もう一つの世界 1

 その日もとうとう学校が終わった。僕はいつもどおりに、電車に乗り、家に帰ってきていた。いつものように勉強している傍ら、僕の横には充電中のvrゴーグルが置いてある。僕は好奇心に押されて前情報を得ずに起動しようと考えていたのである。

 (もう二時間充電しているからそろそろ起動してみてもいいかな)

 充電ケーブルを外して僕は部屋の開けたところに出る。電源ボタンを長押しすると、しばらくして、音が鳴る。僕はそっとゴーグルを被った。まるで被って数秒はまだ暗闇の中であったが、いつの間にか白い無機質な空間が周りを包んでいた。太陽の中に入ったような白さ、どこを向いてもその景色は変わらなかった。すると目の前に文字が浮き出てくる。ユーザー登録と書かれたその下に、空欄が出てくる。そっと空欄に触れてみる。まるでパソコンの入力欄のように感じたからだ。目の前にキーボードが出てくる。僕は少し驚き、一歩下がるとそっと手をキーボードの前に置いた。

 (コントローラー無しで手の動きが連動しているのか)

 僕は感心するようにして息を飲んだ。そしてゆっくりと自分のアカウント情報を入力していった。ID、メールアドレス、パスワードから誕生日にニックネームまでをひたすら入力していく。ひとしきり入力が終わると目の前の文字とキーボードが消える。

 少し、動揺したあとすぐに目の前にボタンがでてくる。『LET’S START』

そう書かれたボタンを見たとき、僕はこころのなかで膨張しきっていた興奮を抑えきれずにいた。

 勢いよく、ボタンを押す。その瞬間何かに包まれたような感覚がした。僕は咄嗟に自分の目を覆う。光の余韻が消えてなくなった時、僕はそぉっと彼の腕を降ろした。一面の白い世界が一転し、目の前に写ったのは勢いよく飛び出す噴水であった。僕が目を丸くしながら、辺りを見回す。大都市の中心にいるのか噴水の広場から少し遠い場所にはいくつもの高層ビルが建ち並んでいる。ニューヨークか東京か。僕は都市の景観に詳しい訳では無かったが自然とそんな気がした。

 (おぉ。これは凄い…)

 僕はなによりもゲームとしてのグラフィックの完成度にまずは驚いた。しかし、そんなことよりも僕の興味はこの新しい世界の方へ向いていた。しかし、もっと大きな違和感が僕の中にはあった。それは、雰囲気に押されてか、もしくは何か他の要因か、夕暮れ時の都会の冷めた風が僕の肌を触れたからだ。僕は噴水から吹き出ている水の近くまで手のひらを近づけてみる。水面にはじき返された水しぶきの冷たさは確かに僕に伝わったのだ。

 (…………?)

 ふと自分の身に起こった出来事を不思議に感じる。

 (これって、vrゴーグルで作られたゲームなんだよな?奇妙な形をしていたけど、触覚まで再現できるものなのか?せいぜい音と映像だと思っていたから…不思議だなぁ…)

 リートに説明していく内にいつしか、自分の中で整理がつき僕は静かに自分の手を握っては開いていた。しばらくするといくらか周りを歩いて腕を回し始めた。

 (もしかして、これちゃんと歩けるようになっているんだ!)

 キラキラとした目で僕はそう叫んだ。

(あ、やべ…変な目で見られている…)

 周囲にはいくらか人がいた。その人々はおおよそプログラミングされた所謂NPCと呼ばれる存在なのだろうと僕は直感した。そうなれば、特に空久の羞恥もあって無いようなものであった。

(ま、どうせ本物の人間じゃないか)

 僕は周囲の人を少し小馬鹿にしたようにくすっと笑った。

 (それより、せっかくこんな所に来られたんだ。ここがどこなのかとかも知りたいし早速観光してみるか…)

 僕は噴水の広場を後にした。公園から見える一番大きなビルに向かって僕が足を進めていた時であった。どこからか着信音が鳴った。当然僕がスマートフォンを持ってきているはずもなければ、現実世界で鳴っているとしても聞こえているはずがない。音源を耳で感じとり、僕は長袖の左の裾を巻いた。中にあったのは腕に巻き付けるようにして取り付けられていた。謎のモニターであった。僕はタッチパネルの要領でその機械を操作する。アラームを止めるとすぐさま端末のチュートリアルが始まる。飛ばしながら、僕はそれを読み進めていった。

 (ライファーという名のバーチャル世界用のスマホみたいなものらしい。vr世界内でチャットや電話ができたり、地図も使えるらしい。多少の情報ならここにも載っているのと……万能だ)

 (そして色々したいけれどもやらなきゃいけないことがあると…)

 僕の画面には上部にあるテロップが書いてある。それは公務館という場所に行けという指令であった。

 (公務館か…。地図にあるかな?)

