黄泉の国 2
目が覚めて今日のコーヒーは、vr世界内での出来事であった。たった数回の食事でも椎名の体は段々と正常に戻っていった。膿の溜まっていた足は綺麗に治った。流石ゲームのシステムと言ったところか。
そして、顔色のすっかり希望に満ちたその寝顔を僕は昨日の似顔絵と照らし合わせた。似ている、妙に口元のにやけた目の前の少女を理性的に分析すると、確かに行方不明者であることに間違いはなさそうだ。昨夜の恐怖も今となっては全く無いも同然だ。
「おい、朝だよ」
肩をゆするようにして起こし、そのまま台所に向かった。すると、起き上がった彼女も僕のあとをついてくる。
「えっと…おはようございます」
「ああ、おはよう」
僕が冷蔵庫から材料を取り出すと、彼女はフライパンやら油やらを取り出していた。
「どうかした?」
「あ…体ももう平気なので、できれば一緒に朝ごはん作れたらなぁって」
椎名の顔は少し火照っているようにも見えた。僕もここで「一人で作れよ」と言い切れないのが自分でも嫌になる。
「それなら何がいいの?」
「あ、じゃあホットドッグとか?」
「了解」
そう言っててきぱきと料理を進める。腕の太さが未だ心もとない彼女もどうやら料理には経験があるようだ。
「あ、そういえば昨日テレビで軍人さんのことを放送していましたよ」
「軍人さんって僕のこと?」呼び名は伝えたはずなのだが。もしかして呼びにくかったのだろうか。
「そうですよ!なんか少佐、少佐って凄く褒められていました」
「まぁ、そうだろうね。この世界じゃ」僕の口調は意図せずに暗くなってしまった。なんとなく、彼女が僕をいびろうとしたように感じたのだ。
「私気にしていませんよ?」
「そりゃあどうも」
僕の素っ気ない態度を見た椎名は何故かふっと笑った。走行する内に食卓は彩られている。
「軍人さんは食べないんですね」
「その呼び方なんなんだよ。前にPhyって名乗っただろう?」
「ああ、なんだか呼びづらくて…」
「……………ならご自由に」
「それで、食べないのですか?」
そう言っている内に椎名は既に朝食を取り始めていた。
「もう朝食は取ったよ。現実世界でね」
「そうですか……」
椎名の少し落ち込んだ様子を見ながら僕はソファーにどさっと座った。
「今日は多分早めにこっちに来ると思う」
「あ、そうなんですか」
椎名の不機嫌そうな顔はすぐに元通りになる。懐かれているのだろうか。
「それじゃあ、行ってくる」
椎名の返事を聞かずに僕は、vr世界からログアウトした。手早く、荷物をまとめて最早慣れた足取りで学校まで向かった。
午前中の授業を終え、昼休みの後半に差し掛かった頃、僕は変わらずスマホをいじっていた。SNSに通知が入ったかと思い立ち上げてみれば、誰かからフォローの申請が入っていたことに気付く。時折、友人の友人とでも言うべき他人からの申請が来ることがあったため、僕にとってはそこまで特別なことでもなかった。アイコンを見る限り笑顔の黒人男性、プロフィール上の年は同い年だ。しかし住所はアメリカのケンタッキー州である。どんな親戚をたどっても僕の人脈網が太平洋を越えることはないと思っていたが。
相互フォローをしたと同時に僕は彼にメッセージを送ることにした。『Hello』、単なる好奇心に突き動かされた結果であったがこれなら迷惑ではないだろう。
既読は十秒しない内につき、返信が来る。『Hello major』、その返信が僕にとっては警戒開始の合図であった。Major、とは英語圏では少佐を表す時に使われる。こいつももしかしてあのゲームのプレイヤーか。そう思うと僕は次の返信を返さずにはいられなかった。
『Are you player?』『yes』『What is up?』『I want to you to help me』『What is your problem?』、知り合って早々図々しいなと感じてしまう。これはアメリカでは普通なのだろうか。やり取りをしている内に、vr世界で落ち合おうという話になる。文では楽に使える英語もまともにネイティブと話すとなれば、自信がほとんどない。なんとかなるだろうか。そんなことを思いつつ、僕は次の授業への準備をした。
