フリーディアの悲劇 3

時間は九時半であった。丁度この二十四時間後には僕は既に戦っているのだろう。

夜の暗闇がさらに暗く見える。部屋の明かりを消すと一つ二つ大きく深呼吸をした。僕以外に誰もいない部屋。窓のそとから虫の羽音が聞こえる、それだけであった。春先とは思えないほどに冷えた夜風は網戸をたたくように僕の部屋へと入ってきた。

柔らかく包まれた掛け布団に僕はしがみついて目をつむる。

目を開けるともう朝であった。時計を見て心臓の鼓動が少しだけ早くなる。しかし、今日が休日であることに一安心する。居間に降りて、朝食を食べる。朝食と言ってもパン一切れという質素を極めたものであるが。学校の課題を済ませると、僕はゴーグル片手にベッドに横たわった。そして、今日もその世界へと行く。

(確か、九時頃に集合だったな)

時間は腐るほどある。その間に、手頃なミッションでも攻略するか。僕はワープホールまで向かう。

(ここも今宵の内に占領される)

僕はそのことに明確に反逆の意思を持っているわけではなかった。確かに、党の考え方に疑問は感じるがそこに抵抗する気はなかった。確かに、彼らは生物ではない。そこに人権同様の尊厳は存在しないのかもしれない。僕は心の中で既にそう結論づけていた。

この世界の自分の部屋に僕は向かった。クローゼットを開くと、昨日のまま光続けている水晶が目に入った。見かけは素晴らしいが、その本質はあの男が実証したようにひどいものだ。党の政権確保に僕が協力するのはまだいい。しかし、その力を使うのはいかほどのものか。僕はそう感じていた。

(そもそも、なんでこんなものが)

このゲーム自体はそこまで特色の濃いものではないと思っていたが、これが存在する以上はそういうわけでもないのだろう。

僕は水晶の入ったペンダントを首から下げて、火山地帯へと向かった。火山地帯と銘打つそこは時々溶岩が飛んでくるようなおっかない場所だ。少なくとも観光目的で行っていいような所ではない。転送が完了すると、僕は周りを確認し始めるように二、三歩歩いた。あたりをきょろきょろと見回して、赤く燃え盛っている火口を見つける。あそこからの噴出物に気を付けるのがここでの鉄則だ。しかし、地面には所々に溶岩地帯が設置されており、当然ダメージを食らってしまう。高い金を出費すればそれが防げるような靴が一応買えるのだが、党からの資金を含めても少し手が届きそうにない。

そんな時、火口付近に一羽の鳥を見かけた。ここに、鳥の姿をしたモブなんていなかったはず。過去の記憶と目の前の光景を照合するも、どうにも納得がいかない。背負っていたスナイパーライフルのレンズを取り外し、望遠鏡のようにして、僕はそれを観測しようとした。

(ん…、あれは人?)

悪魔、そんな例えが似合う姿だ。大きな翼を広げて、火口を見下ろしているガスマスクの怪人は未だ僕の存在には気付いていない。僕は奴が何者かおおよそ予想がついていた。

奴は党員だ。その特異な姿は怪人となっても変わらなかったのか。ガスマスクを常に被っていたMUという日本人プレイヤーだ。僕よりも高ランクのいけ好かない野郎、そのくらいにしか感じてはいなかった。

(飛行能力…考えようによっては強いな)

火口を見つめているのは恐らく、ただの好奇心であろう。

ドカン!

火口から数キロ離れたこちらにも聞こえるくらいの大音量がこの火山地帯を覆った。僕はその音にひるまずに男の顛末を見届ける。宙に飛び出した噴出物はその男の出した蹴りによってはじき返される。火口のふちに当たりばらばらに砕け散った。

凄い、茫然と見ていた僕の中に宿ったのはそんな感情であった。そして何よりもその能力を使う自分が目と鼻の先にいることに歓喜する。しかし、その強大な力の代償かやはり、姿の醜さだけはどうにも受け付け難い。

物事を達成する時こそ見栄えが重要だ。これは僕のマイルールであった。ただ、何かを達成するのではなくどんな事柄であれ結局は見てくれで評価される。数式を一つ書くにも、一字一字丁寧に書かれた式と、乱雑にまき散らされた数字で成り立つ式、あるいは何度も消しゴムで消したような跡のある式、そのどれもが正解であったとしても実際の所採点者の主観的評価は変わるものだ。それが、僕なりの人に認められる一種のコツなのだ。

