黄泉の国 1
「あの…………」
なにか言いにくそうに椎名が話しかけてくる。普段からどこか申し訳なさを持っている彼女のはっきりしない態度は今になって慣れたものだ。
「どうした」
僕はそう返しつつもテレビからは目を離さなかった。
「少しお話しできませんか?」
「お話?何の?」椎名
「えっと……私について…でしょうか……」
「……よくわからんが、まぁいいよ」
テレビの電源を切り、僕と椎名は向かい合ってテーブルについた。
「で、具体的には?」
テーブルに手をついて僕はそう聞いた。
「えっと…、この世界の外について教えてほしいのです」
「は?世界の外?」
突拍子の無い言葉の羅列に思わず戸惑いが生じる。だが、この世界の外といと、現実世界のことだろうか。到底NPCがそんなことに干渉してよいとは考えられない。そんなことを考えるものなのかと驚きつつも彼女の目をじっと見る。今までにない真面目な顔であった。いた、強いて言うなれば近い表情を僕から逃げ惑っていた時の彼女はしていた。
僕には自然と危うい興味が湧いてくる。NPCが外の世界の概念を知ったらどうなるのか、シミュレーション仮説の思考の発展に一躍買いそうなテーマである。
「えぇっとつまり、俺たちプレイヤーが元々暮らしている世界についてってことだね」
「……!やっぱり!ここって何なんですか!」
彼女は今までにない剣幕で僕に迫る。何が彼女をそうさせたのか僕にはよくわからない。
「ここって言うのはこのゲーム世界のこと?」
彼女の感情がおかしくなるにつれて僕は次第に冷静になれた。
「げ、ゲームって………」
ゲーム、何気なく言ったその一言に椎名は異様に反応する。
「でも死んだはずじゃ……」
「死んだ?どういうことだ?」
彼女の言葉にこちらまで冷静さを失いそうになる。彼女に記憶があったとして、それは旧フリーディアから今までくらいではないのか。
「もしかして…、朝の学校ってそのゲーム外の話だったんですか⁉」
「いや……そうだけど……、今まで何だと思っていたの?」
「いやぁ……もしかしてこの世界にあるのかなぁって」
NPCのはずの少女像が徐々に歪み始める。彼女は苦笑いしながら、その目は虚ろであった。
「そんなわけないだろ!前のことは知らないけれど少なくとも今は学校なんて存在しないだろ」
党の提唱するプレイヤー至上主義の考え方に基づけば、NPCの為の学校が無くても不思議ではない。最も、たかがゲームにそんな設定も考えづらい。
「まぁ、私も見たことは無いですしね……」
「そもそも、君の記憶はどこまであるんだ……」
「えっと……普通に暮らしていたらまぁその……不慮の事故に巻き込まれて………気づいたらこの世界にいたんですよ……。最初は輪廻転生的な何かかと思っていたんですけど、なんだか変な人たちに農場に連れていかれてそのまま今に至るって感じです……」
「つまり……ゲームの外の世界から来たということか?」
「たぶん…………」
彼女の発言は次第に信じられないものになっていき、僕はついに彼女を信用できなくなっていた。彼女の発言は相変わらず所どころ歯切れが悪い。
「じゃあ、住んでいた国は?」
「日本です」
「高校は?」
「えっと…霞ヶ原高校です」
これは後で調べることにしよう。
「じゃあ、名乗っていた椎名 由紀っていうのはその時からの名前?」
「はい…そうですね」
僕は心にふと燃え上がっていた興奮を深呼吸で打ち消すと、僕はソファーで横たわった。
「えっと…私の話し信じてくれましたか?」
「…………信じろというのが不可能なのは話していて気づいているはずだよ。でも、まぁ自分なりに調べてみるよ。君の記憶がまた別のものの可能性もあるしね」
「は、はい…」
椎名の顔は少し落ち込んでいた。僕なりに優しくしてみたはずなのだが。
そのまま、ゲームからログアウトすると僕は早速パソコンを立ち上げた。
霧ヶ原高校、少なくともここの近くではないことは明確だ。中学の時の知り合いの一人もその高校について話したことはない。検索に合致したのは宮城県桑原(くわはら)市の方にぽつんと建っている小さな校舎であった。画像をアップして見るに、その中は冷房すらまともについてなさそうとすら感じるほどに年季が入っている。腐りかけた木製の校門に謙虚に霧ヶ原の文字が見えた。桑原市の画像を探しても画面に表示されるのは古ぼけた家屋と緑一色の田園風景だけ。田舎であることにはまず間違いない。