電車内にて、慣れ切ったはずの授業も七時間行えばどっと疲れを感じる。二駅先が最寄り駅のため、何があっても目は閉じないと心に誓いながらスマホを見る。眠気を振り払いながら、家に帰ると不思議なことに眠気は消えている。高校生活に入ってからはよくあることであった。僕は、制服から部屋着に着替え、すぐにゲームを始めた。光が交差するロード画面を無感情でただ見つめている。光が、窓の夕日と重なったことで僕はまたこの世界に来ることができたことを自覚する。
「あ、お帰りさない」
ソファーに座りながらテレビをみていた椎名がこちらの方を向いた。たった数日にして僕の生活の一部に溶け込んだ彼女がまた客観的に考えると不思議でならない。当たり前のようにしてくつろぐ彼女を横に僕は、クローゼットへと向かった。ただいま、そう言って僕は腰にナイフを括りつけ、反対側のベルトには弾丸ケースをセットする。首に下げられた水晶の有無を手触りで確認すると、僕は転送装置を使った。
「あれ、どこか行くんですか?」
「ああ、約束事があってね」
そういうと、納得したような顔をして光に包まれる僕に手を振っていた。
僕の転送先はフリーディア内にある数少ないレストランであった。
「初めまして、Phy少佐」
そう言って向かいの席に腰かけた男はチャーリーという名のアメリカ人であった。いかにも陽気そうな見た目の青年といったところか。
「日本語話せたんだ」
「ははっ、さっきは英語でも大丈夫かと思ったからな。両親がジャパニーズカルチャーの虜なんだよ」
「それで日本語が話せるまでに影響されたのか」
「まぁ、そんなところだな」
「にしても、僕のアカウントなんてよく見つけられたな」
「ああ、適当に探していたら例の将校さんのニックネームと同じ人がいたんでね。ひょっとしたらと思ったんだ」
「凄い度胸だね」
「ところで名前は?」
「ああ、チャーリーで構わない。実名も同じだ」
座っているその姿からも彼の大柄な体がよくわかる。現に椅子に座っているとはいえ、片足をテーブルの外に出してしまっている。それは単にマナー違反ともとれそうだが、よく見ると彼が行儀よく椅子に座るにはテーブルが小さすぎることにも気づいた。身長はおおよそ180cmといったところか。
「それで、何か頼み事?」
「ああ、それが大きな声では言いにくいんだが…」
彼は渋った顔をしながらぽつぽつと僕に悩み事を話し始めた。
「つまり…ホラーマップ内のミッションが怖いからついてきて欲しいと」
「おい…大きな声でまとめるなよ…」
「ああ悪い、それじゃあ現地ですぐ会うか」
そう言って僕は席を立った。目の前には同い年にして自分よりもはるかに屈強な身体を備え、自分よりもはるかに軟弱な精神を持つ壮大なギャップを持った男が小刻みに震えていた。確かに、一人で怖いものに誰かと一緒に行く方が良いという理屈は理解できる。ましてや、このゲームを他言することもとても懸命とは言えない。彼にこれ以上手がないようだから、僕が協力してみてもいいかもしれない。
僕はマイルームに戻り、椎名とも会話を交わさずに転送装置からゴーストタウンと呼ばれる場所へとワープする。椎名は僕が来たことに少し動揺していたのが気になるが正直今はどうでも良かった。
ゴーストタウンというマップはこのゲームでは珍しくホラー要素をかなり含んだマップであった。どこの国家にも属さない地域にひっそりと洋館やら廃病院やら建物が居座っている。通常のお化け屋敷と大して変わらないような場所だ。そういったホラー物のエンターテイメントには一定の抵抗があったが、少なくとも大抵のものには驚かないだろうか。
視界が開けると紫色に蠢く怪しい霧が立ち込める中で自分よりも数段大きな人影を見つける。影は不自然に揺れ次第に聞こえてくる過呼吸と共に彼の切羽詰まった気持ちが分かってきた。
「えっと…大丈夫か?」
「ああ、ただ目の前の洋館を目にしてちょっとな…」
