全体主義国家 3

「はぁ…………」

 気づけば、またここに来ている。それは、あの世界の話ではない。それは、行きつけの本屋であった。嫌なことがあれば、大体いつもここに来ている。適当に手に取った本を立ち読みする。内容などは正直どうでも良かった。ただ、今の自分の悩みから目を背けさせるくらいのもので良かった。

 だが、満たされない。いつもなら落ち着くはずがなぜか満たされないのだ。

迷いに迷って僕はその日を過ごした。しかし、その頃にはほとんど決意ができていた。僕は勉強よりもvrでの活動に専念しようと。テストの結果はいずればれる。それまでに僕が両親を黙らせるだけの金を得ればいいだけの話なのではないか。幼稚な発想だろう。馬鹿にされること間違いない。しかし、これ以上に僕は何かをできるだろうか。正直にそう言う勇気はもうないのだ。

 不貞腐れたか開き直ったような重く開放的な気分になった僕はあの世界に入った。僕は転送装置を使って、部屋から銀行まで行くことにした。ちなみにこれも、党の中枢の特権だそうだ。

 銀行に行くと所有しているリベラと円のレートを確かめる。今までもかなり節約を心がけてきたつもりではあったが、円換算でやっと八十万円と言ったところだ。つまり、僕の初任給の方が高かったのである。

 「まぁ………でもこの年で良く貯めたほうか……」

 僕はそっと口座の画面を閉じると一銭も降ろすことなく銀行を立ち去った。外に出ると、黄昏時の太陽に微笑まれ金色色のビルが立ち並ぶ。フリーフィートの街並みは今日一番輝いているのだろう。ビルの中で働いているのは中級のNPCのはずだ。日が暮れた頃には彼らも一目散にアパートへと向かっていくだろう。

新設された党本部には巨大なスクリーンが設置されていた。絶えず根拠の乏しいプロパガンダを垂れ流している。今放送されているのは砂糖の配給が上がるという通達であった。僕にはほとんど関係ないが、この世界が全てである彼らにとっては確かに喜ばしいのかもしれない。

外国との交易を封鎖された実質鎖国状態のこの国ではまともに食物をそろえられないケースが頻発していたそうだ。地理的要因からサトウキビも栽培できない。何故、この国にそんなものが持ち込まれているのか。ある程度推理は効くが、どれもこの宣伝同様に根拠が無かった。

プツリとスクリーンの光が消えてしまう。しかし、これは故障ではないのだ。リベラルギアの刻印された新国旗が全面に映ると、先ほどより二回りほど大きな音量で党歌が流れ始める。僕自身は歌ったことすらなかった。存在だけは、党の広報でかろうじて知っていたがその詳細については無知であった。僕のイメージする党の残虐さとは裏腹に党歌は優しく流れるように低音で心を持ち上げるように流れていた。それと同時に英語の歌詞も加わった。綺麗事、僕がそれを聞いて思ったことはそれだけであった。しかし、素人が作ったものでないことも同時に疑い始める。党の中枢にそんなことができる人間なんていたのだろうか。僕は太陽が沈み始めていることにちょっとした戸惑いを覚えながらも党歌を聞くことに集中する。

それを合図としたのかビルからは、同じ作業服を着たNPCたちが変わらぬ足取りでアパートまで向かっていく光景が見えた。その精密さはまるで軍隊のようで彼らの顔はしきりに何かを恐れている。

居心地の悪さを感じながら僕はその場を去った。自室に着くと、テレビをつけた。ここから受信できる電波は当然地上波のそれとは打って変わる。

私営放送も当然ない。国営放送ですら、事実かどうか怪しい情報をひたすら垂れながしている。当然、そんな者で人間側は満足すること無く、インターネットに繋いで映画やネット動画などにアクセスできるようになっている。ただ、今の僕にはそんな時間もあまり残されていなかった。もうすぐ親が帰ってくるのを見計らうと僕は現実世界に戻ってきた。

親が帰ってきたその日の夕食で僕はテストの点数を正直に報告した。

「そう…………」

それだけ言って母は白米をほおばる。その居心地の悪さから僕は咄嗟に謝りたくなった。しかし、理性でそれを静止した。

「……………空時は勉強が嫌い?」

母が告げた問いはまるで独り言かのようであった。

「うん……………」

僕はそこですら嘘をつく気がしなかった。もう、そんなことしなくていい。心でそう指示する。

「なら…………自分のやりたいようにやりなさい」

母が残した言葉はそれだけであった。僕はその言葉の意外さ故に尋常ではない戸惑いを覚える。 

「……………………………」

僕は黙って夕食を口に運ぶ。何故か味がしない。五分も立たずに全てを食べ終えると食器を片付けてすぐに、三階へと向かった。

僕は、恐れていた。母の考え方の変わりように、なにかあるのではないか。そんなことを考えていたのだ。

心臓の鼓動は彼の変動する感情を余計に刺激する。それを忘れるかのように彼は毛布を被った。

翌日、僕は母にその言葉の真意を訪ねた。父も珍しくその場にいた。ただ、落ち着きを取り戻した分冷静に慎重に二人の話を聞いた。

あの言葉は本当だという。自分でも何が起こったのかわからないくらいの衝撃を受ける。エリートになること、それが僕の何よりも崇拝すべきことであった。敬虔なキリシタンが毎日十字架に手を合わせるように僕は毎日鉛筆を握っていた。協会に献金をするが如く、多くの時間を塾に費やした。その結果はとっくに受け止めていたはずだ。それでも心の中に沸き上がった強すぎる感情は止められなかった。

自分の部屋に戻った時、僕は泣いた。声を殺して誰にも知られぬように。何回こうして泣いたのだろうか、振り返れば振り返るほど億劫になる。今、こうして抱えている感情が必ずしも嬉し泣きでないのは分かっていた。何か心に空いた大きな理想を失ったような気すらした。人生で初めての嬉し泣き、さっきまでそう思っていたが徐々に沸き上がってきた洪水のような激情はひとえにアイデンティティを失った寂しさだったのだ。

しかし、両親の説明を解釈すれば、僕はより多くの時間をこのゲームに費やすことに専念すべきだろう。今僕が自分を埋める方法、それはこのゲームでただ強くなることなのだろう。


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