逃走者 2
「着いたよ」
彼女から離れると支えを失ったようにして彼女は崩れていった。転送装置の上ではぁはぁと呼吸をする彼女を無理矢理ソファーまで移動させる。
動揺しているのか言葉の一つも出していない。僕は適当にアイテムチェストから使えそうなものを取り出してもってくる。一式をテーブルの上に置くとシャワー室からバスタオルを持ってきて、彼女の下に敷いた。
「さ・て・と…」
「えっと何するんですか……?」
「まず怪我の治療だよ。その血だらけの足で生活されてもこまるだけだ。僕は医者じゃないから文句は受け付けないよ」
そうとだけ言うと、彼女ははぁと答えて足を差し出した。傷が妙に深く膿んでいることに違和感を覚える。黒い血を桶に入れた水で洗う。
とにかく傷が深い。もしもまともに病院に連れていったら確実に縫うだろう。膿に綿棒を使って取り出す。彼女の顔色を確認して僕は医療用のグルーを塗った。
「ひっ………」
痛みのあまり顔が歪んでいるのがわかる。本来プレイヤー用の出血ダメージを防ぐアイテムだからこそ利便性が追及されて痛みなどは考慮されていないだろう。
「耐えて、殺しはしないから」
僕は淡々とそう言った。彼女は痛みに悶絶しながらわずかに頷いている。
グルーを塗り終わると今度はガーゼを見える限り体に張る。かすり傷を消毒して、と立場の割に至れり尽くせりだ。この分は後で働いてもらって元をとるか。
「怪我は、全治まで少しかかるかもしれない」
「そう……ですか」
「他に怪我は?」
「いえ、もう無いです…」
「そう」
僕は膿と血で染められたバスタオルをシャワー室に持っていき、医療器具一式を片付けた。手を洗い、僕は再び彼女の下に向かった。
「落ち着いたか?」
「あ………はい」
「ここなら、好きに過ごしていい。ただ、武器には触れるな」
「は、はい」
「それと、僕の命令は絶対だ。君の生死の主導権を握っている以上は従ってもらう」
「……………わかりました」
「それでいい」
自分でもこんなことを誰かに言ったのは初めてであった。もはやこの行動から逃れるために彼女を殺してしまえとすら思う中で唯一出した結論にも未だ吐き気がするほどの憎悪があった。
「まぁ………、とりあえず何か食べたいか?」
「え……………」
何よりも僕は彼女のあまりにもみすぼらしい恰好が気に入らなかった。ただ、その原因に間接的に自分が関わっていることにも自覚がある。
「えっと……お任せします………」
「わかった」
僕は冷蔵庫を開いた。この部屋に来た時、いくらか食べ物があることは確認していたが、具体的な内容は特に把握していなかった。
(………まともに作れるのがフライドポテトしかない……)
冷蔵庫に入っていたものにカルチャーショックを感じる。そこにあるのは肉の塊や魚の横たわった死体だ。食材だけはしっかりしているのだが、せめてもう少し調理しやすくしてくれと言いたくなる。
僕は料理に関しては多少の自信があった。褒められるほどでないにせよ、自炊は問題なくこなせていた。両親が留守の間に夕食を作る機会が多かったからこその役得である。
フライパンを取り出して、油を引く。ジャガイモの芽をとり皮をむくと、食べやすい大きさに切った。ゲームのくせにこういった部分は手が込んでいるから困る。
僕は皿に盛りつけて、塩コショウを振ると、小皿を出してそこにケチャップをいれた。
「はい、できたよ」
「あっ、ありがとうございます……」
彼女は震えた手で一本一本それを口に運んだ。
「うっ………うぅ………」
彼女は途端に泣き出した。
「喉に詰まったの……?」
僕は急いでコップ一杯の水を汲んでくる。ソファーとテレビの間に置いてあったテーブルの上に置くと、彼女の顔色を伺う。
「おいしいですぅ…」
ミイラのような容姿をしているものの、その嬉し泣きにはどこか好感が得られた。僕はティッシュを一枚持ってきて、彼女の涙を拭く。
「それならよかった」
僕は党の本部に彼女が死んだという書類を提出した。これで、少なくとも報酬はこっちのものだ。
「あ、あの…………」
「何?」
「私は何をすればいいんでしょうか………」
彼女の目は再び不安一色になった。何をやらせるか、特にそんなことは決めていない。何らかの形で利用できればいいのだが。
「まぁ、そうだな。いつか何かをしてもらうよ……」
「は、はぁ……」
僕の回答は煮え切らないものだったろう。だからこそ彼女の納得はいかないかもしれない。だが、適当なことを言っても今後に響きそうだ。
「あの………ちなみに今私ってどういう扱いなんですか……?」
「というと?」
「いや、その……もし誰かに見つかったらって……」
「ああ、君は農場の脱走者として指名手配犯にあげられていて。見つけたら殺すように言われているさ。党は君のことを『人民の敵』なんて言いながら、殺したらNPCだろうと報酬を与えるそうだよ」
話していく内に彼女の顔はだんだんと青くなる。落ち着いたそぶりも再びさっきの様子に戻りつつあるようだ。
「そんなぁ……」
「ま、だからこそここに籠っているほうが安全だろうな」
「たしかに………」
「それじゃあこっちからも聞きたいけど、いい?」
「はい……」
「君の親って………もう死んでいるの?」
不謹慎故にあまり聞く気はなかったのだが、立場はこちらの方が上だろうと思い僕は思い切って聞いた。
「えっと……わからないんです」
「行方不明?」
「いえ……その両親と過ごした思い出があるのに……どうも具体的に思い出せないというか……」
「そうか」
内戦時のショックでこうなったのだろうか。
「すみません……」
「ま、仕方ない」
僕はテレビをつけた。流れてくるのは党の広報で丁度彼女が死亡したというニュースが流れていた。
「えっと………私、なんだか死んでいるんですけど……」
「そういうことにしておいた方が都合いいだろう」
「は、はい………」
「一つ聞きたいんだけど……」
「な、なんですか?」
「この国のシステムとか知ってる?」
「いえ…全く……」
僕はため息をつき彼女にスペリオル党のことを教える。彼女は不思議そうにそれを聞いていた。
「おっかないのは分かってましいたけど……凄いですね……」
「そういうものだ」
まともな教養がない、というわけではないがこの国に関する知識がほぼ完全にない。彼女は気づいたらこんなところにいた。そんな態度をずっとしている。新しく生成されたNPCということなのだろうか。
「そういえば、名前は?」
「えっと……椎名……椎名 由紀(しいな ゆき)って言います」
「そっか、僕のことはPhyって呼んでくれればいい」
「日本人…?ですよね……?」
「ああ、そうだ」
彼女の質問に奇妙さを覚えるも僕はゲームをログアウトしようとしていた。
「ベッドやシャワーは使って構わない。また明日くる」
そう言って僕はゲームからログアウトした。消灯しそのまま寝る。時間は十二時を過ぎていた。
朝起きて、他愛のない日常が始まる。食パンを食べながら、ひたすら流れているニュースになんとなく耳を傾けていた。とは言ってもないようなおよそ目覚めには悪いものであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます