⑦歓迎

 待ち合わせ時間より五分ほど早く着いた。大学近くの居酒屋の前に現地集合だが、まだ誰も来ていないようだ。サークルに入って数ヵ月、未だ彼以外の他の三人に会ったことがない。理工学部なので場所も時間もなかなか合わないらしい。果たして初対面の私は歓迎されるのだろうか。

「あ、いたいた」

 背後から声がして振り返ると、そこには彼の姿があった。

「なんか久しぶりだね」

 彼は涼しげな半袖のシャツをはためかせて、はにかんだ。薄い唇の間に覗く歯は、白くて小さくて綺麗に整列している。

「そうですね、ご無沙汰してます」

 彼への気持ちに整理がつけられない状態ではなんとなく会いにくかったので、最近は彼を少し避けていた。授業やレポートを口実に誘いを断っていたが、古川のおかげか今日は会っても大丈夫な気がした。レポートを気合で仕上げて彼女への一ヵ月記念のサプライズを成功させた古川は、なんとも幸せそうで充実した様子だった。私はきっと古川の熱にあてられたのだろう。

「今日はすごく楽しみにしていたんです。他のお三方にも初めて会えるし、その、先輩とも久しぶりに会えるので」

 私がそう言ったとき、珍しく彼とは目は合わなかった。いつもなら、真っ直ぐな両眼で私を射ているはずなのに。

「……そっか、それはよかったよ」

 彼の返答まで僅かに間があった。優しい笑顔の一方で、そっけなさのある言い方は彼が意図したものなのかはわからない。しかし、喉に小骨が刺さっているかのような違和感が私の心に生まれたのだった。

 約束より十分ほど遅れて三人は来た。女性がふたりに男性がひとり。理系だと聞いて失礼ながら地味な人物を想像していたが、特に女性は想像していたよりもずっと派手だ。

「ごめんね、遅れちゃって。予約してあるから入ろっか」

 そう言った女性は金髪で化粧もばっちりだ。私より学年はひとつ上らしいが、何歳も年上に見えた。

 店員に案内されて席につく。私の両側に彼ともうひとりの男性が座り、テーブル挟んで向かいに女性がふたり。そういえば、テレビで見かける合コンってこんな感じだった気がする。店内は学生やサラリーマンで混み合っている。リーズナブルな大衆居酒屋といった感じか。私を育てた祖父母はこういった店に私を連れていくことがなかったから、店内の全てが新鮮に感じる。

「あんまりこういうところ、来たことない?」

「ええまあ。多分初めてです」

「そっか、一応禁煙席だけど煙かったり周りがうるさかったりしたら教えてね。ただでさえ知らない人だらけなのに、慣れない環境に連れて来ちゃったね」

「お気遣いありがとうございます」

 先ほどのそっけなさはもうなかった。彼はいつもの優しく頼れる先輩だ。私にソフトドリンクのメニューを渡し、全員の注文を取りまとめると店員に手際よくオーダーをした。飲み放題のコースだそうだ。

「じゃあ、飲み物も揃ったし、乾杯といきましょう」

 金髪の女性はビールのジョッキを掲げて、乾杯の音頭をとる。

「まずは佐藤くん、入サーありがとう。先輩が卒業して四人の瀕死状態になったサークルを救ってくれたのは佐藤くんです」

「え、そうなんですか」

 人数が少ないとは知っていたが、存続まで危うかったなんて聞いていなかった。

「そうなんです、君はうちにとってのヒーローです。そんな佐藤くんの入サーに、乾杯」

 カチャン、とグラスがぶつかった後、皆は飲料をぐいっと飲む。女性陣はアルコールだ。

「じゃあ、自己紹介でもしようか。私は代表の佐伯です。理工学部二年だけど浪人したからお酒が飲めます。ちなみに今日は私の奢りです。まぁ今後ともよろしく」

 金髪の女性はそう名乗った。はっきりとした目鼻立ちに派手な化粧。それでも、けばけばしいのではなくモデルのように垢抜けた印象の人だ。

「私は中田サツキです。えっと、理工学部です。あと、名前の通り五月生まれです」

 隣の女性も名乗る。暗めの茶髪で佐伯よりは控え目な印象だが、薄い顔は化粧映えのする綺麗な顔だ。

「じゃあ、俺も一応。文学部の黒川です。よろしくね」

 私の右に座る彼は、こちらに向かってニコリと微笑む。整った目鼻立ちに、優しい目元。これまでこの笑みに悩殺された女性は何人だろうか。そんなくだらないことを考えながら笑い返す。

