フリーディアの悲劇 2
僕はベッドの上でしばらくぼぉっとした後、思いついたかのように歴史の教科書を本棚から取り出した。開いたページは近代日本史で起きたクーデター未遂事件、通称2,26事件であった。見出しには、この事件に参加したのであろう軍服をきた青年将校たちが銃剣をもって雪の中を走っている写真が載せられている。
(たしかこの事件は首謀者が殺されたんだよな…)
教科書を持つ手がぷるぷると震える。確かに、僕はあの世界で死んでしまおうと別に再ログインすれば元通りだ。だからこそ、自分の処遇に怯えている訳では無い。しかし、失敗すればまともにプレイヤー同士の提携すらままならないだろう。きっと、この活動に後ろ指を指されることには違いない。
選挙運動が始まった三日後、NPCを使った実験を党が行っているという噂を耳にした。誘拐したNPCにダメージを与えるとワープホールにおける敵のように消滅するのかという実験だ。その結果は党員にとって良いものだったと聞く。
「もしかしたら……」
僕はその不安感を否定することができないでいた。きっと僕も他の三十人余りのゲーマーたちも実行犯になる。そしたらNPCは思うままに虐殺されるだろう。僕は震える手をただ茫然と見つめることしかできなかった。
自分の部屋の壁に張られた中間テストの告知の紙を見て、僕はそのまま勉強をはじめた。僕は正直言ってここまで大した勉強をしてこなかった。それは、学校以外の時間をほとんどvr世界でのランキングのために費やしていたからだ。進学校に通う生徒として、あるまじき生活態度なのだろうが、今の僕にはそんなことどうでも良かった。
玄関のドアが開く音がする。母が帰ってきたのだ。僕は手に持った鉛筆の黒い文字をいくつも書き続けながらそう考えた。
「定期テストの準備は順調?」
食事中の静かなリビングルームの中で母の声がひときわ大きく聞こえた。
「うん、まぁ」
僕は、できたてのカレーを一口ほおばってそう答えた。
「真面目にやりなさいよ。あなたにはそれしか残されていないのですから」
「そ、そうだね」
母の言葉が心の中で何度も響く。僕は機械のように淡々とカレーを口に運ぶ。いち早く、この重い雰囲気を脱するためにも僕はどうにかしてカレーを口の中にかきこみ自室へと戻った。
「ああ、ほんとどうしよう…」
心の中が得体の知れない危機感にさらされる。僕は先ほどまでのvr世界のPhyではなく、現実世界の星雲空時として机に向かった。
「はぁ、現実世界は酷い有様だなぁ」
そう愚痴を吐くことはあるものの、僕の手は決して怠惰ではない。僕は
淡々としている。本来なら、僕はこの時間帯にあの世界でミッションの一つや二つをこなしているものだ。いくら僕でも現実世界を見捨てることはできない。
ここまで自分をあげるは楽じゃないのだから。
僕はその日、一度もvr世界に入ることは無かった。これまでの、遅れを取り戻そうとするがごとく、必死になって行っていた。
テスト期間まで僕は勉強を続けているつもりであった。今までの目標もとりあえずは棚に上げる。眠い目をこすりながら鉛筆を握り続けること一週間、僕は再びあの世界へと向かっていた。
それは、党の呼び出しによるものであった。一週間前に配られた軍服を着て再び僕は演説ホールへと向かった。そこには先週とは比にならないくらい大勢の人がいた。その全員が自分のように軍服をまとっている。しかし、その大半が身に着けている軍服は自分のものよりも随分と軽装に見えた。そして、目が合ったや否や彼らは僕に向かって敬礼する。
思わず目をそらしてしまったものの、彼らに少しだけ頭を下げる。党のシンボルマークが大きく映しだされたスクリーンの前に立つ。リベラルギア、それがこのシンボルの名称なのだそうだ。巨大な歯車を背景に両翼を広げた鳥が堂々としている左右対称のマークだ。
トントントン。
