暗闇に約する 2

 冷たい闇が、カルを襲う。頭の上の方に開かれた窓から入ってくる月明かりの方に身体を動かすことで、カルは何とかその闇の攻撃から逃れた。


 長兄ケイオスに強制されてカルがラウドとともに森の中に入った、次の夜。ケイオスに讒言されたカルは、罰として、鹿辺境伯の屋敷の地下牢の一つに閉じ込められていた。


 昼間、隼辺境伯ローレンス卿を始めとする騎士達が、森の中にラウドを探しにいったことを、牢の中に闇が満ち始めた時刻にケイオスから聞いた。夕方になっても、ラウドを見つけることができなかったことも。


「お前の所為だな、カル」


 カルが閉じ込められている地下牢の扉の向こうで、長兄ケイオスが残酷に笑う。


「お前が弱虫だから、ラウドは『悪しきモノ』に飲み込まれた」


 長兄の言葉は、カルの心を無残に抉っていた。ただ一つ、希望があるとすれば。


「ラウドは、『飛ばされた』だけだ」


 長兄が居なくなってから扉の向こうに響いた、隼辺境伯ローレンス卿の優しげな言葉を、どうにかして思い出す。自分に縁のある者がそこに居る場合に、過去や未来の、現在居る場所と同じ場所に『飛んで』しまう能力。古き国の騎士達が多かれ少なかれ持っているその能力を、ラウドは強く持っているらしい。ローレンス卿がラウドを養い子にしたのも、ラウドの『飛ぶ』能力に危惧を感じたからだと、ローレンス卿はカルに告げた。


「ラウドは、必ず戻って来る」


 ローレンス卿の強い言葉が、カルの心を静める。今は、ローレンス卿の言葉を、信じよう。カルは静かに頷くと、闇を避ける為に、月の光の方へ気怠く身体を動かした。


 その時。月の光が当たらない地下牢の扉近く、闇の中に動く影が見えた気がして、びくっと身を震わせる。まさか、こんなところにまで、悪しきモノが? 恐怖が、身体の震えを倍増させる。叫ぶこともできないまま、カルは月の光の下でぶるぶると震えながら闇を見つめた。その闇の中から、小さな呻き声が聞こえたような気がしたのは、しばらく闇を見つめてからのこと。その呻き声は、誰かの声に、似ているような気がする。


「ラウド?」


 思い当たる声の主の名を、小さく呟く。まさか、こんなところへ、ラウドが飛び戻って来たのか? あり得ない。過去や未来に飛んだ後、元の時代に戻る時も、場所の移動は無いと、これは読み書きを習っている老齢の騎士から聞いた。ラウドがここに居るわけが、ない。だが、だんだん聞こえなくなる呻き声が、カルの心を掴んで離さない。ラウドであろうとなかろうと、困っている人を助けるのが、騎士。だが、闇の中に居るのがラウドでも困っている他の人でもなく、悪意を持つ者、あるいは悪しきモノであったら? いや、確かに、闇は怖いが、それでも。カルは意を決すると、闇の方へと身体を動かした。すぐに、伸ばした腕が冷たく柔らかいものに触れる。その小さな塊を掴んで月の光の方へ引っ張ると、濃い色の髪に囲まれた青白い顔が見えた。


「ラウド!」


 ぐったりとしたラウドの小さな身体を、力一杯揺する。息は、ある。だがカルが何度呼びかけても、ラウドの目は開かない。助けを、呼ばなければ。カルはラウドを冷たい床に横たえると、闇の方へと戻り、鉄の扉を拳が痛くなるほど力一杯叩いた。




 温かいベッドに寝かされたラウドの、元に戻った顔色に、ほっと息を吐く。


「ありがとう、カル」


 カルの頭上から降ってきた、ローレンス卿の明らかにほっとした感謝の言葉に、カルの口元は綻んだ。おそらく飛ばされた先で取り憑かれてしまったのであろう、悪しきモノの悪意の為に、ラウドの体力は極限まで削られてしまっていた。カルが気付いて助けなければ、ラウドの命は無くなっていた。あの時、闇の方へと手を伸ばしたカルの行動は、正しかったのだ。もう一度、カルに向かって頭を下げたローレンス卿に、カルはほっとした気持ちでにこりと笑った。


 闇も、長兄も、怖くないと言えば嘘になる。それでも、自分は、自分より弱い存在であるラウドを助けることができ、そして尊敬するローレンス卿に褒められた。それだけでも、嬉しい。それが、カルの正直な心の裡、だった。

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