逃走者 1
早速僕はゲームを起動した。まもなく、自室で目覚めた。部屋のソファーに寝転がった体制でログアウトしていたのだろう。体を起こしてミッションを確認する。
『脱走者の探索』それが任務の内容であった。これもまた党主導の任務だ。特にこれといった制限期間は設けられていないため、悠長にやってもいいものなのだろう。
僕が党主導のミッションを受けようと考えるのは単に印象付けであるだからこそ非人道な内容にも容赦は持てない。
探索したらどうするのか、詳細を確認すれば、写真を撮ったあとその場で殺せとのことだ。死体は残らないから。
ナイフとショットガンにハンドガンという組み合わせがナンセンスなことに動揺しつつも、僕は転送装置の上に立った。脱走者は下級NPCで元々農場にいたのだという。その農場の具体的な場所を調べるとそれは僕が前に調査をした工場の近くであった。先日の感が役立つかもしれない。そんなことを思っていた。僕は直接工場に転移した。工場をくまなく探すもなかなか見つからない。まぁ、これくらいで見つかるならば中級のNPCが解決しているか。そんなことを思いつつも、僕がとぼとぼと工場から出た。
(でも何故NPCが逃走なんて図るのか……?)
根本的な疑問はそこにあった。彼らには自立した思考回路でもあるのだろうか。僕が党に勧誘された時、レイクと名乗った男は野良だと表現していた。つまり、党が主導する今の政策は支配とは少し異なるのだろうか。少佐の権力を使って聞き出してみてもいいだろう。それか、今から見つける本人に問い合わせるか。
しかし、工場にいないとなるとあてはあまりない。そもそも、何日も隠れている時点で餓死しているのか。
NPCが食事をしている光景はよく見かける。彼らにとってはここの食事も栄養補給のための必要事項かもしれない。この近くにまともな町はない。少なくともあるのは農場か山地だ。所々にある工場に隠れたのかもしれないがいくら何でも片っ端から探すのは効率が悪い。
一つ可能性があるとしたら国境線だろう。隣国への亡命の線はある。ここから最も近い国境は山脈を境に存在している。国の名前はストルフ帝国で国境線を担っているのはクライン山脈だ。標高が高いからこそ単独で亡命をするならばかなりの時間を要する。手遅れの可能性もあるが、僕はそれに賭けることにした。
ライファーから送還をタップすると僕は部屋まで転移された。周囲に敵やプレイヤーがいないときにだけできる機能だ。そして、地図を広げ、国境線の内、最も標高が浅い所を割り当てる。そこに焦点を定め、僕は転移装置に座標をスキャンさせた。
今度はクライン山脈に転移する。森の壮大な雰囲気はどうしても苦手な部分がある。虫嫌いの気性が爆発しそうだ。一応、毒のある虫は生息しているが先んじて虫よけスプレーを使用したため、あまり脅威でもない。慣れない山道をひたすらに登り続ける。その先の国境線まで行ってしまえば、僕の出過ぎた行動がお上にばれそうな気がするため一歩一歩は慎重だ。
山道には時々塹壕のようなものが見受けられる。内戦時に亡命した人々のものだろうか。小さな岩穴には蜘蛛の巣が張られていた。そこまで時間は立っていないはずだが、それでも自然は人工物を呑み込むのだろう。
「ひっ………ひっく………」
反対側に作られていた防空壕のような粗末な洞穴から女の人の泣き声がする。僕は自分の仮説が当たったことに驚きつつもその穴の中に入っていく。一旦、怪人に変身しては再び懐中電灯を持ちだし変身を解除した。人間の姿であれば、交渉の一つや二つできるだろうという希望的観測であった。僕はコツコツと冷淡に響く軍靴の音を隠す気はなかった。それを聞いたのか泣き声はついに止み、過呼吸のようなひっ迫した呼吸音が洞窟内に響く。彼女の体がごつごつした岩に擦れる音がそんな不協和音の中でもしっかりと聞こえてくる。それだけを頼りに僕は彼女をひたすらに追いつめていった。
やだ、怖い、そんな声が僕にひたすら味方する。ついには母や父のことを心細く呟いていた。濠の一番奥まで追い詰めると、僕は目の前で蠢く何かに懐中電灯を当てた。白くボロボロのアンダーシャツに下は奴隷農場の作業着をそのまま着ている。NPCとすら認めたくないそれが脱走者であることを僕は確信した。
彼女はただぶるぶると鳥の手羽先のように細くなった足を震わせて、その目からは大粒の涙が既に流れていた。その今にも折れそうな足からはだらだらと黒い血が流れている。きっと転んだのだろう。
三日三晩食べていないだけでやせ細っているのは、元々農場でまともに食料が配られてなかったからだろう。彼女は言葉も出さずにただ僕を見ている。なにか自分が逆らえない絶対的なものを見てしまったかのようだ。動物の鳴き声ともはや聞き分けのつかない唸り声をあげているだけの存在だ。僕は一枚彼女の写真を撮った。それを確認してライファーを開いた。ホルスターに取り付けられた拳銃を引く気にはなれなかったのだ。
ライファーから取り出したのはブロック型の携帯食であった。中級以上の者は金さえ出せばいくらでも買えるしがない食品だ。厚紙でできた箱からでできた包装を破いて、僕は彼女にそれを差し出した。
「食べる……?」
NPCには日本語以外にも様々な言語が通用するため彼女にもこの声は届いているのだろう。
蜘蛛が巣を這いつくばるような指先の動きで彼女はそれを手に取った。そんなものを持っただけでも彼女の指は震えていた。それだけでも彼女の深刻さは理解できる。
しかし、どうにも彼女はそれを口には運ばない。僕はNPCからそれを奪いとると半分に折ってそれを自分の口に運んだ。しっかりとそれを呑み込むと、残ったもう半分を彼女に渡す。