だからこそ、この武装蜂起であれども、な醜い姿で道を凱旋すれば、NPCといえどもウケがあまりにも悪すぎる。それが僕がこれを使わない一つの理由だ。もといエゴである。

人がぞろぞろと集まってくる。それを察したのか怪人もどこかへと逃げてしまった。僕は元通りにスナイパーを担いで火口から離れた見栄えの良い高い場所へと移動した。

僕が受注していた依頼は、依然として続いていた。駄賃稼ぎくらいの報酬しかないが、やらないよりかはましであった。僕はうつ伏せの体制を取り、安全装置を外し引き金を引いた。一発の銃弾は岩陰を超えてマグマだまりの付近に潜んでいた恐竜まがいの大きなトカゲに命中する。奴らはグロークという名前だ。人よりも大きくそのくせ小回りが効くせいで近接戦では苦労しがちだが、今僕がしたように超遠距離から撃てば、図体が大きい故に楽に劇はできる。ドロップしたアイテムが取れない故にあまり利点は無いが。

こんな浅はかな抜け道が用意されているからこそこのミッションの報酬が少ないのかもしれない。僕は、岩と岩を往来しているもう一匹のグロークを撃ち殺す。スコープから何かドロップアイテムが落ちた所が見えたが、今更取りに向かっても間に合わない内に消えてしまうだろう。

僕が射撃場所を変えようと姿勢をずらし、立ち上がった時に目の前を黒い大きな翼が覆う。

「よぉ、盗み見はよくねぇよなぁ…」

背後から太い男の声が聞こえる。

(気づいていたのか)

無音でここまで移動してくるとは思わなかった。いや、集中していたからか、なんにせよ僕はある種のピンチに駆られていた。

台地の下にはマグマが広がっている。とてもじゃないが、飛び降りるなんてマネはできない。僕は、その怪物に向けて愛用のハンドガンを構えた。味方のはずなのに、ただ本能的にそう動いたのだった。

 「穏やかじゃないですね。僕たちは敵同士ではないのですよ?」

僕は精一杯の作り笑いをした。とは言っても、ハンドガンの安全装置は既に外してあった。男は、なんの装備も持たずに余裕をひけらかしている。表情こそ読めないものの、彼からは油断があふれていた。確かに、この近距離なら先ほどのような凄まじい蹴りも当たるだろう。

NPCは殺されると当然そのまま存在ごと消えてしまうが、僕らプレイヤーはヒットポイントがゼロになると、そのままリスポーンする。ただし、唯一のデメリットは所持金が三割無くなってしまうことだ。一応銀行はあるのだが、党が武装蜂起を起こすために、銀行の預金を降ろさざるを得なくなった。流石に、政府も口座の凍結くらいはするだろう。これは、僕の判断であった。故に、今僕は全財産を自分で抱えている状態だ。ここでゲームオーバーすることはあまり想像したくはない。折角死亡率の低いミッションを選んだというのに。この男ももしかしたら理解しているかも知れない。僕を殺すメリットは十分にある。

「なに呑気にハンドガン構えているんだ?その首の水晶はどうした?」

そうか。男の疑問は心底不思議そうに聞こえた。確かに、僕はこの状況で男と互角に戦いうる力がある。

「僕の水晶の能力は相手を爆破する能力なんだ。こんな所で使ったらあなたも僕も木端微塵になってしまう」

男の飛行能力のように水晶にはなにか特別な力があるのだろう。だとしたら僕のでっち上げを男が信じてくれる可能性に賭けるのもありかもしれない。

「はっ、そうか。そりゃあ俺も易々と手が出せないな」

男のマスクの奥に秘められた表情はさぞ不気味な笑みなのだろう。

「それに、これからって時に将校みたいな立場の僕らが仲間内で殺し合ったら党からの評判は下がるでしょうしね」

僕は、彼から離れられるタイミングを見計らって彼の横を素早く通り過ぎた。なるべく怪しまれないようにと意識をしても男から五メートルも離れた頃には全力疾走をしていた。

「やれやれ、子供っていうのはどうしてそんなに疑い症なのかねぇ」

男の声が聞こえた。その声から僕を襲う気が無いのが十分にわかった。

「自分の姿、鏡で見てから言えよ」

僕はぼそっとそう呟いた。まるで愚痴のようにして放たれた言葉を聞きつける輩はいない。

「せいぜい今日は頑張るんだな」

 男は僕にそれだけ言うと翼を広げて立ち去っていった。僕は自分の全力疾走にブレーキをかけて男の姿を見る。僕とは真反対の方向へと行ったようだ。

 「悪い人じゃないといいんだけどなぁ」

 子供が見たら号泣必至の姿とは裏腹に奴はあくまでも人間だ。理性はまともにあるはずだ。まぁ、嘘はいずればれてしまうだろうが。

 僕は高い大地の反対側にグロークを見つけて再び構える。すぐに引き金を引いてそれを撃ち殺した。貫通した弾丸がその先のマグマだまりに突っ込む。しぶきも立てずに赤い煌めきに取り込まれる。プツンと音もしなかった。

 僕は、ライファーに表示されたミッション達成の報告を確認するとすぐに自分の部屋へと戻った。

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