⑥好き

「うぅん、書けねぇな……」

 古川はノートパソコンを前にして頭を搔きむしる。学期の中間レポートは未だ一割程度しか進んでいない。私と古川は午前の授業終わりに図書館のラウンジで課題と闘っていた。

 風邪で休んだぶんのノートを古川から借りて以来、二ヵ月ほどで私たちは徐々に親しくなった。学部が同じなのもあり一緒に聴講するようになったし、今日のように課題を協力して進めるようにもなった。友人のいない私にとって古川は試験の過去問などの情報源であり、大学生活での頼みの綱である。

「なあ、どこまで進んだ? これって前回の授業内容を使えばいいんだよな?」

 渋い顔をみせる古川の胸元にはリラックスした表情の女性がプリントされている。ミュシャの絵だろうか。それにしても、本人の表情とのギャップが大きすぎやしないか。そんなことを考えていると、目の前で手をぱちんと叩かれる。

「おーい、聞いてるか」

「ああ、ごめん。なんだっけ?」

「レポート。どこまで書けた……って全然進んでないじゃん」

 パソコンをちらりと覗かれる。

「見るなよなぁ、いまいちわからなくて書けないんだよ」

 一時間前から着手したものの、文章の方針すら決まっていない。レポートの全体像が定まればあとは書くだけだが、その全体像が掴めないのだ。

「なあ、一回休憩しない? 俺もう飽きちゃったわ」

 そう言うと、くたびれたように古川は突っ伏した。私も疲労感を拭うように伸びをすると、背中からボキボキと音がした。

「そうだな」

 私たちはカフェテリアで一息つくことにした。コンビニで買った炭酸飲料とスナック菓子をお供にしてダラダラと過ごす。数ヵ月前は古川のことを派手で圧が強いヤツだと思っていたが、意外と親切で適度に肩の力の抜けた人物だった。服装が派手で一緒にいると目立つのは考え物だが、ファッションが好きなだけで悪い人ではない。

「早く課題終わらせないとだな。今週末は彼女と一ヵ月記念なんだよ」

「もう一ヵ月か、はやいな」

 古川は、まあな、と自慢げに笑う。

「自分でもまさかナンパして彼女を作るとは思わなかったよ。でもあれはマジで運命だった」

 本当に運命だったんだよ、と付け足してから、古川はバリバリとスナック菓子頬張る。耳のピアスはゆらゆら揺れる。

「古川って自分のことを小心者だって言ってたけど、かなり積極的だよな」

「いやいや、普段はこんなにグイグイいけないよ。でもさ、この人と仲良くなりたいって思ったら、やっぱりそのチャンスは逃したくないじゃん? 佐藤の隣に座ったときも、友達になりたいと思ったから話しかけたんだからな」

「なんだそれ。古川って面白いな」

 真に受けていないような返答をしたが、実際私は嬉しかった。まさか古川がそんなに私と友達になりたがっていたとは。照れを隠すようにスナック菓子を口に放り込む。

「ってかさ、佐藤って彼女作らないの?」

 突然痛いところを突かれた気がして、心臓がどきりとする。彼が好きだと気付いてから二ヵ月が経とうとしている。しかし、まだ自分のなかでその ”好き” の整理がついていないのだ。口に含んだものをゆっくりと飲み込んでから言葉を発する。

「……いや、別に彼女とか興味ないんだよね」

 冷静を装ったが、僅かな動揺は古川に伝わっていた。

「今、目逸らしたでしょ。誰か好きな人でもいるのかよ」

 図星だ。古川はたまに、私の心を見透かしたようなことをあっさりと言う。私は全く声が出なくなる。男子校出身というのもあり、恋愛について会話することに慣れておらず、ただ目を泳がせて口をぱくぱくとするだけ。

「あ、別に聴き出そうってわけじゃないから。でも、やっぱり彼女いると楽しいわ。もうね、同じ空間にいるだけで幸せって感じ。佐藤にもそんな人が現れるといいなって話よ」

 頑張れよ、と肩を叩かれる。思いのほか痛い。

「あのさ、”好き” ってどんな感じ?」

 思い切って尋ねる。小学生でもしないような質問。古川がいいヤツだとわかったからこそ聞くことができる質問だ。古川は少し驚いてから考え込んだ。三秒間、呻ってから答えた。

「やっぱり一緒にいて嬉しいのが、”好き” じゃないか? 俺は彼女と一緒ならなんでも嬉しいし」

「なるほど……」

 そういう意味なら、私は彼のことが好きなのは確かだ。

「あ、でも恋愛と友情の区別は難しいな。俺は佐藤といても嬉しいけど、彼女ではないし」

「確かに。相対的に彼女の方が好きだから恋愛なのか? あとは性別とか例の運命とか?」

「難しいな。佐藤は好きだけど、ユミちゃんはそれ以上に可愛くて優しくて、包容力があるかな。なんかお母さんみたいな」

「お母さんみたいか……」

 彼のことが頭を掠める。私は彼を母と重ねている部分がある。コーヒー好きなところも、年下の私への優しい態度も。母と言うより、兄がいたらあんな感じなのだろうか。考えるほどわからなくなってくる。

「古川ってお兄さんとかいたっけ?」

「いや、いないけど。ってか、佐藤がテツガクみたいなこと聞くから疲れたわ。ちょっと寝る」

 大きなあくびをした古川は、リュックを枕にして机に突っ伏して眠った。

 スマートフォンを見ると、通知が一件。彼からだ。来週サークルで私の歓迎会をするそうだ。最近は中間レポートに追われて彼に会うことができていなかった。これはチャンスだ。彼に会ってこの気持ちを整理しなくてはいけない。

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