そう言って怯える彼を疑いそんなものかと感じた僕は彼と同じ所を見る。古ぼけた洋館、白を基調としたゴシック様式のさながら中世に取り残されたような邸宅である。本来動じていけないはずの僕でさえ、この雰囲気に何か本能的なアラートが発せられる。しかし、その恐怖は自分の真左で震える男を見ると妙に冷静さが戻ってくる。この建物の中から、僕らはとあるビデオテープを取ってくる必要があるそうだ。
「なぁ、そろそろ行くぞ。怯えていても意味ないんだし…」
「あ、ああ…そうだな…」
僕は水晶を握り潰し怪人となる。能力を使い、懐中電灯を二本取り出した。
「ほらこれ使ってくれよ」
僕はその一本を彼に手渡した。
「なぁ、これって別々行動するからってことじゃないよな…」
「そこまで性格も悪くない。ほら行く!」
僕は彼の背を無理に押しながら洋館の扉の前まで足を運んだ。屋敷の扉を正面から押す。木の軋む音と共に、エントランスとでも言うべき空間が開けた。僕が館の中に足を踏み入れると、チャーリーは足を重たそうにして、僕の後ろをついてくる。
二人とも完全に館の中に入ると、途端に後方から鈍い音が響く。咄嗟に振り返ると、ドアが閉まっていた。
「おいおい…これってやっぱり閉じ込められているんじゃあないか…」
「まぁ、ホラーだとありがちな展開ではあるよね」
「冷静さが癪にさわるぜ…」
「まぁ、俺は怪人の状態だから基本的には負けはしないだろうし。対して、君は生身だからかわいそうとすら思えるよ」
「心のこもってないセリフだなぁ…。というか、その状態って怪人意外に呼び方ないのかよ。もっとこうかっこいい呼び方がさぁ」
「考えたことも無かったな。面倒だから適当に名付けてくれよ」
「仕方ねぇなぁ」
彼が考えだした頃には、扉が閉まったことへの恐怖心が恐らく消えていただろう。他愛のない雑談で怖さから目をそらさせるのも上手くできそうだ。
「じゃあ、クリストムなんていうのはどうだ?」
「クリストム、何かの複合語か?」
「ああ、クリスタルとファントムで掛け合わせた。俺にしてはいいセンスしているだろ?だから今のお前は『Phyクリストム』とでも名付けられるところか」
「君のセンスなんて知ったこっちゃないのだけど、まぁ変な名前でもないしそれでいいか。というか党の中枢でも未だに正式名称知っている人いないんだよなぁ。アイネスさんにも一度聞いたけど普通に知らないって言われた」
「アイネスさんってあのアイネス?」
「そうだな、お前の考えている軍人のアイネスで合っている」
「……………流石だな、フリーディアの少佐様は」
皮肉交じりかチャーリーはそんなことを言っている。僕はそれを軽く流しつつ、次の部屋に繋がるであろう扉に手をかけた。
風がなびく音と共に照明が消えあたりは真っ暗となる。かろうじて屋敷のシャンデリアに灯されていた蝋燭の火が消えたことはパニックになりかけながらもなんとか把握した。一方で、僕の隣ではそれよりも恐ろしい阿鼻叫喚のような声が発せられていた。「うああああああぁぁぁ!」自らホラーが苦手と自称するだけあり、彼は早速パニックを引き起こしていた。「うるさいなぁ、懐中電灯を渡したろう!それを使ってくれ!」僕は自分でも珍しいと思えるくらいに声を張り上げた。この男の叫び声を上回るようにしてその声は彼の耳に届いたようであった。
「あ、ああ。そうだったな…」
そして、暗闇の屋敷の中に二つの真っ白な光が灯る。僕は再び扉に近づき開いた。幸いにも鍵がかかっていなかったお陰で、すんなりと廊下の方へと入ることができた。
「おいおい、置いていくなよ!」
声を大きくしながらチャーリーも部屋を出た。何故か彼はずっと体格の貧相な僕の肩を大きな両手でがっしりと掴みながら、適宜後ろを振り向きつつ移動している。
「なぁ、チャーリー。それは流石に動きにくい。モンスターが出てきた時に機転が効きにくくなる。離れてくれ」
僕はとうとう彼に文句を言うことにした。
「うぐぐ…、わかったっての…。まぁ、一応俺も戦闘要員なんだしな」
