、一個だけ弱みがある』――……それが僕の事を指している、そう理解するのは容易かった。


 あの日、暗闇で一人泣いていたボクは、暗闇で生きるおねえちゃんに見つかった。おねえちゃんはボクの異変――……ボクが暗闇で生きていることに気が付いたんだ。だからきっと『この子なら大丈夫かもしれない』って思ったのかも。その勘通り、ボクはおねえちゃんさえいれば他はどうでもいいって、そういうふうに育ったから。



 おねえちゃんとボク。それ以外はもう、何も要らないんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狂っているのは誰なのか CHOPI @CHOPI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説