第1話 おれちゃまばくたん
強い光が目の前に広がり、その後は柔らかな闇に包まれた。何やら波のような、木々のざわめきのような、草原を渡る風のような、そんな音が耳に届く。俺様は闇に飲まれたのだろうか?俺様の魂は安らぎの地にたどり着いたのだろうか?
優しい闇の中にいるから、きっとそうなのだろう。
温かくて心地が良い。
俺様はゆっくりと眠りについた。
うん?
眩しいな。
疲れたな。
ここはどこだ?
ぼんやりとした視界ではあるが、人が目の前にいるな。しかも、だいぶ近い。こんなに誰かと体の距離が近いのは久しぶりだな。
何か、話しかけられているが、聞き取れない。そうか、俺様は生まれ変わったのか。だから言葉が聞き取れないのだな。赤子の体では、知識はゼロだからな。生まれ変わるまでどれくらいの時間がかかったか知りたいところだが、魂の記憶とこの体が上手く融合しないと、理解する頃には俺の記憶は消えてしまうだろう。まぁ、それでも、問題はないけどな。
「ぁぁあん、ふぁぁぁん」
うん。なんて、か細い鳴き声なんだ。子猫の鳴き声に似ているな。こんな、弱々しい鳴き声で気づいてもらえるのか?多分、俺様は腹が減っている。だから余計に鳴き声も小さいのだろう。
やたらと周りに人がいる。家族とは思えない量だ。聞こえてくるのは、若い感じの女の声と落ち着いた感じの女の声。俺様を抱き上げて移動し、ソファーに座る相手に手渡す。そうすると柔らかくて温かい腕に抱かれ俺様はおっぱいを貰えるというわけだ。
うん、多分これは乳母だな。
俺様は貴族の家庭に産まれたのか。しかもなかなか金持ちだな。使用人の数がやたらと多い。ぼんやりと見える範囲で言うなら、俺様の前世とそんなに時代は、かわらない服装をしている。
そうしてほげほげとしている間に俺様は大きくなった。相変わらず前世の記憶がある。この体が学習してきて知識が増えてきた。話しかけられる言葉が聞き取れるようになった。だが、俺様は喋れない。うん、やはり体は赤ん坊だ。離乳食だと言ってやわらかい飯を食わされる。毎日決まった時間に食わされるから、体はそれに合わせて腹が減るようになった。
穀物をミルクで煮たものは大して美味くない。それよりも果物のペーストが美味い。さすがは貴族の家庭だな。果物のペーストなんて、庶民の家庭じゃ出てこないぞ。
歯が生えてきたら、本当になんだか口の中がむず痒がった。与えられたよく分からん玩具を口にする。うん、こいつを噛むとそれなりに気が済むものだ。座れるようになったら視界が広がった。
そうしてだだっ広い部屋の真ん中に座らされた。うん、間違いなく金持ちの貴族の家庭だ。広い子ども部屋の中にたくさんの玩具がみえる。俺様が座る床には分厚い絨毯が敷かれている。メイドが鈴の着いた玩具を俺様の目の前で鳴らす。それに手を伸ばすとメイドは素直に俺様に玩具を渡してくれた。俺様は嬉しくてその玩具をブンブン振り回した。うん、行動が赤ん坊だ。
そこそこ言葉を操れるようになり、自分の足でヨタヨタとではあるが歩けるようになった頃、俺様は神の食べ物に出会った。
「おいち」
それは前世でも見たことの無い甘いお菓子だった。見た目は茶色くてものすごく地味なのだが、一口頬張った途端、幸せの味が脳天まで一気に届いたのだ。
「あら、ウェンリー気に入ったのね?」
ほっぺたを押さえてあまりの美味しさに見悶える俺様を微笑ましく見ているのは今世の俺様の母だ。金持ちの貴族らしく、上等なドレスを身にまとい、明るい栗色の髪をゆったりと結い上げている。
メイドが俺様の前にそっとカップを置いた。淹れたては熱いからな、少し温くなったのを置いてくれたというわけだ。
「ありあと」
俺様はお礼を言ってからカップを手にしてお茶を飲んだ。口の中の幸せな味がお茶によって対流する。鼻から抜けるお茶の香りがまた良い。温くなっても上等なお茶は美味いものだ。