軍靴の音が部屋中に響く。一歩一歩、怒っているような無表情の顔をした屈強そうな男が演説台の上に立つ。誰の目にもその姿はとても威圧的に映る。先ほどまで他愛のない雑談で溢れかえっていた演説ホールに今残るのは権威的威圧感による静寂であった。
下級兵と思しき兵士たちは彼に向かって敬礼をする。その勢いが伝染するようにして事情を聴かされていない僕らもその男に向かって敬礼した。
男はそんな光景を上から押しつぶすようにして僕らを見る。いくらか、大げさに頷くと彼による独壇場が始まった。
スペリオル党の人類同胞諸君と僕らを呼び掛けて彼が始めたのは作戦説明であった。その時まで僕らも知らなかったのだが、明日が丁度選挙の開票日だという。そしてこの党の政権確保手段は案の定武力であった。
(ク、クーデター…)
男の言葉は次第に暴言交じりの罵倒へと変化していった。理性的かと思った無表情が隠していたのは単なる激情であったのだ。
どうやら、軍服がクーデターにおける作戦指示などの権力を示しているそうだ。暗くてよくわからなかったが、一般兵は緑色の軽装、そして一般兵で組まれた連隊を僕ら黒い軍服の兵士が指揮するそうだ。青色が本部にて作戦指示を行うらしい。僕は演説ホールを見渡す。確かに、ホールの隅にそんなものを着ている連中がいた。
(さしずめ、僕の役割は将校か)
とは言っても、言語も異なる人を先導するのは無理がある。僕が、そう思った矢先に連隊の内訳がスクリーンに映し出された。アジア人部隊、そう表記された所に僕のニックネームが書かれていた。名前からして、日本人もいくらかいることに少し安心する。
そして、次に各部隊の担当地域が表示される。とはいえ、実際はワープホールを占領しそこから各地域に出るらしい。フリーディア共和国には三つのワープホールがあり、一番近い場所を制圧した後に他の二つのワープホールを占領するそうだ。
それが完了した後に、一部隊を一都市に派遣し、数時間で制圧するそうだ。そして、僕の担当する地域はレイシンスという工業地帯らしい。僕は行ったことが無いが大丈夫だろうか。再び心臓の鼓動が早くなる。
そして、ついに演説はクライマックスに達する。彼が今回の作戦において使うであろうアイテムが支給される。といっても支給されたものは僕らと緑色の彼らで再度区別されていた。僕らのものには人型の何かが象られた模様が入っていた。それは首にかけるネックレスのようなものであった。金色のチェーンに取り付けられた青色に透き通る水晶の輝きはこの暗闇の中でも十分なくらいに伝わってくる。演説者も自分のそれを僕らにわかるように掲げる。牧師がロザリオを握るようにして男は水晶を握る。そして、それを手の握力で粉砕した。
パキン。
金管楽器のような音色が鳴り碧い破片が男の周りにちらばった。しかしそれらが空中で静止して輝きを放っている。いつしか、その光は水晶を握り潰した男を包む。光が消えたとき、そこに男はいなかった。中から出てきたのは少なくとも人間ではない。昔テレビで見たヒーロー番組の怪人そのものだ。まるで鎧をまとったその演説者の姿に誰もが驚く。狂気と錯乱が演説場を踏み荒らす。
そんな中一人の一般兵が水晶を握り潰した。彼もまた機械人間のようなサイエンスフィクションに乗っ取った姿になる。この時すでにスペリオル党は悪の組織といって差し支えなかった。その場にいたのはただそのおぞましさと不気味さに苦笑いを浮かべるもの、利潤のことだけを考えて高笑いする者、従順に党の発表に対して拍手する者、みな悪人だ。
僕の水晶を握る手は未だに震えている。その手が血に染まることはないだろう。しかし、残らない涙を拭くことにはなるかもしれない。
僕はただ決まった感情も持たずに、その場に立ち尽くしていた。
演説が終わると逃げるようにして党本部を出て行った。
(明日…明日か…)
ため息を吐くと僕は現実世界へと戻っていた。
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