第25話 鎮魂と忘却の彼方
「私は、いえ、アラザムの神官たちはまだまだ知るべきことが沢山あるようです」
国境の街で馬車に乗りこむと、ジェダイドはゆっくりと口を開いた。図書館で読んだ本により、思うところが出てきた。といったところだろう。だが、あの図書館にもアラザムの黒歴史が書かれた本は無い。なぜなら、あの図書館には
「そうだな、俺様としてもそう思ったからこそお前をあそこに案内してやったんだ。ま、先輩方は帝国との文化の違いを感じただろうけどな」
俺様がそう言うと、ジェダイドは小さく笑ったのだった。
そうして、アラザムに戻ったあと、ジェダイドは当然報告など忙しいわけで、3日間ほど実務で缶詰になっていた。何故か、一番下のはずのジェダイドが先輩方の分まで諸々の手続きをしたらしい。貴族の順序は神殿では痛痒しない。なんてほざいていたからな。ま、俺様には関係の無いことなので、あとでどうなるかなど知ったことでは無い。
「少し休ませてやる」
激務のジェダイドを俺様は隠れ家に案内することにした。
「ここは、アカデミー?」
遠くに見慣れた景色を見つけて、ジェダイドの歩みが止まった。懐かしの学び舎が見える。
「忘れ去られしアカデミー、ってところかな」
「忘れ去られし?」
不思議そうな顔をするジェダイドの手を取り、俺様は大きな木のウロへと進んだ。
「アトレ?」
手を繋いでいるはずの俺様の姿が見えなくなって、ジェダイドが慌てている。まぁ、仕方の無いことなのだけれど、今は説明のタイミングでは無い。俺様は繋いだ手をグイッと引っ張ってやった。すると、ジェダイドはあっという間にバランスを崩して、俺様の待つ木のウロの中へと落ちてきたのだった。
「ひゃぁああ」
なんとも情けない声を出して、ジェダイドは俺様の手を掴んだまま腕の中に落ちてきた。
「そんなに怖がるな。ここは忘れ去られしアカデミーだ」
「忘れ去られし?」
「中央大陸で見ただろう?破壊された闇の神殿を」
「ええ」
「闇の神殿はアラザムの他の国々にはちゃんと存在している。だから闇の神官たちがちゃんと集まったわけだ」
「はい」
「この国だって、かつては闇の神官がいたよな?」
「……そう、ですね」
ゆっくりと歩きながら、ジェダイドは落ち着きを取り戻し、辺りの様子を確認していた。この冷静さがジェダイドのいいところだ。
「つまりは、アカデミーにだって闇魔法の研究をしていた教授たちがいたわけだ」
俺様はジェダイドの手を掴んだまま、ゆっくりと歩く。ここはかつてアカデミーの廊下だった。その先には広い講堂があった。そこまで来て、俺様はようやくジェダイドの手を離した。
「ここは……広いですね。講堂、だった場所、ですね?かつてはここで闇魔法についての講義が行われていた?」
「正解」
俺様は教壇に立ち答えた。
「闇の神官がこの国から逃げ出した時、当たり前だがアカデミーで闇魔法について講義をしていた教授たちも逃げ出した。闇の神殿が破壊されたから、自分たちの身にも危険が迫っていることを察したんだろう。だが、教授たちは自分たちの研究の成果を全て持ち出すことが出来なかった」
俺様がそこまで言うと、ジェダイドは察したらしい。
「封印」
「正解」
俺様はゆっくりとジェダイドに近づいた。
「ここには闇魔法の研究をしていた教授たちが鎮魂と忘却の魔法をかけた」
「鎮魂と忘却」
ジェダイドはゆっくりと辺りを見渡して、どこが遠い目をした。
「疲れが取れるだろう?」
俺様がそう言うと、ジェダイドは一瞬どこか遠い目をして、それから小さく頷いた。
「こっちだ」
ジェダイドの手を取り、俺様は慣れた足取りで講堂を出て再び廊下を歩く。かつては大勢の生徒や神官、教授たちが歩いていたことだろう。だが、今となって忘れ去られし古代の遺跡である。
「ここが俺様の隠れ家だ」
かつては誰かの研究室であったであろう部屋。魔力の流れが良いからか、部屋の中のすべてのものが500年も時を経ているとは思えないほど美しい状態で存在している。だからこそ、ここに大切なものを隠したのだろう。
「さ、座れよ」
ジェダイドをソファーに座らせると、俺様は大好きなコーヒーをいれた。香ばしくかぐわしい香りがなんとも言えない。いれたての一口を口に含めば、頭がすっきりするものだ。
「なんですか?それは。なんとも言い難い、独特の匂いがしますが」
王国きってのお坊ちゃま、光の神殿の神官であるジェダイドは、閉鎖的なアラザムらしい生活を送ってきたから、異文化の飲み物を知らないらしい。まあ、帝国に行った際、あえて教えなかったのは俺様なんだけどな。
「眠気覚ましだ。鎮魂と忘却の魔法はどうにも眠たくなるからな。耐性がないやつはそのまま何もかも忘れて眠っちまうんだぞ」
俺様はそう言いつつ、コーヒーの入ったカップをジェダイドに渡した。熱々のコーヒーが入っているから、俺様も渡し方には気を遣う。
「独特の匂いがします。ですが、確かに眠気はなくなりそうですね」
熱さを感じたからなのか、ジェダイドはフーフーしながらゆっくりと一口を口に含んだ。
「んっ」
カップを両手でつかんだまま、ジェダイドが硬直した。唇を真一文字に引き結び、両目が泳いでいる。
「もしかして、苦いのか?」
俺様がそう質問すると、ジェダイドが頭をゆっくりと上下させた。
「飲み込めないのか」
思わず口の端が上がってしまったのは、許せ。なんともかわいい反応をしてくれたものだ。俺様は手にしていたカップをテーブルに置くと、ジェダイドの顎に手をかけた。
「しかたのないやつめ」
そう言って、俺様はジェダイドの口の中にあるコーヒーを吸い取った。もちろん、口の中に残る苦みがあってはかわいそうなので、舌を使って綺麗になめとることも忘れない。
「ほら、取れたぞ」
口を離してそう言ってやると、ジェダイドは大きく目を見開いて耳まで真っ赤になっていた。苦みが苦手なことはなにも恥ずかしいことではないんだけどな。
「あ、あ、あの」
ジェダイドが口をパクパクとしているのがなかなか面白かったが、いじめるのも何なので、俺様は笑ってジェダイドの手からカップをとった。
「ちょっと待ってろよ」
帝国ではカフェなんかでも提供されている、牛乳と砂糖を混ぜてやる。この空間は鎮魂と忘却の魔法がかけられているから、物が腐ることがないのが大変便利である。
「ほら、これなら飲めるだろ?」
そう言ってカップを渡せば、ジェダイドは黒から茶色に変わったカップの中身を見つめ、甘くまろやかな匂いに変わったことに気が付いたのか、ほほ笑んで口を付けた。そうして嬉しそうに飲み込んでいく。
「とてもおいしいです。アトレ」
「そいつはよかったよ」
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