しかし、俺様喋るの下手だな。
この頃になって、俺様はようやく家族を見ることが出来た。さすがは貴族なだけあって、普段はほとんど家族と顔なんて合わせない。食事の時に合わせる程度で、日常はバラバラに過ごすのだ。俺様はまだちびっ子なので、食事以外は部屋から出ていない。頑張ってテラスに顔を出すだけだ。運動不足になんてなりそうもないほどに部屋が広い。遊び相手がいないのに、一人で部屋の中を駆け回ったりしている。
自分の行動が謎だ。
何が楽しいのだろう?けれど、本能なのか玩具を手にして走り回ってしまうのだ。今日手にしているのは馬のぬいぐるみだ。馬を走らせているつもりなのかもしれない。
その後は乗馬の真似なのか、タイヤの着いた木でできた馬のおもちゃに跨りまた部屋の中を移動する。うん、これは楽しいぞ。
休憩にはメイドが果実水を飲ませてくれる。そうして乳母が絵本を読んでくれて、そのままお昼寝だ。目が覚めれば母親と楽しいおやつタイム。母親がお茶会などに参加して不在な時は、乳母とおやつタイムだ。随分と緩めだが、お作法を教えられている。まぁ、回りに不快な印象を与えないようにと言う程度だ。
うん、貴族って大変だな。
「ウェンリー、今日はあなたに大切なお話があります」
何やら母親がかしこまって言ってきた。貴族の習慣なんて何も知らないからな、俺様。この年でなんかやらかしたかな?
「あい、お母しゃま」
俺様は精一杯かしこまって返事をしたのだが、噛んでる。いや、舌っ足らずだ。
「……っうん」
そんな俺様を見て母親が軽く咳払いをした。うん、ダメか?俺様の返事の仕方。メイドが母親の傍に立ち何やら囁いている。
「ウェンリー、明日からあなたに家庭教師が付きます」
「ひゃい」
驚きすぎて、今度は変な声出た。
家庭教師?家庭教師だと?こんな、ちびっ子に?いや、貴族だからか、こんな、小さい頃から勉強するのか。面倒なことだ。
「いいですか、ウェンリー。あなたは五歳になったら城に上がらねばならないのです」
「ちりょ?」
うわ、また変な声出た。てか、城に上がる?なんで?驚きすぎてちゃんと言えてないぞ俺様。
「ウェンリー、あなたが生まれた時、光魔法の使い手であるジェライド様が仰ったのです。闇の色をまといし子は5年後に自分の元に連れてくるように。と」
「ふぇ?」
なんだって?
ジェライドだと?
まてまてまてまて、ジェライド生きてんの?じゃあ、俺様ってばほとんど時間かけずに転生してたわけ?そいつぁ、すげぇや。
「我が侯爵家として送り出すにあたり、無作法は許されません。今から貴族としての嗜み、教養を身につけなくてはならないのです。ジェライド様を不愉快な思いにさせてはいけませんからね」
「やでし」
俺様は脊椎反射で答えた。
断る!
冗談じゃねぇぞ。なんだって、今世までジェライドのやつに関わらなくちゃならないんだ?ジェライドに会うために家庭教師と勉強するだと?そんなもん要らねぇ。断固拒否だ。
「ウェンリー、口答えは許しません、よ」
「いやでし、お母しゃまと、いっちょがいいでし」
カミカミだな俺様。
いや、しかし、俺様ってば闇の色を纏ってたの?髪か?あんまり長くないんで時折視界の端に見えるんだけど、黒いのか?つーか、俺様の部屋鏡なくね?よく考えたら、俺様今世の自分の姿知らねーわ。闇の色を纏っていたら、そりゃヤベー奴じゃん。普通誰も近寄らねぇだろ?
「……くっ、ダメです。ぅ、なりません」
うん?母親はなんだか歯切れ悪ぃな。これは押し切ればなんとかなるパターンか?って、思っていたらまたメイドが、母親の耳元でなんか囁いている。
「ウェンリー、きちんと家庭教師の授業を受けなければ、今後このお菓子は食べさせませんよ」
母親は、ビシッと皿の上に乗る菓子を指さした。って、この菓子だと?こいつを食べさせない、だと?俺様の前世と今世合わせてナンバーワンな程に美味いこの菓子を?