 ライファーが指示した場所は大きいビルの隣の建物であった。

 (うぅん、住民票か身分証的な奴の登録…?)

 すたすたと歩きながら僕は公務館について考え始める。

 (うぅん…そもそも公務館っていうのは政治機関ってことでいいんだろうな?)

 歩く速度は少しづつ遅くなっていった。

 (いや、全く予想に反している可能性も十分にあるし…)

 五分ほど歩けば、すぐに公民館の前についた。堅苦しい印象を彷彿とさせる名前と比較して建物はガラス張りの非常にオープンなつくりの建物であった。僕は現実世界のようにして自動ドアを通過し、エントランスホールに入る。中もそれなりに人が立ちこんでいる。僕は腕に取り付けられたライファーを見る。指令は公務館への移動から次の指令へと変わっていた。

 (来訪者手続きをしろ?)

 (まず、なんだ?それ)

 (とりあえず受付で聞いてみる他ないか…)

 僕は受付まで歩き、ライファーの画面を見せながら来訪者手続きについて尋ねた。受付は奥から書類のようなものを取り出してくる。それは、僕が意外だと思うほどに真面目な移民申請書であった。

 (これ流石に申請するのはまずいんじゃ…)

 申請書のペンを取りづらくさせるほどに重苦しい内容が僕を蝕む。

 (まぁ、条件次第で署名してみるか)

 申請書はまるで一冊の冊子のようになっていた。前半から後半にかけてそのほとんどの内容は申請に関する規約であり、僕が実質書かなければいけない所は最後の直筆署名のみであった。

 (はぁ、いくらvrの世界でもこう規約とか同意とか求められるのは面倒だなぁ…)

 僕はため息をこぼしながら規約を読み進める。その中には明確に彼が気になる箇所があった。

 (この、いくつか出てきているフリーディア共和国ってここの国の名前ってことか)

文章を読み進めるうちに自分の周囲を取り囲む背景の正体が段々と見えてくる。

 規約には、フリーディア共和国の戸籍を得る上で転移者としての身分で国民という扱いになる。つまり、一般国民とは異なり、年金制度や労災保険、社会保障制度の対象外になり、一般的な成人としての扱いになること、その代わりに国の公共機関やその他の病院や図書館などの公共サービスは満足に利用できるらしい。また、議員をはじめとした公職に就けないだけでなく、選挙権も無いようだ。

 (なんだかvrにいることを忘れそうなくらい現実味のある内容だ…)

 ゲームをしているはずが、身に覚えのない責任感をどこかに感じる。

 (これで提出できるな)

 僕は署名をして立ち上がった。受付に書類を渡すとそのままライファーから公務館を出るように指示されて、僕はそのまま公務館を出た。

 (これで、指示は終わりか?)

 ライファーに終始表示されていたリストは画面から消え去っていた。

 (よし、観光しよう)

 僕はライファーから地図アプリを起動する。現実世界の地図アプリと同じようにして歩いていく。見たこともない都市をひたすら歩きつぶす。何気ない飲食店や洋服屋、酒場や会社にしてもどこをとっても美しく設計されている。そんな中、僕の目を特に引いたものがあった。それは、大都市のビル群を少し抜けた先にあった巨大な銃のデパートであった。

 (フリーディアって銃規制ないのか?まるでアメリカみたいだな)

 不思議に思った気持ちがいつしか好奇心に変わってくる。

(いや、流石に未成年は止められるのか?)

僕はデパートの前で立ち止まり、考える。

 (さっきの申請によれば、僕は成人扱いなんだろう?どのみち大丈夫なんじゃないか?)

 そう考えて僕はデパートの中に入っていった。デパートの中には防弾チョッキから始まり、中には拳銃、ショットガンやアサルトライフルなど多種多様な銃が並べられている。どれも僕がゲームでしか見たことのないものであった。目を輝かせながら、銃を一つ一つ見ていく。僕は銃が我が身を守るものというよりは単なる装飾品のようにしか映っていなかったのかもしれない。

 (あんまり、目を輝かせてみるもんじゃないか?)

周囲の僕を見る客の目がどうも良くない。

 僕は態度を変えながらも鑑賞を続けた。まるで再び童心を取り戻したかのようにしていた。

 (あ、そろそろ時間が…)

 僕がライファーに取り付けられた、時計を見てそう言った。

 (それじゃあ、そろそろログアウトするか)

 ライファーからログアウトを選択する。すると僕の視界は再び暗闇に包まれ、その中で僕の意識は長い眠りから目を覚ましたかのように復活した。

 ゆっくりと、ゴーグルを頭から外す。一瞬、平衡感覚を失ったのかわずかに眩暈がする。季節外れの汗をだらだらと流しながら、ようやく自分が床に座りこんでいることに気付いた。

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