しかし、重要なのは彼女の話していた情報は事実であったことだ。まるで、胡散臭いテレビのドキュメンタリーのような都合の良い展開に恐怖すら感じてしまう。それと同時に、あの羽虫と骸骨の合わさったような今無き少女の姿が目に浮かぶ。彼女は何者なのだろう。僕の目の前に堂々と構えられた大きすぎる疑問には心あたりすら一切なかった。
彼女を信じる、それが根本的に良い手なのかも理解しがたい。僕は、霧ヶ原高校のホームページを閲覧しながら、電話番号をメモ帳に書き出した。メモ帳と言ってもメモをする習慣が非常識にも欠落している僕のいうメモ帳とは机の引き出しの奥からとりだした一枚の裏紙に過ぎなかった。電話して確かめる、それも手段としては見込みがある。しかし、椎名と表面上なん関わりも無い少年が突然学校に死人の宛を尋ねるのもまた不謹慎極まりない。桑原ほどの田舎であれば、その事件も地方紙には載るだろう。死因こそ本人にすら聞きにくいが、取材に鬱屈としているかもしれない彼らが潔く僕に情報を渡すはずがない。
『霧ヶ原高校』、『椎名 由紀』、『宮城県 桑原市』、『アボスのvrゲーム』、共通項の無い事柄はいつか線で結ばれるのだろうか。そんなことを考えながらもメモをしていった。
ふと疑問に思う。僕は何故こんなことをしているのか。面倒ならば、彼女の額に銃口を向け引き金を引けばいいだけの話だ。正義感だろうか。しかし、どうも納得がいかない。彼女を助けようという気はあまりない。同情したわけでもない。この偶然に興味があるのか。しかし、それだけならここまですることもないだろう。なぜなら、僕の口癖が「面倒だ」であるからだ。
そしてそんなことを考える間にそれとは関係が無いように手が動いている。調べていたのは桑原市の地方の新聞記事であった。
記憶を元に考えれば、彼女が死んだタイミングは少なくとも党がフリーディアを掌握する前のことであろう。どんなロジックや悪意でそうなったかがわからない以上、死亡から転生までにどれほどのタイムラグがあるかも僕には推測できない。
地方紙ですらコミュニティーの狭さからかその種類は楽なことに一つしか無かった。桑原新聞というなんとも味気のなさそうなタイトルである。市のホームページにpdfで掲載されているようだ。
その中から、一日ずつ確認していく。新聞に記載されている内容は大抵が地域の緩やかな雰囲気を前面に押し出したような内容であった。しかし、新聞の一面を外れた本来であれば、コラムが載っているようなところに珍しく事故や事件のことが書かれていた。とはいえ、所詮は狭いコミュニティーでの出来事だけあってか毎回そのような内容があるわけでもなかった。日によって当たり障りのない詩のようなものも書かれている。
加害者も被害者も良かれ悪しかれご高齢の方々ばかりだ。だからこそ、女子高生が死んだとなればさぞ目立つだろう。pdfのダウンロードを繰り返して一か月ほど前の記事にたどりついた時、その新聞記事のみが異端であった。僕が高校に入学したばかりの頃の話だろう。いつもの穏やかさとは打って変わって、そこにあったのは行方不明者の捜索依頼であった。でかでかと描かれた似顔絵が一面をかざる。その横に書かれた名前を見る。椎名 由紀、探していたその人の名前だ。サイドには親が書いたと思われるメッセージや椎名についての特徴などが丁寧に綴られている。言葉のチョイスや段落の撃ち方なども本来の新聞とは異なっている。誰か他の人が書いたのだろうか。
行方不明として持ち上げられているが、僕が読んでいた限り彼女はこの世界では発見されていないのだろう。
似顔絵の顔は世界中のどんな歪な悪魔の絵よりも不気味であり、どれだけ芸術的な絵よりも僕の心を揺さぶった。紙面の椎名と目があう。まるで、自分が踏み込んではいけないような領域に入ったかのような心の圧迫感が僕を限界まで締め上げた。そのpdfをそっとパソコンに保存した。行方不明という言葉が妙に引っかかる。椎名 由紀は生きているのか、vr世界の彼女は一体誰なのか。僕は電気をつけたまま、布団にくるまった。
手を伸ばしてスマホをスクロールしながら心をそらす。スマホが手から離れた時には僕は眠りについていた。
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