「ちどい!ちどいでし母上」
俺様は精一杯抗議した。
ちびっ子におやつは必要不可欠だ。それを取り上げるだなんて、あってはならん事だ。
「お菓子が食べければお勉強を頑張ればいいことです。明日からおやつはお勉強の後にします。いいですね?」
「ふぇぇぇぇ」
俺様の口から空気が漏れるような情けない声が出た。それはもう、絶望しかない。
そこでようやく俺様はゆっくりと回りの様子を伺った。俺様が闇の色を纏っていると言うのに、メイドたちは誰一人として俺様に嫌がらせをしてこなかった。うん?この国は光魔法至上主義だからな。闇を纏いし者なんざ下の下の下って扱いで、産まれたら即死亡って、しちまうほどに忌み嫌ってるはずなんだが?
目の前に座る母親は、なんだかんだと言いながらも俺様に向かっては優しく微笑んでいる。横に居るメイドが、またなんか囁いてるぞ。
「ウェンリー、返事がまだですよ」
うう、このメイドは俺様が嫌いなんだな。厳しくできない母親に指図してるんだ。くそう、俺様付きではなく、母親付きに敵がいたということか。
「え、ちょ、がんばりましゅ」
「……っ、よろしい」
いちいち母親が言葉を溜めるのは、おそらくだが、うっかりすると俺様に罵詈雑言を浴びせちまいそうになるからか?うん、それなら納得だ。家族と食事の時にしか顔を合わせないのも、俺様が闇を纏いし者だからだな。
あのジェダイドのお触れだから、破る訳にはいかないってことなんだろうな。貴族の矜恃ってやつで俺様を育ててるんだろう。乳母やメイドは相当厳選したとみた。
しかし、俺様今世はどんな姿してるんだ?急に興味が湧いてきたぞ。しかし、俺様の部屋には鏡がないからなぁ。どうしたものか。
ん?
あ、鏡あるぞ。
食堂に入る手前のホールだ。
身嗜みのために設置されてるやつだ。俺様ちびっ子だから、食堂にはメイドに案内されて扉を開けてもらってるから、寄り道なんてしたことないんだよな。うん、今日は寄り道してやろう。っても、ちょっと壁際にいくだけだけどな。
「ウェンリー様、ディナーのお時間にございます」
しかし、貴族は面倒臭い。なんで家族と飯食うのにいちいち着替えなくちゃならなないんだ?ヒラヒラの付いた白いシャツなんて、汚すフラグしかたたねぇだろう。くそう、お行儀良くしないと服を汚して怒られるパターンだ。
俺様はいつも通りにメイドの後について廊下を歩く。そうして食堂までたどり着いた時、係の者が扉を開けるのを待たずに壁際にある鏡へと突撃した。
「ウェンリー様っ」
俺様が突然走り出したから、メイドが慌てた。逃げ出すのかとでも思ったのか、扉に手をかけていた侍従まで俺様の背中に手を伸ばしてきていた。
が、俺様はそれよりも早く鏡へとたどり着いた。
「こ、これがぼきゅ」
あ、またかんじまった。ちょっと興奮し過ぎたな。
まぁ、しかしあれだな。
予想してなくもなかったけれど、今世の俺様、前世と同じ色じゃねーか。すげーな。こんな俺様のこと、良くもまぁ育てる気になったもんだよ。言いたかねぇけど、ジェダイド様様だな。あいつのお触れがなかったら、俺様生まれた途端に即終了だったな。
「……ウェンリー様、食堂にお入りください」
メイドが俺様の背後で困っている。うん、困らせたな。俺様ちびっ子だから、食堂には早めに入らないといけないんだよな。貴族のしきたりめんどくせぇ。
とりあえず食堂に入り、自分の席に着く。食事の時にしか顔を合わせない兄弟たちが俺様を見ている。多分あれだな。メイドの叫び声が聞こえたんだろうな。そんでもって、やっぱり闇を纏いし奴はダメだな。なんて思ってんだろうなぁ。
「ウェンリー、お前は明日から家庭教師が着くな」
大して会話の弾まないディナーの時間、いつも通りに黙々と食べていたら、突然父親が俺様に話しかけてきた。うげぇ、兄弟たちの前で宣言して、逃げ場を奪うってやつだな。
「は、はい」
よし、噛まなかったぞ。へんな声も出なかった。
「アマリアから聞いたと思うが、お前は五歳になったら城に上がらなければならない」
「……はい」
「光魔法の使い手ジェダイド様よりの厳命だ。我がディアスレイ侯爵家から闇を纏いし者が生まれたのは運命なのだろう」
なんだとぉう。
ディアスレイ侯爵家だと?