「毒じゃない………」
僕がそういうと彼女はそれを一生懸命口に運ぶ。まるで死にかけの虫が最後の晩餐をするかの如くその光景は見るに堪えない。結局、携帯食を食べるだけことに彼女は十分いくらかを費やした。途中せき込む様子を見るあたり、それでも必死なのだろう。この世の醜さを全てつぎ込んだかのような彼女の姿を見るに私は彼女を殺すことにも罪悪感がないだろう。
「あ…ああの…………」
今にも消えそうな声で彼女はこちらに声をかけてくる。もう長くは持たないのではないか。
「戻ります………戻りますから命だけは………」
彼女がしてきたのは次に命乞いであった。大粒の涙はいつの間にか細い糸のような儚いものに変わっていた。確かに、同じ状況でも死にかけているときに食べ物をくれたらそう考えてもおかしくない。
戻りますから、そんな言葉を彼女は何度も口にする。もう声に出すことも嫌なはずなのに。どうにかして、落ち着かせたい。どうせ殺すにしても彼女に洗いざらい吐いて貰った後だ。
「落ち着いてくれ。まずは話をしよう」
僕は極めて冷静に機械のように彼女にそう言った。
「話………ですか……?」
「今、この状態で話せないなら落ち着いてからでいい」
「いっいえ、できます!できますから!」
彼女の声はいつになく必死であった。この対話で自分が生きられるかもと僕の機嫌を悪くしないようにしている。生殺与奪の権を握った気分は決していいものでもない。
「君は農場を脱走した。それは間違いないな」
少しだけ声を強くしてみる。彼女にとってはその事実が死に直結する事柄だからこそその背徳感を際立たせることに意味がある。こんな性格の悪いこと、そう自分でも思ってしまうがそれが僕の頭が出した結論であった。
道徳に背くことには慣れている、いざという時に実行力を持つことも僕の強みだと信じたい。
「はい……………」
彼女は案の定後ろめたそうにそう言った。彼女は関節をきこきこと鳴らさんばかりに動かして無理やり体育座りの状態になった。
「それは何故だ………」
はっきりそう問うと彼女は何かに怯えているように骨をがたがたと震わせる。それにつられて酷い有様の髪の毛が奇妙に揺れる。
「生活が苦しかったから……です」
党によるプロパガンダが中級階層に展開されている一方で彼女は純粋に奴隷であったということだろう。一番反乱を起こしそうな気もするが、党の支配方針には僕も触れられていない。
ただ、生活が苦しいというのはよく理解している、工場で働けば公害病で次第に体が蝕まれ、農場に行けば食事のほとんど与えられない飢餓が待っている。
「よく脱出できたな」
僕はまずそれに感心した。農場には小銃を持った兵士が常に配備されている脱走者が殺された話も最近では慣れたものだ。
「配給された食べ物を渡して協力してもらっていました……」
恐らく協力していたのは同じNPCなのだろう。中級の監視員たちは食べ物には困らない。そんなことをしても射殺されて終わるだろう。
下級NPCは通貨も持たせて貰えない。彼らの中では自然に配給された食事が金に置き換わっていったのだろう。となると、賄賂を貰った彼らを脱走に協力させて踏み台にしたということか。
「あ、あの…………」
「なんだ?」
「私、そ、その……どうすれば助けて貰えるんですか?あ、あのなんでもしますから………」
女は汚い手で僕の手を握った。それはまるで僕を仏か何かと見間違えているようだ。
僕は反射的に彼女の手を振り払っていた。僕には救えない。そんなことはわかっている。党が指名手配している時点で亡命するしかないだろう。というか彼女はその為にここまできたのではないのか。
「農場から国境線まで来たんだ。亡命しに来たんじゃないのか?」
「でも……取り合ってくれなくて………」
彼女の顔が次第に暗くなっていった。というよりも、感情のほぼなかった彼女に感情がでてきた。携帯食のエネルギーが回ってきたのだろう。
しかし、フリーディアの難民が蹴り返されるという話は初耳であった。かなりの人数が、フリーディアから逃げたはずだが。
「そうか………」
訳はともかく、この子に未来はないな。それだけは言える事実だ。その事実を知ってなお、藁にもすがる思いでいるのだろう。
自由意志がNPCにある程度あることは分かった。ただ、それは一般的な傾向というまでだろう。
結論をだした僕はもう彼女のことがいらない。すぐに殺してもいいだろう。僕は腰のホルスターに手を当てた。彼女はまだ生きることを諦めてはいないようだ。彼ら彼女らが非生物と言えどもかわいそうだとは感じる。
仕方ない、そうとだけ自分に言い聞かせて銃を抜こうとした。頭がうるさい、今まで散々NPCを殺したはずだ。彼女はその被害者の一員になるだけだ。ここで同情をしても意味がない。
これだけ、理屈を並べてもでもでもと感情が叫ぶ。
頭がパンクしそうだ。僕は彼女の前で一度大きくため息をつくと、彼女は少し驚いたような顔をした。
「条件付きで生かしてあげるよ」
「は、はい、はい!お願いします!」
必死そのものの彼女を僕は利用することに決めた。と言っても具体的な方針も全く決まってはいない。つまり、それは言い訳なのである。ただ、僕は自分に対して言い訳をしたのである。それを彼女には見せず冷淡な表情を崩さない。
「立てる?」
僕は彼女に近寄った。びくっ震える彼女の折れそうな胴体を支えて、無理矢理立たせる。その軽さにはやはり驚かされる。ライファーから転送をして僕の周りに光の円陣が現れる。その中に彼女が入れるように詰め込み僕らは転送した。
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