「あー、俺は今野。理工学部で、黒川とは高校からの同級生。よろしくな」

 今野と名乗った男性は、黒縁の眼鏡に低い声の落ち着いた印象。彼とは系統は違えど、同じイケメンの部類に入るのかもしれない。

 派手で顔面偏差値の高い集団に多少の居心地の悪さを感じつつ、私も自己紹介をする。

「えっと、佐藤です。法学部一年です。おねがいします」

 言い終えると、再び乾杯の流れになる。大学生の軽いノリは私に合わないようで、見よう見まねで彼らに合わせることに精一杯だ。

「よろしくね。ってか出身はどこ? 実家住みなの?」

「東京です。実家から通ってます」

「高校は男子校? 中高一貫?」

「男子校でした。中高一貫じゃなくて公立の高校で」

「へー、法学部って優秀そうだよね」

「はは、そうですかね」

 新入生が私だけなので質問も私にしか飛んでこない。適当に返答するが、居酒屋のごちゃごちゃとした雰囲気も相まって、目が回ってくる。酸欠になったような、意識がここから離れていく感覚。なんとか質問に対応しつつ、周りのペースに合わせて出てきた料理をちびちびとつまみ、烏龍茶をぐびりと飲み干す。

「大丈夫? 疲れてない?」

 彼が私にしか聴こえないボリュームで尋ねる。

「あ、大丈夫です。先輩飲み物頼みませんか? 俺頼むんでついでに――」

「いいよ、無理しないで。俺が頼んどくから。もしキツかったら外の空気吸ってきてもいいし、帰っても大丈夫だからね」

 彼は気遣いの鬼だった。アウェイな立場の私を気にしつつ、酔った女性陣の話し相手も引き受けていた。

「ありがとうございます」

「いいの、ふたりともお酒好きで酔ったら絡んでくるんだよ。ごめんね。俺と今野は飲まないから安心してね」

 肩の力がふっと抜ける。それと同時に肺には自然と空気が満ちてきて、息苦しさは解消されていった。

「ありがとうございます。先輩って優しいですよね」

「え、そうかな?」

 彼は照れ笑う。そのやり取りをテーブルの向かいで聞いていた佐伯は大きくため息をついた。

「はぁ……ほんっとに黒川は良い人なのよ。うちの彼氏とは大違い」

 また始まった、と言うように今野は苦笑いしつつ佐伯を諫める。

「佐伯、飲み過ぎたよ。酔ったときにする彼氏の話はもう聞き飽きた」

 酔った中田も佐伯に同調する。

「今野も黒川君を見習ってよね。黒川君ほど優しい人っていないから」

 彼は困ったように酔ったふたりを見る。それから、やれやれといった感じでふたりから空いた酒のジョッキを取り上げる。

「はいはい、わかった。とりあえず佐伯も中田も水飲めよ」

「うるさいなぁ、ってかなんで黒川は彼女つくんないの? 学部でもモテてるらしいじゃん。このスケコマシ……」

 佐伯はそう言うと電池が切れたようにぱたりと黙った。

「もう、しっかりしろよなぁ」

 彼の呆れた物言いは、これまで私に向けられたものとは違った。気心の知れた同期と一緒だと結構砕けた感じなのか、と今更知る。それに、彼は彼女がいない。これは大きな収穫かもしれない。

 容姿端麗なうえに温厚で器量の良い彼に彼女がいないのは意外だった。なぜだろう。ちょうど今いないだけだろうか。彼にも好きな人がいるのだろうか。こんなことを気にする私はやはり、彼に恋心を抱いているのだろうか。疑問は徐々に確信に変わっていく。

「ほら佐藤、帰るぞ」

 今野に促されて席を立つ。千鳥足の佐伯と中田を支える彼の背中は、やはり愛おしいのだ。

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