って、おい、ディアスレイ侯爵家ってジェダイドの生家じゃねぇの?確かあいつは貴族だったと記憶してる。跡継ぎではないから。とか話していたよな?ん?じゃあなに?今世の俺様の父親はジェダイドの兄なのか?
「はい、父上」
俺様が考えにふけっていると、前の席に座っている今世の俺様の弟らしい男の子が手を挙げた。なんでらしいのかってーと、名前を知らない。そう、紹介されていないのだ。うん、これも要するにあれだ。俺様が闇を纏いし者だからだな。紹介する価値もねぇってことだろう。
「なんだ、ウォルター」
父親が名前を呼んだ。
ふぅん、ウォルターって言うんのか。蜂蜜色のふわふわした髪が天使みたいだな。目の色は緑。ジェダイド程じゃないけど光魔法の使い手に相応しい色をしている。
「はい、光魔法の使い手ジェダイド様は父上の弟であるジェダイドおじ様のことですか?」
「そうだ」
うぁぁ、やっぱり。
少し年の離れた兄がいる。って聞いてはいた。やっぱりここんちがジェダイドの生家なのか。うん、今言ったな。言ったよな?ジェダイドおじ様だと。
「では、父上。ジェダイドおじ様は金の髪に金の瞳をしてます。ウェンリー兄様は黒髪に黒の瞳です。それはつまりウェンリー兄様は闇魔法の使い手ということですか?」
よく言えました。
ってか、俺様のこと兄様って言ったよね?俺様より年下なのに随分と滑舌よくね?しかも光魔法とか闇魔法とか知ってる素振りじゃん。あと、ジェダイドおじ様って言ってるってことはあってるよね?ジェダイドに、会ったことある言い方だよね?
うわぁ、何気に俺様ハブんちょされてね?弟は会ったことあるのに、兄である俺様はあったことないとか。ひでぇ。
「ウォルター、学習が進んでるようで何よりだ。だが、それを判定するのはジェダイド様だ。軽々しく口にしてはいけないよ」
「はい、分かりました」
うわぁん、凄いいい子。父親であり侯爵である大人相手にしっかりと自分の意見を述べて、たしなめられればそれを素直に受け止める。さすがは貴族の息子。てか、俺様より学習が早くないですか?俺様の弟なんだよな?それなのに闇魔法とかもう知ってんのか?
え?俺様明日からよ?
「父上、ウェンリーが驚いています」
ウォルターよりも、上座に座る俺様の兄が俺の顔を見て述べた。うん、俺様ぽかんと口を開けちゃっていたからな。
「ウェンリー、別にお前を蔑ろにしていた訳では無い。ジェダイド様よりお前のことを愛情を持って育てるように言われているのだ」
は?なんだそれ?
愛情を?
「家庭教師をつけて早くに学習を始めると、何かと拘束されるからな。小さいうちは伸び伸びとした方がいいだろう?ウォルターは、ジェダイド様の指示でな、早くから家庭教師をつけているのだ」
ほほぉ、ジェダイド様の指示ねぇ。年の離れた弟であっても、光魔法の使い手とあれば意見に従うと言うことか。
「ウェンリー、心配しなくていい。お前の家庭教師はウォルターの家庭教師とは別だから」
「聞いてませんっ」
俺様より先にウォルターが口を開いた。なになに、なんか怒ってね?
「どうした、ウォルター」
侯爵がウォルターに問いかける。
「ウェンリー兄様と一緒じゃないだなんて……聞いてません」
顔真っ赤になってんなぁ、ウォルターは。そんなに俺様と一緒に学習したかったのか?ああ、そうか、一緒に学習しないと見劣りのする闇の色を纏った俺様を見下せないもんな。
「無理だウォルター。お前に着けた家庭教師はウェンリーには合わない」
「じゃあ、じゃあ、僕がウェンリー兄様の家庭教師の元に行きますから」
「明日の様子を見てからだな」
「ありがとうございます。父上」
そう言って、ウォルターは俺様に向かってにっこりと微笑んだ。なんだ、その笑顔は。何を企んでいるんだ?俺様に向かって微笑むような奴にろくな奴はいなかったからな。ウォルターのやつ、弟のくせして俺様より勝っているのを見せつけたいんだな。
くそっ、無駄にキラキラしやがって、気に食わないな。
俺様はウォルターの事など視界に入れず、黙々と食事の続きをした。そうして、誰よりも先に食堂を後にした。
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