第18話


「ここが下宿屋というのですね」


 侯爵家の次男坊なだけに、ジェダイドはいわゆる風呂なしの安アパートに興味津々であった。内階段であるから歩けば木の軋む音がするし、誰かが乱暴に扉を閉めれば壁が揺れたりもする。


「いつも夕飯はその辺の食堂で済ませるのだが」


 俺様がそんなことを口にすると、ジェダイドはとても驚いた顔をした。おそらくその辺の食堂なんてものに縁がなく、外食するなら予約をしてレストランとなるだろう。


「ご一緒しても?」

「やめておけ、貴族のおぼっちゃまが市井の食堂なんか似合わねえよ」

「興味があるのです」


 キラキラとした目で言ってくるジェダイドを、俺様はどうあしらうか考えた。まあ、そんなに難しく考える必要はない。


「今日はダメだ」

「なぜです?」

「外出の許可を取っていないだろう?」


 俺様がそう言えば、ジェダイドはすぐに俯いてしまった。放課後、学生街と言われる場所には制服を着たままの学生がうろちょろしてはいるが、寮生はもれなく夕食の時間までには帰っていくのが通常だ。


「それは、そうですが」

「だから、食堂でメシが食いたいなら、ちゃんと手続きをしてからだな」

「わかりました。いつなら、いつならお時間をいただけますか?」

「は?ああ、そうだな……」


 俺様はぐるりと部屋の中を見渡した。大したものはない。下宿屋であるから、備え付けのタンスに机にベッド。壁の一面はご丁寧に本棚で、歴代の使用者が使わなくなった教科書やら辞書などを置いていくからなかなかの数の蔵書がある。そんな中に闇の神官の神書を置いているのだが、闇の神官が存在しないアラザムでは、その神書の意味すらわからないのだろう。


「週末にしてくれると助かるのだが」

「週末、ですか」

「実家にでも帰るのか?」


 侯爵家のタウンハウスがあることぐらい知っている。利用しているのは宰相である父親だろう。領地を管理するために、上位貴族の夫人はタウンハウスに滞在していないものだ。


「いえ、領地には長期休暇でしか戻らない予定です。年の離れた兄がおりまして、タウンハウスにいるものですから」

「そこに帰る約束か」

「連絡を入れておきます。友人を作ることを勧めたのは兄なのですから」

「……友人」


 どうやら俺様は、知らぬ間にジェダイドの友人とされていたようだった。


「だったら尚更だ。俺様が後ろ指さされないように手順は守ってくれ」

「わかりました。…………アトレ、さん……」


 そう答えたジェダイドの顔は何故だか赤かった。


「なんだ?俺様が年上なのは確かだが、友人と言うのなら呼び捨てでかまわんだろう?ジェダイド」

「……っ、はっい」


 ジェダイドは返事をしたが、その目はどこか定まってはいなかった。


「あー、道がわからんだろ?ちょっと着替えるから待ってくれ」

「え?着替え?着替えるのですか?ここで?」

「この部屋しかないんだから当たり前だろう」


 俺様は制服を脱ぐと、さっさと簡素な服に着替えた。日が落ちれば気温が下がるため、軽めの上着も忘れない。


「そ、そのような服を着るのですね」

「一般的なもんだろ。縫製が簡単で簡素な作りだ。安くて丈夫なのが一番良い」

「そうなのですね」


 ジェダイドは俺の着ている服をじっくりと眺めていた。ボタンの付いていない服などあまり見かけないのだろう。貴族の服はとにかく飾りやボタンが多くて一人で脱ぎ着するのに向いていない気がするが、学校の制服はそこそこボタンが付いていて、朝の身支度が面倒なんだよな。


「この制服なんか、俺様慣れるまで時間がかかったもんだ」


 そう言ってジェダイドの制服の襟を摘んだ。


「慣れる、とは?」


 貴族のジェダイドにはわからないだろうけど、シャツにはボタンがやたらとあるし、ジャケットにもボタンがある。全部止めないと見た目が悪いため着替えは時間がかかって大変なのだ。なにせ、神官の服にはほとんどボタンがないからな。帝国の学校ではほとんどローブを被っていたから、こう言った服は着慣れていないのだ。


「冒険者をしていたからな」

「ああ、そうでしたね」


 俺の作った設定をジェダイドは素直に信じているのだ。ジェダイドだけではない、学校関係者も全員信じているのだ。なんとも恐ろしいい話しだ。そもそも、誰もが俺様の体に魔法がかかっていることに気づかなことも恐ろしいのだがな。

 そんな約束をしたからなのか、翌日からジェダイドは今まで以上に俺様のそばにいるようになった。おかげでますます誰も近寄ってこなくなったけどな。


「こ、これでよろしいでしょうか?」


 週末、俺様と食堂に行くにあたりジェダイドは簡素な普段着を考えたのだろう。わざわざ俺様を寮の入り口で待たせたのだ。学生街の入り口で待ち合わせでよかったのに、俺様にダメ出しされるのを恐れた様だ。


「良いんじゃないか?色合いも地味で」


 ジェダイドなりに考えたらしい服装は、薄い茶色のシャツに、黒のズボンだった。長く伸ばされた金髪は、後ろで一つに束ねられていた。生地の良さがわかってしまうが、学生街であるから治安はそこそこいい。それに、どこからどう見ても高位貴族のご子息にしか見えないジェダイドにわざわざ絡んでくるやつはいないだろう。学生であれば、有名人のジェダイドの顔ぐらい知っているだろうしな。警戒すべきは安酒を飲んだ酔っ払いだな。


「こ、この間、アトレ……が、この様な色合いの服装でしたので」


 ああ、そういえばこの間の俺様の服はまさにこんな感じだったな。纏う色を変えたから、少し明るめの色合いのシャツを買い揃えたんだった。帝国にいた時は真っ黒くろすけだったからな。


「庶民は汚れが目立たない様にくすんだ色を選ぶんだよ」

「そ、そうなのですね」

「クリーンの魔法が使えるやつはそんんいいないからな。それに、庶民の使う食堂にテーブルクロスやナプキンなんてものはないんだよ」

「あ、はっ、はい」


 普段フォークとナイフを使ってお上品に食べているジェダイドには、街中の食堂は難解だろう。何しろ専属の給仕はいないし、仕切りはないし、何より騒がしいからな。

 

「ほれ」


 考えながら歩いていたら、大人と子供、歩幅が違ったらしい。ジェダイドが俺様の後ろを歩いていた。流石にこれは危険なので手を差し出した。貴族のご子息様であるジェダイドは、手を繋いで歩くなんてことはほとんど経験なんてないだろう。俺様の差し出した手を驚いた顔で見ている。

 指先をちょいちょいと誘う様に動かすと、ジェダイドはおずおずと言った感じで手を乗せてきた。その手をぐっと掴むと、大きな目をさらに大きく見開いて、そして小走りで俺との距離を詰めてきた。


「迷子になったら一大事だからな」


 そう言って俺様のそばに引き寄せれば、ジェダイドは潤んだ瞳で俺様を見上げたのだった。

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