確かに、彼の背にはショットガンらしき長筒がうっすらと見える。廊下を進むたびに時々少女の笑い声が聞こえることがある。また箪笥やらカーペットやらが時々動いていることもある。かつて、党員になる前に一人で来た時は僕もいちいちリアクションをしていた。しかし、今となってはかつての僕以上のアクターがいるお陰で思考は極めて冷静だ。チャーリーは造作もないような怪現象にも大柄の男とは思えないほどの拒絶反応を体で示してみせる。
彼が銃弾を発砲してこないだけまだ救われているのだと自分を説得しながら、何も現われない廊下をひたすらに歩いていく。怯える彼をよそに僕はそろそろだと辺りをつけていた。
突然、目の前に現れたのは一体の幽霊もといモンスターであった。予測の範疇ではあったが、それを見たウィンストンは腰を抜かしていた。大男の地面に転がる様は僕が今までにみた幻滅の中でも十本の指に入る程であった。
『ウェポン・ジェネレーター』によって僕は電気を弾薬替わりに消費する光線銃をその手に呼び寄せた。光線銃と言っても見た目は実弾式の拳銃と大した変わりはない。その特徴は何と言ってもバッテリー式の弾倉と発射される弾の形状である。僕はバッテリーを弾薬ケースから取り出す。手際よく光線銃にセットすると既に怯みきったチャーリー目掛けて突進しようとしている幽霊に一発食らわせる。雷を縮小したような電気の球は幽霊に当たった瞬間エネルギーを放出するようにして消えた。この手のモンスター相手には通常の実弾銃が効かないのだ。不意に一撃を食らったそれは次に恨めしそうにこちらを向いてくる。方向転換しこちらに突進してくると、チャーリーが銃の軌道上からそれた。それをいいことに僕はその幽霊に向かって電気弾を連射した。最後に断末魔のような叫び声をあげると奴はほどなくして消えた。
「全く大丈夫かよ…」そう言って僕は彼を少しばかり呆れた目で見た。
「ああ、すまねぇな。やっぱり苦手ってもんだわ」
手を差し伸べると床にぶつけた腰を痛そうにさすりながら彼は立ち上がった。深呼吸する彼を見て一安心する。それと同時に僕は自分のライファーの画面を確認した。『幻覚』という状態異常がこのマップでは特に厄介だ。内容は単純で、かかった者に幻覚症状が現れるというものだ。この洋館でそれにかかってしまえば、この後の廊下の先にある扉が見えなくなってしまう。その厄介な設定に引っかからないためにも定期的に自分の状態を確認しておく必要があるのだ。
僕はそっとチャーリーのライファーを除く。散々幽霊にしてやられた彼だが、どうやら『幻覚』にはかかっていないようだ。
そのまま、歩いていけば再び幽霊に出くわした。チャーリーは今度こそ威勢よく銃を撃ったはいいが、当然奴らに物理的な攻撃は効かない。おまけに跳弾した一部の弾が僕の方に降りかかってくる。流石にこれを回避するポテンシャルはクリストムになった僕にも存在せず、とばっちりのダメージを食らってしまう。呆れながらも、仕方ないと自分をなだめつつ僕は能力を使い、彼に光線式のショットガンを投げ渡した。
動揺していたチャーリーの肩に追突しかけた寸のところで彼はそれを握った。そのまま電池を入れてあったため、後は彼の力量でどうにでもなる。
「壊れやすいから酷使するなよ」僕はただそれだけ忠告した。
「ああ!」そんなどことなく僕のアメリカ人のイメージに共通するような威勢の良く明るい返事が飛んだことがチャーリーのこの場を克服したことのサインだった。近距離パワー型とでも形容できるスポーツ選手向けの体でこの非物質的存在と戦うのは傍から見ても終始やりづらそうだ。
そんなことを少し気にしつつも、僕は目の前の敵にひたすら銃弾を浴びせていた。彼と違ってクリストムとしてヒットポイントに余裕がある僕は幽霊達が突進してくることにも気に留めずに撃つことができていた。廊下の一面が光線の発する光で最早、懐中電灯さえ不要な空間の中でようやく大量に出現した幽霊はひとまず姿を消した。
目の前にはようやくと言わんばかりに次の部屋へと繋がる扉が構えられていた。今度はチャーリーがそれを開き、調子を完全にものにしたと言わんばかりに部屋の奥へと進んでいった。僕はそれを追いかけるようにして書斎へと進んでいく。
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