3.

「ゲンナーイ、お昼だよー食堂行こー」

「やめてってばその呼び方」

「え まだ言ってんの? いいじゃん 可愛いじゃん」

「可愛くないからっ」

「はたしてそーかな」

「私が言ってんだ! そうだろっ!」

「まあとりあえず食堂行こや」


 味噌ラーメン百二十円。学食ならではの破格麺をすする私の機嫌は最悪だった。名はミハル、姓は平賀と申すこの私はまわりから「ゲンナイ」と呼ばれていた。えれきてるのアレである。キッカケは些細なことだった。親友、槙嶋サチの晩ごはんがウナギだったから。ウナギとえれきてるの繋がりについては各自ググってくれ。ともかくウナギの話が平賀源内に到達し、平賀ミハルはゲンナイとなった。あだ名というのは残酷で当人の想いよりもユーモアや語感のよさが優先される。沸き起こるムーブメントはとどまることを知らず、瞬く間にバチっとゲンナイになった私だ。もうめちゃくちゃ嫌だった。私は自分のことながらミハルという名前が好きだった。平賀呼びも致し方ない。だけれどゲンナイお前はダメだ。何より嫌なのは……

「ゲンナイ、味噌ラーメン食ってんだ。ちょっとちょうだい」

 ヌアッ! ヌアッである。私が一年の時から憧れてるバスケ部の山下バサラ先輩。私はバサラ先輩にゲンナイと呼ばれるのがもう我慢ならなかった。好きな人にゲンナイ呼ばわりされるのは耐え難い恥辱だったのだ。言い出しっぺのサチのことはこの瞬間からドス黒い悪になっていた。私はサチ許すまじと血涙を流しながら、目の前のバサラ先輩に嫌われたくなくて、味噌ラーメンちょっともらわれてくのがアリガテーってなって感情はグチャグチャながらもゲンナイ呼びを否定も出来ず引き攣った笑顔を振り撒いた。もっと悲しいのはバサラ先輩が私に初めて話しかけてくれたのがアフターゲンナイだったこと。


 バサラ先輩のことは入学当初よりずっと見ていた。いろんな部活を見学してた時のこと。バサラ先輩が華麗に決めたシュートは私の心にホールインワン。競技が違うなんて関係あるかいッ。それからすれ違うたびに鼓動が高鳴りすぎて野鳥、主にハトとカラスがざわついたほどだった。そんな憧れの先輩が初めて声をかけてくれたのは私が遅刻しそうになってメロスくらいに焦ってた通学路でのこと。バサラ先輩もヤッベ遅刻遅刻〜してんじゃねえかッえっ何この偶然とときめきがメモリアル。二人で並走しながら最高の風を感じていたのも束の間。校門前でギリアウトだった私たちは生徒指導の竹中にこっぴどく叱られたのだった。それだけならまだいい。むしろこういう弱みを共有出来たことはいい思い出になるはずだ。またいつか顔を合わせた時、あれ? あん時の? みたいなシュタイナーだろこれ絶対と信じれたはずだった。だがそこにサチも居合わせた。サチは女バス部でバサラ先輩とも顔見知りだった。

「槙嶋じゃん。お前もかよ」

「バッさん先輩こそ! アレ、ゲンナイ?」

 やめろ

「ゲンナーイ! よかった〜心細かったんだー」

 お前をコロしたくない

「え 二人ともだち? ゲンナイ?」

「なんでもないですなんでもないですなんでもなんでもなんでもなんでもライオンだッッ」

「この子、ゲンナイってニックネームなんすよ」

「ちがいますッ 平賀ミハルと申す! 以後お見知りおきを!」

「あーー、平賀だからってこと? ゲンナイね。よろしく」

 オワタ。そんな町がハワイにありそう。兎にも角にも終わった。私はバサラ先輩の中でゲンナイになりもうした。こんなはずではなかった。かくなる上はと抜こうとした刀は一八七六年制定、廃刀令によって空想のアーティファクト。今生に慈悲なしであった。


 結局実らなかった恋は腐って落ちたもののどうやら種だけは残ったようで私は今も生きている。テディベアに血統書を付けてるイカれたメーカーの経理になった私をゲンナイと呼ぶものはもういない。閉ざされた愛に向かい叫び続けるだけの毎日だ。


「あのー、平賀さん?」

「白湯川さん? なんですか。どうしました」

「部下との食事って経費で」

「落ちません」

「ですよねー、お忙しいところお邪魔しましたあ」


 高校時代の忘れ物は私を強くしたけれど、それでよかったのかと今も時々こんなふうに思い出す。ックシュン!! なんだァ? 風邪かァ?




「ゲンナイの野郎ちょっとくらい取り合ってくれたっていいだろ……はぁ、米粒数えて炊くか」

 

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